平安時代

よく見てるね人のこと…『紫式部日記』に記された同僚たちへの観察眼【光る君へ】

「あなたが気にするほど、人はあなたのことなんか見てないし、関心もないよ」

とは誰が言ったか、筆者も他人様のことについては、あまり興味も関心もありません。

だからあなたも他人からの目なんて気にせず、法と公序良俗の許す範囲でのびのびやって下さい……とは思います。

しかし、意外と「見てる人は見てる」のもまた事実。

ましてやそれを陰で言いふらされたり、どこかに書かれたりしたらどうでしょう。

歌川国貞「本朝名異名女図鑑」

今回は平安時代の女流作家・紫式部(むらさきしきぶ)の書いた『紫式部日記』より、彼女から見た同僚たちの様子を紹介。

細やかな観察眼に感心させられる一方で、当時の女性たちが彼女の視線を恐れたであろうことが偲ばれます。

人のことを言うのははしたないけど……

このついでに、人のかたちを語りきこえさせば、ものいひさがなくやはるべき。ただいまをや。さしあたる人のことは、わづらはし、いかにぞやなど、すこしもかたほなるは、いひはべらじ。

【意訳】ついでと言ったら何だけど、皆さんのルックスについてお喋りなんかしたらはしたないでしょうか。それも現代人のことならなおさら……万が一知られて困る人のことはやめときましょう。それと、人の欠点については言わないことにします。

……これ、日記ですよね?誰に言ってるのでしょうか。そう、彼女の独り言です。あるいは万が一誰かに見られた(たとえば藤原道長あたりに盗まれた)場合に備えて「これは創作です」と言い訳できる予防線を張ったのでしょうか。

「人のことをあれこれ言うなんてはしたないよね」とか言いながら、どうしても言いたい欲が抑えきれず「特に親しくもない人について、美点を褒めるなら差し障りないでしょう」と言い訳して一人品評会を始める紫式部。

ここに名前が挙がっている人は「とりあえず褒められているけど、親しいとは思われていない」ことになり、また挙がっていない人は「陰でさえ言いはばかられる欠点があると思われている」ことになり、誰が読んでもあまり嬉しくない内容となっています。

まぁ、日記だからいいんですけどね。藤原道長が盗みでもしなければ(道長はよく彼女の『源氏物語』原稿を盗んだとか)。

第1ターゲット・宰相の君

宰相の君は、北野の三位のよ、ふくらかに、いと様態こまめかしう、かどかどしきかたちしたる人の、うち見たるよりも、見もてゆくに、こよなくうちまさり、らうらうしくて、口つきに、恥づかしげさも、にほひやかなることも添ひたり。もてなしいとびびしく、はなやかにぞ見えたまへる。心ざまもいとめやすく、心うつくしきものから、またいと恥づかしきところ添ひたり。

【意訳】宰相の君……北野三位の方です。彼女は豊かで細やかに整った体形で、お顔立ちはとても知性的。パッと見よりも何度も会ううちに魅力がわかってくるタイプで、かわいらしい口元に気品と愛嬌が調和しています。立ち居振る舞いは美々しく華やか。気立てはやさしく穏やかな反面、時に凛とした気品で気後れしそうになることも。

……紫式部の知り合いに宰相の君と呼ばれる女性が複数(少なくとも2名)いるうち、北野三位(きたののさんみ。藤原遠度)の娘を指しているようです。

宰相の君(イメージ)

それにしても褒めちぎってますね。記述から何度か会っていることがわかるものの、よく見ているというか、あるいは「あまり見ていなくても書けそうな内容」とも言えるでしょうか。

あるいは京都人の嫌味よろしく「褒めているようで実はけなしている」パターンかも知れません。

例えば「かどかどしきかたち(知性的な顔立ち)」は「勝ち気そう」、「見もてゆくに、こよなくうちまさり(会うたびに魅力がわかってくる)」は「パッと見がショボい」、そして「もてなしいとびびしく、はなやか」は「動作が大きくガサツ」……など。

冒頭の「すこしもかたほなるは、いひはべらじ(少しでも欠点のある人については言わない)」という文言は、もしかして「欠点を欠点として言わない≒うまく言い換える」という宣言なのかも知れません。

そういう目で読み直すと、やはり紫式部のじっとりした視線が感じられます。気のせいでしょうか。

第2ターゲット・小少将の君

小少将の君は、そこはかとなくあてになまめかしう、二月ばかりのしだり柳のさましたり。様態いとうつくしげに、もてなし心にくく、心ばへなど、わが心とは思ひとるかたもなきやうにものづつみをし、いと世を恥ぢらひ、あまり見ぐるしきまで児めいたまへり。腹ぎたなき人、悪しざまにもてなしいひつくる人あらば、やがてそれに思ひ入りて、身をも失ひつべく、あえかにわりなきところつりたまへるぞ、あまりうしろめたげなる。

【意訳】小少将の君は、そこはかとなく艶やかな美しさ、喩えるなら二月のしだれ柳と言ったところでしょうか。奥ゆかしい振る舞いがスタイルのよさを引き立て、まるで自分の意思がないかのような慎ましさ。ただ自信がなさすぎるのか、あまりにも子供っぽいところが見るに忍びないほど。もし彼女に意地悪をする人がいて、誹謗中傷でもされたらそれを気に病んで死んでしまうんじゃないかと思えるほど弱々しくて、さすがにちょっと気がかりです。

……早くも欠点を論(あげつら)っているように見えます。いえ、これはきっと紫式部の激励です。そうに決まっています。一言にまとめるなら「しっかりしなさい!」といったところでしょうか。

小少将の君(イメージ)

男性からの視点で見ると「放っておけない、守ってあげたくなるか弱げな美女」であった小少将の君ですが、何となく同性からは嫌われそうな気がしてなりません。

きっとその周囲には「腹ぎたなき人」が「悪しざまにもてなし」たることも少なくなかったことが想像できますね。

果たして紫式部はどちらに与したのか……恐らくは傍観を決め込んでいたのでしょう。そもそもここに挙がっている時点で、そんなに親しくないようですから。

第3ターゲット・宮の内侍

宮の内侍ぞ、またいときよげなる人。丈だちいとよきほどなるが、ゐたるさま、姿つき、いとものものしく、いまめいたる様態にて、こまかに、とりたててをかしげにも見えぬものから、いとものきよげに、そびそびしく、なか高き顔して、色のあはひ白さなど、人にすぐれたり。頭つき、かんざし、額つきなどぞ、あなものきよげと見えて、はなやかに愛敬づきたる。ただありにもてなして、心ざまなどめやすく、つゆばかりいづかたざまにもうしろめたいかたなく、すべてさこそあらめと、人のためしにしつべき人がらなり。えんがりよしめくかたはなし。

【意訳】宮の内侍は実に清楚なお方。背丈はちょうどいい感じで、座っている姿は堂々として現代的。あまり趣は感じませんが、目鼻立ちがすらっと整い、色白なので長い黒髪と調和してよく映えます。頭部の各パーツも形よく華やかで可愛らしく素敵です。誰とでも自然に接する態度と裏表のない気立てのよさでみんなに好かれ、何につけてもお手本にしたいもの。変に通ぶったり思わせぶったりしないところも好印象ですね。

……小少将の君から(人の欠点を挙げないという当初の趣旨へ)軌道修正を図ろうと思ったのか、宮の内侍は基本的に褒め倒しています。

宮の内侍(イメージ)

「いまめいたる(今どきの流行りっぽい。※大体こういう文脈で使う時はネガティブなニュアンス)」「とりたててをかしげにも見えぬ(特に趣も感じない)」などと若干加えているものの、恐らく誤差の範囲でしょう。

とりあえず文中「きよげ(清楚、爽やか等)」という表現が三度出てきており、よほどすがすがしい印象を与える女性であったことはよく分かりました。

特に最後の「えんがりよしめく(縁がり≒通ぶる、由めく≒思わせぶる)」は本心なのではないでしょうか。書いている時、そういう人物に辟易していたのかも知れませんね。

終わりに

とまぁこんな具合に、紫式部の人物評は続いていきます。

月岡芳年「古今姫鑑 紫式部」

「人の欠点は書かない」と制約を加えておきながらこの状態ですから、彼女が筆を解放したらどうなるか……まぁライバル?とされる清少納言(せい しょうなごん)評のようになるのでしょう。

令和6年(2024年)NHK大河ドラマ「光る君へ」では、紫式部の観察眼がどこまで鋭く光るのでしょうか。もしかしたらタイトルには「(観察眼が)光る、君へ(君に対して)」という意味が込められているのかも知れません(たぶん違います)。

彼女の観察眼があってこそ平安文学の最高傑作『源氏物語』が生まれたのでしょうが、もし紫式部みたいな人が身近にいたら、ちょっと苦手かも知れません。

※参考文献:

  • 石井文夫ら訳・校註『新編日本古典文学全集26 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』小学館、1994年9月
  • 海野凪子ら『日本人なら知っておきたい日本文学 ヤマトタケルから兼好まで、人物で読む古典』幻冬舎、2011年8月
角田晶生(つのだ あきお)

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