幕末明治

「人斬り半次郎」と呼ばれた 桐野利秋の実像

薬丸自顕流の遣い手

桐野利秋

※画像 桐野利秋 wiki c

桐野利秋(きりのとしあき)は幕末の薩摩藩の武士であり、明治維新後は新政陸軍の少将まで務めた軍人です。

西郷隆盛征韓論を巡って政府を去ると桐野もこれに従って下野し、後に共に西南戦争を戦って志半ばで倒れるという悲劇的な最期をとげました。

幕末の桐野は中村半次郎と名乗っており、所謂「人斬り半次郎」としてその名を馳せた薬丸流自顕流剣術の遣い手でした。

但し、これは後年の小説による脚色が原因で流布されたものであり、そこまで多くの人を斬ったという事実はなかったというのが実情のようです。

上洛と討幕

桐野利秋

※画像 中村半次郎時代の写真。隣の女性は京都四条「村田煙管店」の娘で桐野の恋人であった村田さと

桐野は天保9年(1838年)に薩摩藩士の父・中村与右衛門(桐野兼秋)の次男として生を受けました。

桐野は薩摩隼人として、幼き頃より薬丸自顕流の鍛錬を積んだと伝えられています。

桐野は24歳のときの文久2年(1862年)に薩摩藩主の島津久光に従って上洛すると、尹宮(朝彦親王)附きの護衛役を務めたとされています。

こうした上洛を通じて薩摩藩内だけではなく他国の志士達との知己を得た桐野は、次第に討幕思想を抱くようになっていきました。

同時に薩摩藩内では小松帯刀西郷隆盛などの目に留まり、以後藩内で重用されていくことになりました。

人斬り半次郎の実像

桐野は慶応2年(1866年)には、寺田屋事件の際の負傷で薩摩藩邸に匿われて療養していた坂本龍馬の見舞いに連日訪れたとも伝えられています。

翌慶応3年(1867年)には福岡の大宰府に落ち延びていた三条実美や、木戸孝允中岡慎太郎らとも会合を持つなど、藩の垣根を超えた志士としての動きを見せています。

桐野は同年の9月に薩摩藩の軍学者であり、公武合体策を唱えていた佐久間象山の弟子・赤松三郎を京で斬りました。

赤松は幕府の息のかかった人物と見做され、大久保利通の名を受けて桐野が斬ったものと言われています。

人斬り半次郎」と後の小説で描かれた桐野でしたが、定かな犯行はこの1件のみとも伝えられています。

戊辰戦争の逸話

桐野は戊辰戦においては先ず一兵卒として従軍し、そこから武功を重ねると西郷隆盛の下で城下一番隊長に任じられました。また西郷と勝海舟との歴史的な江戸城無血開城の話し合いの場には桐野も同席していたと言われています。

続く会津攻めで会津藩が降伏・開城した際には、桐野はその城の受け取りの使者を務めました。

このとき桐野は男泣きに泣いたと伝えられており、その脳裏にはかつて安土桃山時代の薩摩の島津氏が、圧倒的な兵力をほこった豊臣秀吉の軍門に下った歴史があり、その姿と当時の会津藩の姿を重ね合わせたためとも伝えられています。

明治維新と西南戦争

桐野利秋

※画像 官軍と西郷軍の激突を描いた浮世絵。中央付近に桐野利秋の名前

戊辰戦争後に中村半次郎から桐野利秋へと改名した桐野は明治2年(1869年)、陸軍の鹿児島の第一大隊長に起用されました。

桐野はその2年後となる明治4年(1871年)には33歳にして陸軍少将に任じられ、更にその翌年明治5年(1872年)には、皮肉にも西南戦争では自らが攻める側となった鎮西鎮台の司令長官を務めました。

そして明治6年(1873年)10月、西郷が征韓論に敗れて新政府を去ると、これに倣って桐野も職を辞し鹿児島へと戻りました。

そうして遂に運命の明治10年(1877年)となります。薩摩で政府軍の火薬庫の襲撃事件が発生し、同時に新政府が西郷暗殺を目論んでいたことが判明します。

事ここに至り、決起を余儀なくされた桐野らは西郷を擁して兵を挙げました。

しかし新政府軍の前に西郷軍は破れ、西郷は自刃して果て、桐野も銃弾に倒れて40歳の生涯を終えました。

参考文献 : 薩摩の密偵 桐野利秋―「人斬り半次郎」の真実

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 夏目漱石の生涯をわかりやすく解説 「神経質で短気だった」
  2. 西郷と岩倉使節団について調べてみた
  3. ネスレより先にインスタントコーヒーを開発していた日本人 「大金持…
  4. 天竜川の救世主・金原明善って知ってる? 幕末から大正まで大活躍の…
  5. 明治維新後に「失業」した武士たちのその後 〜「幕府の精鋭隊だった…
  6. 戊辰戦争の裏側では何が起きていたのか?「列強の狭間で植民地化を避…
  7. 【日本総理大臣列伝】伊藤博文の人物像に迫る 「着飾ることを知らな…
  8. 戊辰戦争で「賊軍」と呼ばれた男たちのその後 【前編】

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

台湾でコロナに感染した体験記 【台湾の漢方薬 清冠1号で回復しました】

コロナ感染コロナ禍も下火になってきて、国と国との行き来も始まろうとしているこの頃、筆者は…

「家康から嫌われまくっていた次男」 結城秀康の真実とは 〜後編

前編では、結城秀康の前半生における苦労と、独立した大名となった過程を解説した。今回は、大名と…

【勘違いで人を殺した稀代の天才】 殺人罪で投獄された平賀源内の意外な最期

平賀源内といえば「幕末にエレキテルを発明した偉人」と覚えている人も多いかもしれません。しかし…

林芙美子とは 〜森光子が2000回上演し国民栄誉賞を受賞した「放浪記」の作者

林芙美子とは林芙美子(はやしふみこ : 1903~1951)は、日本の小説家である。…

プロは見られて上手くなる!『徒然草』が伝える芸能デビューと引退のタイミング

一昔ほど前のこと、お笑い芸人を目指していると言った者に対して「そういう学校に行くのもいいけど、路上ラ…

アーカイブ

PAGE TOP