古代史最大のミステリー・卑弥呼

画像 : 卑弥呼の像(イメージ)
三世紀の東アジア外交に登場した女王・卑弥呼は、現在でも墓所や都も確定しておらず、謎が多い人物です。
邪馬台国はどこにあったのか。長い論争は主に畿内説と九州説の二派に大きく分かれます。
2015年、奈良・纒向遺跡から「卑弥呼の宮廷にいたかもしれない」とされる、若いメス犬の全身骨格が出土しました。
今月(2025年4月)に入り、犬の復元模型が公開され、名前(愛称)も募集されています。
また最近では、AI画像解析やDNA研究が進み、邪馬台国論争の座標軸がデジタル時代へと移行しつつあります。
今回の記事では、最新の発掘成果と最先端科学の進展から、卑弥呼の時代やその拠点に迫ります。
古代宮殿跡から発見された「一匹の犬」

画像 : 纒向遺跡 辻地区 wiki c Saigen Jiro
2015年1月、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で考古学ファンを驚かせる発見がありました。
纒向遺跡はヤマト王権発祥の地とされ、邪馬台国の有力候補地でもある広大な遺跡です。その王宮跡の一角にあたる3世紀前半の地層から、若いメス犬の全身骨格がまとまった形で出土したのです。
推定年齢は1歳半以上で、遺跡関係者はロマンを込めて「もしかしたら卑弥呼が可愛がっていた犬かもしれない」と発表しました。発見場所が女王の居館跡と考えられるため、まるで時空を超えて当時を物語る「使者」のようだと話題になりました。
発見された犬の骨は「纒向犬(まきむくいぬ)」と名付けられ、生態復元模型も製作されています。
模型を見ると、日本の在来種である柴犬より一回り大きく、現代の紀州犬や四国犬のメスに近い体格です。
また、注目すべきはその形態で、頭が小さく足が長い華奢な体つきだった点です。
従来知られている弥生時代の犬系統とは異なる特徴があり、専門家は「中国大陸や朝鮮半島から連れてこられた可能性もある」と分析しています。
纒向犬が示す、女王が住んだ都の姿

イメージ画像 犬と一緒にいる卑弥呼 草の実堂作成(AI)
なぜ纒向犬の発見が「真実を語る」と注目されるのでしょうか。
その理由は邪馬台国時代の纒向遺跡が、国内外と交流のある先進的な拠点だった可能性を裏付けるからです。
中国の史書『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼は中国(魏)に使節を送り、金印や銅鏡を賜っています。
当時、外国由来の犬が纒向で飼われていたとすれば、まさに大陸との結び付きを物語る証拠であると言えるでしょう。
纒向遺跡では他にも、3世紀の大型建物跡(東西約12m×南北約19m)が見つかっており、女王の宮殿や倉庫群の存在が示唆されています。
こうした考古学的事実は「纒向=邪馬台国(畿内説)」を強く後押しするものです。
最新テクノロジーが歴史の謎を照らす

画像 : AI イメージ
かつて考古学の調査といえば、職人芸のようにコテと刷毛を使って土を掘り、土器の欠片を丹念に調べる地道な作業でした。
しかし時代は変わり、AI(人工知能)やDNA解析などの最先端技術が考古学に革命を起こしています。
昨年(2024年)においては、山形大学の研究チームがAIを活用して南米ペルーのナスカで新たに303個もの地上絵を発見し、世界的ニュースになりました。人間の目では見落としていた微かな地表のパターンも、AI画像解析によって次々と炙り出されたのです。
このように「過去を引き寄せる」考古学の最先端として、AI、3Dマッピング、地中レーダー探査、さらには海洋考古学まで幅広い技術が駆使され、新発見が相次いでいます。
こうした最新テクノロジーが古代史研究に新たな視点をもたらし、邪馬台国が位置した時代の解明にも貢献する可能性があります。
その中でもDNA分析の進展は、古代日本人のルーツと国家形成の過程に新たな光を当てました。
2021年に金沢大学や国立科学博物館などのチームは、古墳時代(約1500年前)の人骨からDNAを抽出、解析することに成功しています。
パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造
https://www.kanazawa-u.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2021/09/210921.pdf
その結果、現代日本人の起源は従来から指摘されていた縄文人と弥生人の「二重構造モデル」では説明しきれず、3つ目の集団(古墳時代の渡来人)の存在が明確に示されたのです。
具体的には、古墳時代の人骨には縄文人・弥生人には見られない東アジア大陸系の新たな遺伝的特徴が検出され、現代日本人にも受け継がれていることが判明しました。
研究チームは「日本人は縄文・弥生・古墳人の三重の祖先を持つ」という新説を提唱し、学界に大きなインパクトを与えています。
考古学の長年にわたる定説がDNAという分子レベルの証拠によって塗り替えられつつあるのです。
科学がもたらす「邪馬台国論争」へのインパクト

画像 : 邪馬台国(イメージ)
AI解析やDNA分析の成果は、邪馬台国論争にどのような「一石」を投じているのでしょうか。
まずDNA分析の知見から言えるのは、3世紀前後の日本列島で人の大規模移動や交流が起きていた可能性が高いことです。
卑弥呼が活動した弥生時代末~古墳時代初頭は、まさに稲作農耕民に続いて大陸から新たな技術や集団が流入し、古代国家が形成されるダイナミックな時代でした。古墳時代の渡来系集団の存在は、畿内におけるヤマト王権成立に深く関与したと考えられます。
邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡から大陸系の「纒向犬」が見つかったことは、DNA分析が示す歴史像と合致しています。
つまり、邪馬台国の台頭において、外来の人々や文化の流入が大きく影響した可能性が指摘できるのです。
さらにAIやリモートセンシング技術は、邪馬台国論争の舞台となる考古遺跡の調査手法を変えつつあります。日本各地の遺跡分布データをAIで分析すれば、3世紀当時の集落ネットワークや移動経路のパターンが見えてくるかもしれません。
『魏志倭人伝』には邪馬台国までの行程が記されており、その方角や日数の記述は長年の謎を解く鍵とされています。こうした行程に関して、AIを用いたシミュレーションによって複数の経路を仮説的に検証する研究が将来的に期待されます。
考古学とデジタル技術の融合はまだ始まったばかりですが、新しい技術の融合が邪馬台国論争に新展開をもたらす可能性を秘めているのです。
参考文献:藤尾慎一郎(2021)『日本の先史時代 – 旧石器・縄文・弥生・古墳時代を読みなおす』中央公論新社
文 / 村上俊樹 校正 / 草の実堂編集部
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