NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」で、アホのおっちゃんの言った「クジラの子とカッパの子」。
主人公の花田鈴子と六郎が、本当の兄弟ではないことを匂わせる意味深な台詞です。
事実、鈴子のモデル・笠置シヅ子の生い立ちはとても複雑でした。
シヅ子の出生の秘密について、史実をもとに解説します。
亀井夫妻の実の子ではなかったシヅ子
笠置シヅ子(本名・亀井静子)が出生の秘密を知ったのは、母親から頼まれ、香川の親戚の法事に参列した17歳の時でした。
シヅ子の実父、三谷陳平は香川県相生村黒羽生まれ。
三谷家は製糖業で財を成した村一番の名家で、跡取り息子の陳平は電信学校を卒業後、引田郵便局に勤務していましたが、シヅ子が生まれた翌年に25歳で亡くなっています。
実母・谷口鳴尾は陳平の5歳年下。良家の娘で、陳平の母に和裁を習いながら、三谷家で行儀見習いをしていました。
ある日、鳴尾の妊娠が発覚します。二人は結婚を望みましたが三谷家は許さず、実母は生まれたばかりのシヅ子を連れて実家へ戻ることになります。
鳴尾は乳の出が悪く、もらい乳を頼んだ相手が、里帰り出産のため帰省していた亀井うめでした。
乳を与えている間に情がわいたのでしょう。里子に出すつもりだという鳴尾に、うめは自分が引き取ると言い、自分の子と一緒にシヅ子を大阪に連れて帰ったのでした。
実母との対面
誰の17回忌かもわからず出席した法事の席で、供養されているのが実の父親で、実の母親も列席していたと知ったシヅ子は、事の詳細をうめの叔母に問いただしました。
実の母が谷口鳴尾だと知ったシヅ子は、迷った末に会いに行くことを決意します。
翌日、家を訪ねると、やせた女が6歳くらいの男の子の手を引いて出てきました。
部屋に通され、実母と向かい合って座ったものの、お互い何を話せばいいのか分かりません。
結局、鳴尾は自分が母親だということは一切語らず、二人は親子の名乗りをすることもなく別れました。
この時のことを、笠置シヅ子は自伝で次のように書いています。
“あの人は涙ひとつ見せず、私の前にきちんと座っていました。それが逆に私の心を切なくして、(中略)そこに座っていられなくなり、挨拶もせずに戸外に飛び出してしまいました。”
出生の秘密を知ってしまったことは自身の胸に秘め、大阪に戻ったシヅ子は、何も知らないふりをして両親と接し続けました。
東大総長から真実を聞かされる
1951年「東京ブギウギ」の大ヒットで一躍スターになった笠置シヅ子のもとに、東京大学総長の南原繁から「あなたの生い立ちのことで直接会って話したい」と電話がかかってきます。
取るものもとりあえず、東大へ出かけたシヅ子は、そこで初めて実父の親友だったという南原に会いました。
その頃、スターになったシヅ子の出生について、マスコミが面白おかしく書き立てるようになっていました。
「このままではシヅ子があらぬ誤解を抱いてしまう」と気に病んだ南原は、出生に関する真実をシヅ子に伝えようとしたのです。
南原繁は1889年(明治22年)生まれ。戦前から戦中にかけて軍国主義を批判し、戦後、日本国憲法や教育基本法の制定にも深く関わりました。
また、戦後最初の東京大学総長になっています。
香川県相生村(現・東かがわ市)出身の南原は、シヅ子の実父、三谷陳平とは親友でした。
南原は、「シヅ子の両親はマスコミが騒いでいるような、父が軽はずみで女中に手をつけたような関係ではなく、二人は真剣な恋愛をしていた」ということ。
「陳平は、シヅ子や鳴尾のことを25歳で死ぬまで片時も忘れなかったこと。その思いは鳴尾も変わらないはずだ」ということを静かに諭すように教えてくれたのでした。
本当の子どもと同じようにシヅ子を育てた養父母
シヅ子は17歳で自身の出自を知るまで、全く疑うことなく亀井家の娘として育ちました。
3歳で実子の正雄が病で亡くなり、その分の愛情もシヅ子に注いだのでしょう。特にうめは子供思いの優しい母親でした。
1934(昭和9)年9月、大阪湾に近い南恩加島に住んでいた亀井家を大水害が襲います。
その時シヅ子は21歳。うめとシヅ子、弟の八郎は家の2階へと避難しますが、あっという間に階段も水没。もうダメだと思ったとき、父親の音吉が隣家の屋根伝いに2階の窓から顔をのぞかせました。
すかさず八郎が駆け寄り、音吉が八郎を屋根の上に抱き上げようとすると、うめは「八郎よりシヅ子を先に」と怒鳴り、シヅ子を真っ先に逃がしてくれたのです。
その時のことを思い出すたびに泣けてくる、と後年シヅ子は語っています。
なさぬ仲であっても、いつでも一番に自分のことを考えてくれた母への感謝を、シヅ子は終生忘れることはありませんでした。
参考文献:青山誠『笠置シヅ子 昭和に日本を彩った「ブギの女王」一代記』.KADOKAWA
笠置シズ子の出生地に三谷製糖という和三盆製造販売会社があるが、ここがシズ子の実父陳平の家だったのだろうな