国際情勢

かつて安倍元首相が掲げた「インド太平洋構想」の課題とは?

近年、安全保障の専門家やメディアの間で、「インド太平洋」という言葉が流行っている。

その正式名称は「自由で開かれたインド太平洋戦略(Free and Open Indo- Pacific Strategy:FOIPS)」と呼ばれるが、これは2016年8月に安倍首相がケニアで開催中のアフリカ開発会議(TICAD)で打ち出した外交戦略である。

この戦略は、

① 法の支配、航行の自由などの基本的価値の普及・定着

② 連結性の向上などによる経済的繁栄の追求

③ 海上法執行能力構築支援などの平和と安定のための取り組み

以上の3つを柱としている。

そして最近は、債務帝国主義とも揶揄される「一帯一路構想」に基づいて自らの影響力拡大を狙う中国を、自由や人権という既存の原則やルール、価値観に従うよう促すことも目的とされている。

自由や人権、民主主義という普遍的な価値観を共有する我が国からすると、FOIPSは非常に崇高なビジョンを掲げた外交戦略であり、このような目標が現実のものとなることを願って止まない。

しかし、FOIPSの議論が研究者や実務家の間で進む中、それが直面するいくつかの課題も出てきている。

インド太平洋構想

画像 : インド太平洋 public domain

第一に、米中による覇権争いが高まるにつれ、この戦略は“協力的側面”より“競争的側面”が強くなっている。

日本も、「FOIPSは台頭する中国を念頭に置いたものではない、一帯一路と競合するものではない」との姿勢を示しているが、海洋進出など中国の覇権的行動が顕著になるにつれ、FOIPSは中国の海洋進出を許さないとする“競争的”な意味合いが強くなってきている。

またそれと同じように、FOIPSは経済や開発、人材育成などソフトな側面を強く打ち出しているが、大国の競争激化によって、軍事・安全保障などハードな側面が色濃くなってきている。

第二に、FOIPSによるASESNの存在意義である。

地理的に、東南アジアは太平洋とインド洋のちょうど真ん中に位置するが、それによって東南アジアの地域的枠組みであるASESNの立ち位置はどうなるのかといった懸念の声が、東南アジア各国から出始めている。
FOIPSはもともと、米国と日本、オーストラリアとインドの4カ国を軸とした「安全保障のダイヤモンド構想」に由来しているが、中国の浸透も重なって、大国に囲まれる東南アジア各国からは、ASEANのアイデンティティが薄まるのではないかとの心配する声が聞かれる。

また、東南アジアの中でも、中国と南シナ海の領有権問題で対立するフィリピンやベトナムのような国もあれば、中国からの経済支援に深く依存するラオスやカンボジアのような国もあり、地域一体となって反中というわけではなく、FOIPSも対する消極的な声もないわけではない。

第三に、FOIPSの軸となるのは米国と日本、オーストラリアとインドであるが、国によって考え方に少なからずの違いがある。

米国や日本などは、中国を念頭にFOIPSを進めていくことに積極的な姿勢を示しているが、例えば、インドのモディ首相は数年前、シンガポールで開催されたアジア太平洋安全保障会議の演説で、FOIPSを歓迎する一方、限られた国々によるクラブではないとの姿勢を示した。

また、インドは過去にオーストラリアが日米印の合同軍事訓練「マラバール」に参加を要請した際に、それを拒否したことがある。

自由で開かれたインド太平洋を主張する安倍元総理

画像 : 安倍晋三 内閣広報室より公表された肖像 wiki c

この姿勢については筆者も実体験がある。

数年前、4カ国の専門家が集まる国際会議に3日間参加したが、FOIPSの話になった際、インドの専門家はその重要性に理解を示す一方、FOIPSの構想に過剰に巻き込まれることへの懸念を示していた。

FOIPSという理想については多くの国が賛同しているが、その各論をどう進めていくかが今後の課題である。

米中対立の行方によっては、FOIPSのハードな側面がさらに強調されるようになり、軸となる4カ国間での隔たりが一層大きくなることも予想される。

文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部

アバター

エックスレバン

投稿者の記事一覧

国際社会の現在や歴史について研究し、現地に赴くなどして政治や経済、文化などを調査する。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 『すぐそこに迫る脅威』北方領土にロシア軍事基地拡張の兆し 〜日本…
  2. 『世界激震のトランプ相互関税』カンボジアやベトナムなどASEAN…
  3. 中国にとって台湾侵攻が困難な理由とは?気象条件、地形、軍事力不足…
  4. 近年の中国・オーストラリア関係を振り返る 〜悪化した中豪関係
  5. 【北朝鮮は招待、なぜ台湾は外された?】被爆80年目の長崎平和祈念…
  6. 『中国の狙いはこれ?』戦わずに台湾を制圧する“海上封鎖”戦略とは…
  7. 中国はなぜ「尖閣諸島」を狙い続けるのか? 3つの理由
  8. 中国が日本産水産物の輸入を再開へ ~なぜ今?背後にある3つの狙い…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

体外離脱の体験談、信じてよい? 「歌手Tさんの幽体離脱体験」

世の中にあまたある「超常現象」。ビートたけしさん司会で、超常現象否定派と肯定派が激論を戦わせ…

フランス革命に散った王妃マリー・アントワネットの愛人・フェルセン伯爵のラブレター、解読に成功

報道によると2020年6月3日、フランス王妃マリー・アントワネット宛てに出された彼女の愛人・フェルセ…

小田原の松原神社例大祭に行ってきた

東京から車で約1時間。神奈川県小田原市のゴールデンウィークは、他の街とは違う賑わいを見せる。…

結局ダメ・・・【漫画~キヒロの青春】78

先週は風邪を引いてしまい、更新できずにすみませんでしたm(_ _)m数年ぶりに風邪ひ…

身柄確保!【漫画~キヒロの青春】88

みなさんお盆休みはどう過ごされましたか?僕はPCにばかり向かってました(笑)それとこ…

アーカイブ

PAGE TOP