朝ドラ「ばけばけ」の主題歌、「笑ったり転んだり」は素朴で温かく、ドラマにぴったりな素敵な楽曲です。
「今夜も散歩しましょうか」の歌詞にもあるように、ヘブンとトキのモデル小泉八雲とセツは、よく散歩に出かけました。
ただし、二人の長男・小泉一雄によると、セツはあまり散歩を好まなかったようです。
今回はセツと一雄の手記を元に、散歩にまつわるエピソードとセツが散歩を嫌った理由を紐解いてみたいと思います。
夫婦の夜の散歩 行き先は墓場

画像 : 松江市の月照寺 wiki c Mister99
松江で事実上の夫婦となったセツと八雲はよく散歩に出かけました。八雲は静かな場所を好み、特に松江藩主松平家の菩提寺である月照寺がお気に入りでした。
セツから藩主たちの逸話や寺の伝説を聞きながら、杉の大木がうっそうと立ち並ぶ閑寂な月照寺を散策する時間は、ふたりにとって心安らぐひとときだったようです。
熊本にいた頃も、ふたりはよく夜道を散歩しました。
ある晩、散歩から帰った八雲が、「とても面白い場所を見つけた。明日の晩、一緒に行きましょう」とセツに声をかけ、翌日の夜、ふたりは連れ立って家を出ました。
夫に案内されながら暗い夜道を進み、ようやく辿り着いた先は、なんと墓場。
薄い星明かりの下、草が茫々と伸びる中に、墓石がぽつぽつと立っているのが見えます。
八雲は静かに「あのカエルの声聞いてください」と言い、ふたりは耳を澄ませました。
東京の富久町に移ってからは、家の隣にある「瘤寺」が散歩の定番になりました。
荒れた寺でしたが杉の大木が多く、この寺を気に入った八雲は、毎日朝と夕方に必ず散歩に行き、時々セツも一緒に出かけました。
しかし、寺の杉が伐採され景色が変わってしまうと、八雲は深く残念がり、その後足が遠のいてしまったそうです。
セツが八雲との散歩を好まなかった理由

※イメージ (小林清親 「大川岸一之橋遠景」 1880). public domain
セツの手記には、八雲との散歩や旅行の思い出がたびたび記されています。
しかし、長男の小泉一雄によると、セツは歩くのが嫌いで、八雲の散歩にセツが同行したのはごく稀だったそうです。
一雄は、母が散歩を嫌った理由として「肥満」と「偏平足」を挙げています。
「母は(中略)父の存生中は余りに歩行嫌いの婦人でした。あれほど父に対して献身的であった母にも似合わず、郊外散歩のお供だけは余り好まなかったのです。これは母の肥満した体と、全然土不踏(つちふまず)のないその足が最大原因だったと信じます。」
小泉一雄著『父「八雲」を憶う』より
ある時、セツと一雄は、帝大帰りの八雲と新橋駅で落ち合い、食事をしました。
その後、買い物を済ませて大久保の自宅まで歩いて帰ることになったのですが、市ヶ谷見附に差しかかったところで、セツはついに歩けなくなってしまいます。
やむなく三人は人力車を呼び、家まで戻ったのですが、一雄はこの出来事について次のように記しています。
「新橋から市ヶ谷見附まで歩いたことは母にとっては実に空前絶後の遠足でした。」
小泉一雄著『父「八雲」を憶う』より
セツにとって長距離を歩くことは、並大抵の負担ではなかったのです。
ちなみに、翌日セツは疲れて終日寝て過ごし、「あんま」を呼んだそうです。
散歩中、死にかけた八雲

画像 : イメージ (小林清親 「大川岸一之橋遠景」 1880). public domain
ある日、散歩から戻った八雲が「今日は危ないところでした」と語りました。
考えごとをしながら線路脇を歩いていたところ、赤ん坊を背負った女性が「汽車が来ますよ!」と叫び、八雲は慌ててレールから飛び退いたそうです。
その直後に汽車が目の前を通り過ぎたといい、家族はその話に震え上がりました。
それ以来、散歩には必ず誰かが付き添うことになり、書生や子どもたち、時にはセツの養父・稲垣金十郎も同行しました。
金十郎は、散歩の途中、「先生は、花はお好きかな?」と言って、農家の庭先の花を勝手に手折ったり、目ざとく茶屋をみつけては「少し休んましょうかいな?」と言ってズカズカと店に入り込んだりと、自由奔放な振る舞いで八雲を困らせました。
甘いものに目がない金十郎は、茶屋で駄菓子をあれこれと楽しんでなかなか腰をあげず、これもまた八雲をイラ立たせたようです。
散歩中、父子に浴びせられた心ない言葉

画像:小泉八雲(左)と節子(右) public domain
東京に移り住んで間もないある日、八雲が散歩から慌てた様子で帰ってきたことがありました。
外套の背中や帽子のつばに泥がついているのをセツが見つけ、理由を尋ねると、子どもたちから「耶蘇坊主!」とからかわれ、土を投げつけられたといいます。
八雲は「面白い子どもたちだと思って嬉しかったが、大事な目に当たっては困るので逃げてきた」と笑って話しました。
「なんて嫌な子どもたちでしょう。警察に言ったほうがいい」と憤るセツの隣で、「私の心を躍らせる子どもです」「これでこそ日本万歳」「あの子は将来きっと立派な日本人になるでしょう」と、むしろ楽しそうに八雲は語ったそうです。
また、こんな出来事もありました。
一雄はよく父親に連れられ、田舎道の散歩をしました。八雲は思索にふけりながら歩くのを好んだため、賑やかな市街地を通ることはほとんどありません。
その日も、一雄を連れて静かな田舎道を歩くつもりで家を出たのですが、八雲は考えごとに没頭するあまり、気づけば新宿追分の大通りへ出てしまいました。
当時の新宿は場末の雰囲気が漂う、どこか不潔な町でした。
「道を間違えました。この汚い町から早く美しい田舎道へ戻りましょう」と言い、ふたりは急ぎ足で来た道を戻り始めます。
その時、酔った三人組のならず者が前から歩いてくるのが見えました。二人は串に刺したおでんを持ち、騒ぎながらふらついています。
芋のおでんを持った男が八雲を見つけ、「異人が来やがった!」と叫びました。すると蒟蒻を持った男が近づき、顔を覗き込みながら「ベーロベロのベンベロベー!」と叫んで、八雲の高い鼻先で蒟蒻をブルブルと振り回したのです。
次の瞬間、一雄が「あ!」という声を発すると同時に、その男は埃を上げて尻もちをついていました。八雲は息子に「カム・オン、ダーリン」と声をかけ、二人は早足に歩き出しました。
「畜生!」「異人、待て!」「一銭五厘のおでんを台無しにしやがって!」と、男たちは罵りながら追いかけてきます。
しかし、八雲が突然立ち止まり、拳を握って睨みつけると、彼らはたじろぎました。その時の顔は、一雄が今まで見たことのないほど険しいものだったそうです。
親子が再び歩き出すと、背後から「恐ろしい顔しやがる」「なんだ、片目じゃないか」「毛唐なんか、からかったってつまらねえ、行こう」といった声が聞こえてきました。
その後、新宿の踏切に差しかかると遮断機が下り、行く手を阻まれてしまいました。列車がなかなか通らず、待ち時間が長引く中、一雄はならず者が追いかけて来るのではと気が気ではありません。
そのうち、遮断機が上がるのを待っていた子どもたちが「異人がいるぞ」「異人の子どももいる」「どこだ?あれか?和服を着てるじゃないか」「混血児だ」と、無遠慮な言葉を投げかけてきました。
一雄はじっと遮断機が上がるのを待ちました。ようやく上り列車が通り過ぎましたが、今度は下り列車が来るまでさらに待たなければなりません。
八雲は踏切を渡ることをあきらめ、一雄とともにその場を離れました。
田舎ほどではないにせよ、都会でも当時の日本では外国人はまだまだ珍しい存在でした。
セツも八雲も、そして子どもたちも、無作法な日本人の態度に辟易することが少なくなかったのでしょう。
セツが八雲との散歩をあまり好まなかったのは、身体的な理由だけでなく、こうした理不尽な差別や心ない言葉を耳にしたくなかったからなのかもしれません。
参考文献
小泉セツ『思ひ出の記』.ハーベスト出版,2024
小泉節子, 小泉一雄著『小泉八雲』,「父「八雲」を憶う」恒文社,1976
文 / 深山みどり 校正 / 草の実堂編集部























この記事へのコメントはありません。