奈良時代

【日本三悪人の筆頭】天皇の座を狙った悪僧・道鏡とは「女性天皇をたぶらかす」

日本を代表する三つのことを「日本三〇〇」と呼ぶことは多い。

悪人のカテゴリーにも「日本三悪人」と呼ばれるものがあり、三人の歴史上の人物があげられている。

平将門(たいらのまさかど)、足利尊氏(あしかがたかうじ)、そして弓削道鏡(ゆげのどうきょう)である。

画像 : ゆげの道鏡 ※松本幸四郎 publicdomain

特に第二次世界大戦前までは、三人とも極悪人のイメージが強く植え付けられていた。

しかし戦後になると、平将門と足利尊氏の悪人のイメージは徐々に払拭された。

だが、弓削道鏡については今なお悪いイメージが残ったままである。

そこで今回は、「日本三悪人の筆頭」として今もなおイメージが悪い僧侶、弓削道鏡について解説していく。

道鏡が日本三悪人に数えられた理由

道鏡が「日本三悪人」に数えられた理由は、皇族とは無縁の僧でありながら、女帝をたぶらかし、天皇の座を狙った悪僧とされたためである。

禅に通じていたことで、宮中にある仏殿に入ることが許されていた道鏡は、後継問題でストレスを抱えていた孝謙(こうけん)太上天皇とも接する機会が多かった。

天皇の座を狙った悪僧・道鏡とは

画像 : 孝謙天皇(こうけんてんのう)重祚して称徳天皇(しょうとくてんのう)public domain

道鏡は、孝謙太上天皇の心のすき間に入り込むことで、信任を得て寵愛を受けることになる。

孝謙太上天皇に対し、淳仁天皇や太政大臣であった藤原仲麻呂は、道鏡に対しての寵愛を深めることについて諫めたが、孝謙太上天皇はこれに激怒した。

こうして孝謙太上天皇と淳仁天皇との間で溝が深まる中、764年に藤原仲麻呂が乱を起こしたのである。

権力の絶頂を極めた藤原仲麻呂は、なぜ乱を起こしたのか? 「わかりやすく解説」
https://kusanomido.com/study/history/japan/nara/79415/

孝謙太上天皇は藤原仲麻呂の反乱に勝利すると、「仲麻呂と関係が深い」という理由から淳仁天皇に廃位を宣告した。
廃位後は、孝謙太上天皇が重祚(ちょうそ)し、称徳天皇として再度即位することとなった。

称徳天皇は、太政大臣であった藤原仲麻呂のポストに、道鏡を任命した。
その翌年には、宗教上天皇よりも身分が高い法王の地位を与え、政治の中枢に道鏡を置いたのである。
称徳天皇は、それほど道鏡に心酔し、寵愛していたのだ。

道鏡は称徳天皇を上手く活用し、仏教中心の政治を行っていった。

そのような中、769年に道鏡の実弟である弓削浄人(ゆげのきよと)と大宰主神(だざいのかんづかさ)である中臣習宜阿曾麻呂(なかとみのすげのあそまろ)が、九州の宇佐八幡宮より神託を持ち帰り、称徳天皇に奏上した。

その内容は、「道鏡を皇位に就かせたならば、国は安泰である」というものであった。

道鏡を尊敬し寵愛していた称徳天皇は、これを聞くととても喜び、道鏡も皇位に就くことを望んだ。
そして称徳天皇は宇佐八幡宮に和気清麻呂を派遣し、神託の真偽を確認することにした。

しかし、その結果は「皇位は皇族が継ぐもので、無道の人である道鏡は早く追い払いなさい」というものであった。

宇佐八幡宮より直接持ち帰った神託であったことから、先の神託の信ぴょう性がなくなり、道鏡は天皇になることができなくなったのである。

【皇室史上もっとも衝撃的な事件】 宇佐八幡宮神託事件とは ~皇室を救った和気清麻呂
https://kusanomido.com/study/history/japan/nara/81404/

この「先の神託」については、道鏡の実弟と道鏡の息のかかった中臣習宜阿曾麻呂が関与していたこともあり、道鏡が仕組んだ皇位の乗っ取りだったとされている。

こうして道鏡は、「女帝をたぶらかして皇位を狙った不届きもの」として、日本三悪人に数えられるようになったのである。

道鏡の出自と生涯

天皇の座を狙った悪僧・道鏡とは

画像:龍興寺 public domain

道鏡は、700年に河内国で生まれる。

法相宗の高僧・義淵(ぎえん)を師匠とし、兄弟子の良弁からサンスクリット語を学び、禅に通じていた。

761年に平城宮の改修が行われた際、一時的に都は近江国の保良宮(ほらのみや)に移されたが、この頃、孝謙太上天皇は体調を崩していた。
その際に道鏡が看病をしたことで、寵愛されるようになったのである。

769年に前述した宇佐八幡神託事件が起こると、770年に称徳天皇は崩御してしまった。

こうして後ろ盾が無くなった道鏡は、下野国(しもつけのくに:現在の栃木県)にある薬師寺に別当として流されることになる。

その2年後、下野国で生涯を閉じたとされている。

時代を超えて伝えられた、道鏡に関する風説

天皇の座を狙った悪僧・道鏡とは

画像:道鏡塚 public domain

道鏡が本当に「嘘の神託」を使って天皇の座を狙ったのかどうかは、真偽の確認のしようがない。

優秀な僧であり、天皇の寵愛を受けすぎたことにより他の貴族から妬まれ、汚名を着せられた可能性も否めない。

そのような道鏡であるが、江戸時代の頃には「天皇との姦通」や「道鏡の巨大ないちもつ説」なども唱えられていた。

これらも信ぴょう性の高い一次史料がなく、道鏡が亡くなった後にできた説話から来ていると云われている。

道鏡は すわるとひざが 三つでき
道鏡に 崩御崩御と 称徳言い
道鏡に 根まで入れろと 詔(みことのり)

このような川柳が、江戸時代に流行っていたのだとか。

悪人扱いだけでなく、このような風説が死後900年後の江戸時代に流行るとは、さすがに道鏡も思わなかったであろう。

参考 :
・いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編 東洋経済新報社
・八尾市 道鏡、称徳天皇と由義宮(ゆげのみや)・西京について

 

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草の実堂編集部

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コメント

    • 東郷ビール
    • 2024年 9月 04日 12:38pm

    自分は道鏡と菅原道真の区別がつかなくて、ごっちゃになるんだよね

    門閥貴族や一族を抑えるために、新しい風として才あるものが登用されたが
    最後には旧体制の反発により、失意のうち、中央を去ることになる

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