宗教

【畿内の大五芒星】東西の結界について調べてみた

徳川家康が初めて江戸に入ったのは天正18年(1590年)のこと。豊臣秀吉が小田原攻めで関東の雄・北条氏を滅ぼし、さらに奥州仕置によって東北地方も従わせ、天下統一を果たした後、関東八州の新統治者として江戸に赴任したのである。

そこで家康は、京の都にも負けない都市を造り上げることになった。

黒衣の宰相 天海

黒衣の宰相 天海
【※天海】
やがて、天下は家康のものとなり、代々の将軍や幕藩体制下に置かれた大名たちの尽力で何十年もかけて整備が続けられ、江戸は世界に誇る百万都市へと成長してゆく。

その都市計画に深く関わった人物に「天海」という僧侶がいる。天海は天台宗の僧侶だが、神道・密教・陰陽道・風水および占術に精通しており、易学を教える唯一の教育機関である「足利学校」でも4年間、占いなどを学んでいた。そして、江戸の街づくりには、その知識が取り入れられているのだという。

108歳という現代でも驚嘆すべき長寿を誇り、家康・秀忠・家光と三代の将軍に仕えたことから「黒衣の宰相」とも呼ばれて、その影響力は長く続いた。天海が造営に関わったものに上野の寛永寺があるが、ここは江戸城の北東、つまりは「鬼門」に当たる位置にあり、天海自らが住職を務めた。

上野東照宮と藤堂高虎


【※江戸の鬼門を守る上野の寛永寺(かんえいじ)」

寛永寺の寺号である「東叡山」は「東の比叡山」を意味するものだが、天海は平安京の鬼門を守った比叡山の延暦寺に倣い、寛永寺のそばに近江の琵琶湖をモチーフとした不忍池(しのばずのいけ)を造らせて、比叡山と同じ役割を果たせるように整備を行ったという。これは五行説に照らし合わせた場合に東を守護する青龍が、水とゆかりのある霊獣だったために池を配したものだ。また、対となる裏鬼門には、もうひとつの徳川の菩提寺である浄土宗の増上寺が位置していた。

家康が元和2年(1616年)に亡くなると、後に寛永寺のそばにも家康を祀る東照宮(現在の上野東照宮)が築かれるが、ここにはもともと、藤堂高虎の江戸中屋敷(津藩の藩邸)があった。天海は、高虎から土地を譲り受けて東照宮を建てたという。

この藤堂高虎は、外様大名ながら、非常に家康と親しく、家康臨終の際には枕元に呼ばれ、天海と共に事後を託されたと伝わる。そのとき、高虎は日蓮宗を信仰していたが、家康と天海が信仰していた天台宗に改めたというほどだ。また「上野」という地名も、当時は「忍岡(しのぶがおか)」と呼ばれていたが、高虎の領地である伊賀上野(伊勢・津藩の一部)に由来するという説もる。

畿内の大五芒星


※畿内の大五芒星

実は、畿内にもこのような地形を利用した結界があるのをご存知だろうか。

こちらはGoogleMapによって発見された都市伝説めいた情報だが、ネット上を席巻している。実際、マップ上の主要な5つのポイントを結んでみると、見事な正五芒星が浮かび上がってくる。これは一体、どういうことか。

今日、パワースポットと称される場所は多いが、それらの一部は太古から霊験あらたかなスポットとして信仰の対象とされてきたものだ。とりわけ、寺社仏閣は中世以前からの由緒を持つものが少なくなく、現代でもその霊的パワーを維持していると考えられる。

ここで結んだのは2,000千年以上前から存在するといわれる、近畿周辺の代表的な5つの聖地だ。

○天照大御神を祀る三重の伊勢神宮
○神武東征神話にまつわる和歌山県の熊野本宮大社
○イザナギが眠ると伝えられる兵庫県淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神社
○伊勢神宮より長い歴史を持つといわれる京都の外宮豊受神社
○大和武尊ゆかりの聖なる地、岐阜の伊吹山

あまりに正確なその五芒星のあり方に思わず身震いする思いである。

古代メソポタミアとの接点


【※平安時代の陰陽師が用いたといわれるセーマンドーマンの図】

古くは紀元前3,000年ころのメソポタミアで用いられてきたという五芒星。

古代シュメール人は、この星を霊的なシンボルとし、おそらくは祭祀目的で活用したものと考えられている。さらに、陰陽道では、その基本概念である木・火・土・金・水の五行を表す象徴として五芒星が用いられ、平安時代にはこれを魔除けの呪符とした。安倍晴明がよく用いたとも伝えられるほどだ。

なぜ、これほど長い歴史をまたぎ、なおかつ遠く離れた文明で共通のシンボルが使われるのか。その謎は尽きないが、洋の東西を問わず地形を利用した結界、それに類似した守りは、都市整備計画と大きく関わっているということだろう。事実、この五芒星の中心には平城京跡が存在している。

最後に

現在も平城京跡の近辺の住民たちにいわせれば「大きな災害が直撃することはほとんどない」という。結界の力なのか、それとも被災の確率が低い場所に都が置かれたのかは意見の分かれるところだろう。

しかし、それならば時代を下った江戸の街には、さらに複雑な結界が張られているのかも知れない。天海という男は、そう思い込ませるほどの力があった。

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