宗教

聖槍「ロンギヌスの槍」の魔力に魅せられた権力者たち 【ナポレオン、ヒトラー】

ロンギヌスの槍の発見

エルサレムにあるゴルゴタの丘イエス・キリストが十字架刑に処せられたこの地には、現在、聖墳墓教会が建っている。

ローマ皇帝として初めてキリスト教を公認した、コンスタンティヌスによって建てられた教会だ。

4世紀に生きたコンスタンティヌス帝は、神の啓示を受けたことでキリスト教の信奉者となったと言われている。彼は、同様に敬虔なキリスト教徒であった母ヘレナに命じ、ゴルゴタの丘で大規模な聖遺物捜索を敢行した。

この発掘で発見されたのが、キリスト処刑の際に用いられたとされる「十字架」「罪状のプレート」「聖なる釘」そして、「ロンギヌスの槍」である。

画像 : ホーフブルク宮殿が所蔵する「聖槍」 wiki c

キリストの死から300年近く経って発見されたというのは多少信ぴょう性に欠けるのだが、真偽はともかく、聖槍や聖遺物がキリスト教徒や権力者達に大きな影響を与えたのは間違いない。

聖遺物を持つ者は「正統」として扱われ、無敵の力を手に入れる。

このような伝説がまことしやかに語られるようになった背景には、聖遺物を発見したコンスタンティヌス帝自身が、政敵との争いに勝利し、ローマ唯一の皇帝に君臨するなど、栄光を手中に収めたという歴史があったからだろう。

聖遺物の伝説は、時の権力者たちの野心を高ぶらせた。

ロンギヌスの槍

権力者たちが手にした「聖槍」の秘密

ゴルゴタの丘で発見された「ロンギヌスの槍」のその後の行方について、歴史は多くを語っていない。

6世紀頃までエルサレムに保管され、巡礼者たちの信仰の対象となっていたという記録は残っているが定かではない。

では、あのヒトラーが手に入れたという「聖槍」とはなんだったのか。ここで興味深い伝説に行き当たる。

聖遺物を手に入れたコンスタンティヌス帝が、実は「ロンギヌスの槍」のコピーを作っていたというのだ。彼は、共に発掘された「3本の聖釘」のうち、1本を使って「聖槍」を複製していたと言われる。

この聖槍のコピー、いわゆる「コンスタンティヌスの槍」こそが、権力の象徴となっていくのだ。

ロンギヌスの槍

カール大帝とコンスタンティヌスの槍

9世紀。東西教会の分裂が決定的となった頃、聖釘で作られた「コンスタンティヌスの槍」は、ローマ教皇レオ3世の手中にあった。

ビザンツ帝国と分かれ、新たな庇護者を求めていた教皇にとって、正統の証である聖槍は大きな強みとなっていただろう。

彼は、カールの戴冠で知られるフランク王カール1世に、この槍を与えることで権威を獲得する。周辺諸国への遠征によって領土を飛躍的に拡大させ、フランク王国の全盛期を築いたカール1世。

彼に絶大な力を与えたのは、コンスタンティヌスの槍だったのだろうか。

ロンギヌスの槍

※カール大帝」(1511年 – 1513年)

聖槍を手にした権力者たち

フランク王カール1世の死後、コンスタンティヌスの槍はイングランドのサクソン王の手に渡ったとされる。

それから、イタリアを経て、ブルゴーニュのルドルフ王へと伝わり、その後、ザクセン王の初代国王ハインリッヒ1世が手中に収めると、その息子オットー1世が受け継いだ。

さらにオットー3世、カール4世のもとで魔力を宿したまま秘蔵される。

神聖ローマ皇帝など権威ある称号を持つ者だけが所有できたコンスタンティヌスの槍。あのナポレオンすら望んでも手に入れることはできなかったそうだ。

ロンギヌスの槍

ヒトラーと聖槍

聖槍の魔力が再び歴史の表舞台へと姿を現すのは、1912年。ハプスブルク家の家宝として、ウィーンのホーフブルクに展示されたのだ。

これを目にしていたのが、若き日のアドルフ・ヒトラーである。

聖槍から強い魔力を感じ取った彼は、聖槍と世界を手中に収めることを決心したのだという。それから10年も経ずしてドイツ国内で勢力を強め、やがてはドイツ国首相に就任したことは周知の通りだ。

1938年にオーストリアを無血占領すると、ヒトラーは念願の聖槍を得たのだった。

そして、ヒトラーの部下であるハインリッヒ・ヒムラーにより「聖槍の騎士団」が組織され、厳重な警備のもとに置かれるのだが、米軍の手によって奪還され、ヒトラーの死後、ホーフブルクへと戻されたという。しかし一方で、奪還されたのは偽物でヒトラーが手にした聖槍は南極へと運び出されたという憶測もある。

最近行われた鑑定では、ホーフブルクに返還された聖槍には7世紀の特徴があるという結果が出ており、4世紀の「コンスタンティヌスの槍」と年代が合わないため、どこかで複製された可能性があるとする見方が濃厚となっている。

聖槍はどこに

西欧諸国を治めた権力者たちの背後には、鈍い光を放つ聖槍伝説が見え隠れしている。

現在、世界には「聖槍」が数本存在すると言われているが、本物の聖槍はどこにあるのか、真相はわかっていない。

だが、歴史を大きく動かしてきた「聖槍の魔力」だけは、確実に存在していたと言えるだろう。

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【全員裸だった】古代オリンピック 〜近代オリンピックとかけ離れた…
  2. 『ナポレオンが警戒した美しき王妃』プロイセンの希望となった王妃ル…
  3. 水沢観音で鐘を打ってきた【おすすめ群馬パワースポット】
  4. 【畿内の大五芒星】東西の結界について調べてみた
  5. 【中世ヨーロッパの騎士道】切っても切れない人馬の関係とは
  6. 【王冠を捨てた恋】エドワード8世について調べてみた
  7. アメリカバッファロー激減の歴史 【なぜ6千万頭から500頭まで減…
  8. 【英雄サラディン】 イスラム教について調べてみた

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

寛政の改革後の徳川家斉 【化政文化】

化政文化※松平定信松平定信による寛政の改革は厳しすぎるという反発が相次ぎ、松平定信は…

誕生日石&花【9月11日~20日】

他の日はこちらから 誕生日石&花【365日】【9月11日】熱心で勤勉。繊細さと強い精神性を併…

井伊直虎 は男説について調べてみた

はじめに今年の大河ドラマといえば、『おんな城主直虎』。根幹を揺るがす新資料が見つかって話…

関ヶ原の戦いは史上最大の情報戦だった 〜前編 「西軍についた毛利輝元は実はやる気満々だった?」

関ヶ原の戦いとは慶長5年(1600年)9月15日、徳川家康が率いる東軍と、石田三成を中心…

古代中国のトイレにまつわる話 「トイレに落ちて死んだ王様、尿瓶を携帯した皇帝」

トイレで起きた悲劇現代のトイレは、快適に用を足すことができるように商品開発が進んでいる。…

アーカイブ

PAGE TOP