戦国時代、合戦に明け暮れた全国の戦国武将たち。その中でも最強と謳われたのが「甲斐の虎・武田信玄」と「越後の龍・上杉謙信」である。
そしてもう一人挙げるとするならば、天下統一にあと一歩まで近づいた「戦国の覇王・織田信長」であろう。
「腹が減っては戦は出来ぬ」という言葉は有名であるが、戦国最強の武将である信玄・謙信・信長が好んで食べた食事とはどのようなものだったのだろうか?
武田信玄の勝負飯
信玄が愛し好んだ食べ物は、現在山梨県の郷土料理になっている。
それは甲州名物の「アワビの煮貝」である。
海の無い甲斐国において信玄はアワビの栄養に目を付け、今川氏の領地である駿河湾からアワビを仕入れていたとされている。
だが、甲斐まで運ぶのに時間がかかるために食中毒の危険があった。
そこでアワビを醬油漬けにして長期保存が効くようにして甲斐まで運ばせたという。
他に信玄が陣中食としていたと言われているのが、山梨名物の「ほうとう」である。
うどんに近い「ほうとう」であるが、うどんと大きく違う点は、麺を作る時に塩を使わないことである。
海が無かった甲斐で塩を使わなくても作れるように考案されたのが「ほうとう」なのだ。
また、信玄は「味噌」も好きだった。
甲斐は余り米が取れなかったために、信玄は大豆の生産を奨励した。
塩が取れない甲斐で味噌を塩分としていので「ほうとう」には味噌が使われている
信玄は京都から様々な知識人を甲斐に招いて、おもてなしをしながら「アワビの煮貝」と「ほうとう」を招待客に賞味させていたという。
上杉謙信の勝負飯
酒が好きだった謙信は、塩と梅干しをつまみにして酒を飲んだという。
普段の食事は一汁一菜の質素な食事で、特に「梅干し」が好物であった。
普段は質素な食事だったが、戦の前に家臣たちに「かちどき飯」という料理を振る舞っていたという。これは山海の幸をたっぷりと使った豪華な料理であった。
「かちどき飯」は、刺身の醤油代わりに日本酒を梅干しで温めた「煎り酒」、枝豆をすり潰した「ずんだ」などが特徴的で、品数がたくさんあった。
京都で料理人に学ばせた料理の手法がたくさん入っている御膳であったという。
「かちどき飯」は、謙信の故郷、現在の新潟県上越市で今も郷土料理として食べられている。
織田信長の勝負飯
信長は豪華なものを食べていそうなイメージがあるが、実はとても質素な食事であり、玄米にお湯をかけただけの「湯漬け」が好物であった。
「桶狭間の戦い」の前にも「湯漬け」を食べたという逸話が残っている。
また、味噌を焼いただけの「焼き味噌」も好物であった。
八丁味噌とゴマを焼いただけのものと、八丁味噌にすりおろしたショウガと刻んだネギを入れて焼いたシンプルなものを好み、それを「湯漬け」と一緒に食べたという。
一番の好物とされているのは「干し柿」である。
なんと戦功を挙げた家臣に「干し柿」を与えたという記録も残っている。
信長はとにかく甘いものが大好きで、宣教師からもらった「コンフェイト」という砂糖菓子をとても気に入ったという。
それが訛って「金平糖」になったとも言われ、外国から何度も取り寄せるほど好物だった。
また、同じく宣教師が持って来た航海用の保存食だった「ビスコート」という甘くて固いパンを気に入ったという。
今でいう「ビスケット」である。
日本で最初にパンを食べたのは信長だと言われている。
そして、信長の人生を変えたと言われるグルメが「鮒寿司(ふなずし)」である。
鮒寿司は、信長の命を縮めた運命の食べ物だとも言われている。
本能寺の変が起きる1か月ほど前に、信長は徳川家康をもてなす饗応役に明智光秀を選んだ。
その時、光秀が出した「鮒寿司」が腐っていると信長が激怒し、光秀を殴りつけ、それを恨みに思った光秀が本能寺の変を起こしたという説もあるのだ。
他の戦国武将の勝負飯
豊臣秀吉は「割粥(わりがゆ)」という米臼でお米を砕いたおかゆが好物で、特に晩年は好んで食べていた。
他には根菜類も好物だったという。
秀吉の勝負飯は、米に麦を混ぜて炊いた麦飯に八丁味噌(豆味噌)を塗った「豆味噌の握り飯」だった。
徳川家康は「八丁味噌」を焼いたものをごはん(麦飯)にのせた「八丁味噌ごはん」を好んでいたという。
毛利元就は「餅」と「団子」が好みで、他に「白身魚」も好物であった。
伊達政宗は戦国大名きってのグルメであり、今でいう料理研究家として自ら台所に立って料理を作り、数多くの料理を研究したという。
有名な「ずんだ餅」は正宗が創作した料理で、今では仙台名物になっている。
正月料理の「伊達巻き」も政宗の好物だったことから、この名が付いたとも言われている。
真田幸村(信繁)は、お米と小麦粉を混ぜ、こねて丸くし、味噌をつけて焼いた長野の郷土料理「こねつけ餅」が好物であったとされている。
おわりに
戦国大名の好物や勝負飯は、以外にも質素なものが多いことが分かった。
総じてエネルギー源となる炭水化物の握り飯やごはん類が多かった、というのが良く分かる。
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