幕末明治

ついカッとなってしまい……介錯に失敗して怨みを買った新選組隊士・沼尻小文吾

時は幕末、京都の街を闊歩して不逞浪士や討幕の志士たちを震え上がらせた剣客集団・新選組(しんせんぐみ)。

腕に覚えのある達人たちが多く活躍しましたが、時には思わぬ失態を演じてしまうことも少なくなかったようです。

今回はそんな一人・沼尻小文吾(ぬまじり こぶんご)のエピソードを紹介したいと思います。

奥山念流の使い手として、新選組に入隊

沼尻小文吾の出自については諸説あり、生まれたのは天保6年(1835年)とも同14年(1843年)とも言われ、また生国も武蔵国(現:東京都および埼玉県)出身とも、上野国(現:群馬県)とも言われています。

元治元年(1864年)10月に局長の近藤勇(こんどう いさみ)が自ら江戸に戻って隊士を募集した際、志願したそうです。

近藤勇の志に惚れて、入隊を決意(イメージ)。

当時22~30歳という血気盛んな年ごろで、日ごろ鍛えた奥山念流(おくのやまねんりゅう)の腕前を奮おうと、大いに張り切ったことでしょう。

※奥山念流:戦国時代の永禄3年(1560年)、奥山念僧(ねんそう)が天狗に授かった奥義から立てた流派(念流の分派)で、剣術と柔術などを伝えたと言います。

「よぅし、やるぞ!」

意気揚々と京都へやって来た小文吾は、同年12月に尾形俊太郎(おがた しゅんたろう)率いる五番隊に配属されました。

晴れて新選組の一員となった小文吾は、京都洛中を闊歩して不逞浪士の取り締まりに励みましたが、どちらかと言えば剣術よりも柔術の方が得意だったようです。

「小文吾、お前の奥山念流って強いのか?今度、試合しようぜ!」

「いやぁ、俺は柔術メインだから、剣術の方はちょっと……」

仲間内なら笑ってはぐらかすことも出来たでしょうが、これが命令となるとそうはいきません。

「沼尻君。今度、河合君の介錯を命じる」

意外と難しい?切腹の介錯

時は慶応2年(1866年)2月、新選組で勘定方(経理担当)を務めていた河合耆三郎(かわい きさぶろう)が経理ミス(※)によって切腹を命じられ、小文吾はその介錯(かいしゃく。長く苦しまぬよう、とどめに斬首する役)に指名されたのです。

(※)隊費の使い込みなどと言われていますが、叛乱勢力への資金提供や、あるいは近藤の浪費(特に女性関係)を咎めたために粛清されたなどの説もあります。

(え~……どうしよう、自信ないんだけど……)

腹を切るのはもちろん、首を斬る介錯人にも相応の覚悟と技量が求められた。

無抵抗の者の首を斬るだけなんだから、誰でも簡単にできるだろうと思ったら大間違い。刀はただ振り回せばよい訳ではなく、材質(※)に合わせた斬り方が求められ、相当な熟練を要します。
(※)一口に首と言っても、皮や肉、骨に筋など、切るための力加減はそれぞれ違います。鶏や兎などを捌いたり、鶏肉を切ったりしたことがあれば、ピンとくるでしょう。

とは言え、正当な理由なく主命に背けば「士道不覚悟」でこっちが切腹させられかねません。

(悩んでいてもしょうがねぇ、やるぞ……!)

さぁ2月12日、肚をくくって本番です。

いざ臨んだ介錯の首尾は?

「……あぁ、家からの使いはまだか……早く、早く来てくれ……」

使い込んだ?資金を立て替えてもらうため、米問屋を営んでいた生家(実家)に使いを出していましたが、いつまで経っても帰ってきません。

(ちぇっ、情けねぇ声を出しやがる)

どちらかと言えば粗暴だった小文吾は、前々から軟弱?だった耆三郎を快く思っておらず、後年「人間、あれほど悲しい声が出るとは思わなかった」と述懐しています。

「嫌だぁ……死にたくない、死にたくない……っ!」

今にも泣き出しそうな耆三郎の様子に、小文吾はイライラを募らせました。

(うるせぇ!とっとと死ね!)

ついカッとなって刀を振り下ろしたところ、手もとが狂って耆三郎の肩を斬ってしまいます。

(あ、失敗)

「ひぎぃっ……痛い、痛いっ!」

(あ、やべっ)

仕損じに慌てて二の太刀を繰り出した小文吾でしたが、今度は耆三郎の頭を斬ってしまいました。

「ぅぎゃあ……っ!父上……母上っ!」

いくら逃げても無駄とは言え、あまりの激痛に耐えかねてもがき苦しむ耆三郎。今度こそと思い定めた三度目の正直、ようやく小文吾は斬首に成功。

(……まぁ、小文吾だからな……百も承知で介錯役を命じるとは、近藤さんも人が悪いなぁ……)

周囲の同情と嘲りの入り混じった生暖かい視線を一身に受けながら、小文吾はバツの悪い思いをしたのでした。

エピローグ「横向き小文吾」

何はともあれ落着したかと思われた河合耆三郎の一件ですが、そうは問屋が卸さない……耆三郎の遺族たちは新選組に猛抗議します。

「ふざけるな!無実の息子を処刑するなど、納得行かん!」

特に二度も介錯に失敗して耆三郎を無駄に苦しめた小文吾については相当恨まれたらしく、後日「お礼参り」を受けて首を負傷してしまいます。

「痛たたたっ、この野郎、何をする!」

「うるせぇ、首がつながっているだけ有難く思え!」

「いてて……」首の曲がってしまった横向き小文吾(イメージ)。

これ以来、小文吾は首が曲がったままとなってしまい、仲間たちから「横向き小文吾」とからかわれたそうです。

それでも後に伍長に昇格し、慶応4年(1868年)1月に始まった鳥羽・伏見の戦いに参加。奮戦するも負傷し、新選組が江戸まで逃げて来たドサクサに紛れて脱走したのでした。

こうして行方をくらました小文吾は、伝承では明治35年(1902年)に老衰で世を去ったといいます。

ハッキリした記録でなく伝承なのは、もしかしたら近所で首の曲がったお爺さんが亡くなった時、ご近所さんが「アイツ、もしかして新選組を脱走した『横向き小文吾』じゃないの?」などと噂したのかも知れませんね。

※参考文献:
伊東成郎『新選組は京都で何をしていたか』KTC中央出版、2003年9月
前田政記『新選組全隊士徹底ガイド (河出文庫)』河出書房新社、2004年1月
相川司『新選組隊士録』新紀元社、2011年12月

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