林芙美子とは
林芙美子(はやしふみこ : 1903~1951)は、日本の小説家である。
現在の福岡県北九州市、貧しい両親の元に生まれ、その貧しかった時代の経験を元にした、庶民への愛情を注いだ作風が有名である。
25歳の時に発表した『放浪記』が話題を呼び、作家としてデビューすると、1948年には『晩菊』で女流文学賞を受賞する。
当時、作家になる人物のほとんどが、富裕層や教育熱心な家庭出身であるという環境にあったにも関わらず、芙美子は貧乏な家庭で生まれ育ち、父が行商を生業にしていたことから、日本各地を渡り歩くなど、決して恵まれた環境で育つことはなかった。
それでも、彼女の瑞々しい文体や、名もなき人々の苦難を描いた鋭い着眼点は、今もなお、読者に大きな感動を与え続けている。
今回は、近代文学壇の中でも異例の才能が光る、林芙美子の生涯について追っていく。
流行作家となるきっかけを作った『放浪記』
『放浪記』は、女優森光子によって、2000回以上のロングラン公演となった。amazonにて無料で読めます。
『放浪記』は、芙美子が自らの日記をもとに、放浪生活の体験を綴った自伝小説である。
時代は第一次世界大戦後の東京で、飢えと絶望に苦しみながらもしたたかに生きていこうとするヒロインが、初恋に破れ、さまざまな職業を転々としながら、明るく生きていく様子が多くの人々の共感を呼び、大ヒット作品となった。
この『放浪記』は、演劇、映画、そしてドラマ化され、特に演劇では女優の森光子(1920~2012)主演で、1961年から2009年にかけて、通算2000回以上のロングラン公演が行われた。
森光子の死後、主演は仲間由紀恵に交代され、2015年に新たなキャストで上演された。
『放浪記』は、「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。父は伊予の四国の人間で、太物(ふともの)の商人であった。母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。」という文章から始まる。
この設定は、まさに芙美子の生涯そのものである。
行商人であった芙美子の父が、九州から出てきた芙美子の母に出会い、芙美子は山口県下関市で生まれた。
しかしこの父親が別の女性と浮気をしたため、母は芙美子を連れて別の男性と再婚。
芙美子は自分で学費を払って、4年のあいだ女学校に通っていた。
その時、恋愛関係にあった男性を追って上京するも、大失恋。
その後はさまざまな職を転々としながら、貧しい生活に苦しめられていたという。
このあたりの彼女の人生は、そのまま、『放浪記』のヒロイン・“私”の設定に活かされている。
しかし、数々の不幸にもめげず、物語の中の“私”は明るく、あっけらかんと生きている。
林芙美子のみずみずしく、まるで心が躍っているような文章がそれを物語っており、刊行されてから100年近く経った現在でも、その生き生きとした文才は高く評価されている。
この『放浪記』を執筆したことで、林芙美子はたちまち流行作家となるのである。
晩年の大作『浮雲』、そして突然の死
1931年、満州事変などで日本と周辺国との関係が緊張状態になっていた中、芙美子は朝鮮・シベリア経由でパリへと渡り、半年間の一人旅をした。
その後、ロンドンにも足を向け、そこでひとり暮らしをしながら、紀行文を日本の出版社に投稿し続けていた。
そんな海外での経験が創作に活かされたのが、芙美子の晩年の名作となる『浮雲』である。
この物語は、第二次世界大戦下、義弟との不倫関係に疲れたヒロイン・ゆき子が、フランス領であるインドシナへと旅をし、そこで出会った男性と激しい恋に落ちる…という物語である。
ヒロイン・ゆき子の、孤独で寄る辺もない生き方が、タイトルの『浮雲』になったのだと言われている。
1955年には高峰秀子主演で映画化もされており、後年になっても高く評価されている文学作品である。
(1955年キネマ旬報ベスト1の映画 浮雲)
人気作家として絶頂を極めていた1951年、芙美子は突然心臓発作を起こし、わずか47歳という若さで急死した。
持病の心臓弁膜症が悪化したため、心臓発作を起こしたと言われているが、実際には過労と多量の喫煙、そしてヒロポンの摂取が直接の死因であったと考えられている。
ヒロポンとは、覚せい剤の一種であるが、当時は違法薬物として扱われておらず、薬局で購入することが出来たという。
芙美子は人気作家であったため、寝る間も惜しんで文芸の創作にいそしんでおり、その結果、覚せい剤やタバコなどで自分の身体に負荷をかけ、寿命を縮めてしまったと思われる。
芙美子がもっと長生きしたならば、もしかしたらこの世にいくつかの名作が生を受けていたかもしれない。
そう思うと、才能ある彼女の早すぎる死は、非常に痛ましいものである。
林芙美子の死後
芙美子の死後、1941年から1951年まで実際に住んでいた邸宅は、現在、『林芙美子記念館』として、東京都新宿区に残っている。
記念館では、彼女の作品に関わる様々な展示が開催されている。
また、劇作家の井上ひさし(1934~2010)は、林芙美子の評伝劇として『太鼓たたいて笛ふいて』を執筆。
この演劇は大竹しのぶが主演し、劇団こまつ座にて上演された。
芙美子は、第二次世界大戦で日本が敗戦し、そのことによって憂き目にあった多くの日本人の立場に寄り添いながら、庶民の人々の、貧しく、苦しい、しかしそれでも希望を持って生きていこうとする健気な姿を、自らの生涯をかけて書ききったと言えるだろう。
作家と言えば、インテリ階級出身が当たり前、と言われていた時代に、身一つで生計を立て、自らの感性と才能のみで、数々の名作を生み出してきた林芙美子は、間違いなく日本が誇る文豪の1人だと言える。
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