思想、哲学、心理学

【ナチスに兄を売った?】ニーチェの妹の「狂気の理想郷」とねじ曲げられた思想

「神は死んだ」

この衝撃的な言葉を残したのが、19世紀ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェである。

彼の思想は、その過激な表現と根源的な問いによって、後世の哲学、文学、そして政治思想にまで多大な影響を与えた。

だがその影響力ゆえに、ニーチェの思想はしばしば都合よく解釈され、ときにファシズムやナチズムのイデオロギーに利用されることもあった。そして、こうした“誤用”の背景にしばしば浮かび上がる人物がいる。

ニーチェの実の妹、エリーザベト・フェルスター=ニーチェである。

兄の名声と著作権を一手に握った彼女は、後にナチス・ドイツと接近し、兄の思想を政治的に“活用”させた人物として批判されてきた。果たして彼女は、本当に兄の哲学をナチズムに売り渡したのだろうか。

今回は、エリーザベト・ニーチェの生涯をたどりつつ、その功罪と実像に迫りたい。

シュタイナーとの関係

画像:エリーザベト・ニーチェ(1894年頃) public domain

1846年、エリーザベト・ニーチェはドイツのライプツィヒ近郊に暮らす裕福な家庭に生まれた。

父のカールはルター派の牧師で元教師、母フランツィスカは敬虔な信徒の家庭出身であった。
彼女の兄が、のちに著名な哲学者として知られるフリードリヒ・ニーチェである。

幼少期のエリーザベトは兄と非常に親しく、兄もまた妹を愛情深く見守っていた。
兄は冗談交じりに彼女の頑固さや気難しさを、唾を吐くラマにたとえて「ラマ」というあだ名で呼んでいた。この愛称は二人の間で長年使われ続けたという。

エリーザベト自身は哲学的な素養を持っていたわけではないが、兄の思想がヨーロッパ各地で注目されるようになった1890年代初頭、自らもその理解を深めようと試みた。

1895年から1896年頃、彼女は若き日のルドルフ・シュタイナーを家庭教師として招いたのだ。

シュタイナーはのちに、人智学(アントロポゾフィー)を唱える思想家として知られる人物である。

画像:ルドルフ・シュタイナー(1900年) public domain

しかし、両者の関係は長続きしなかった。

シュタイナーは後年、エリーザベトについてこう語っている。

あの人の考え方には論理的一貫性がこれっぽっちもない。
そして客観性というものについての感覚も持ち合わせていない……
どんなときでも自分の言ったことは完全に正しいと思っている。
昨日は間違いなく赤かったものが、今日は青かったと確信しているのだ。

(ベン・マッキンタイアー『エリーザベト・ニーチェ』白水社、1994年、p.221 より引用)

シュタイナーはすぐに指導を打ち切り、ニーチェ家を去った。

その後もエリーザベトは兄の思想を正確に理解することなく、むしろ自らの価値観に沿って恣意的に解釈していくことになる。

この姿勢は後年、彼女が編纂・出版した『権力への意志』にも強く反映されていくこととなる。

「反ユダヤ主義」のフェルスターと結婚

画像:フェルスターが参加した反ユダヤ主義団体『ベルリン運動(ドイツ語版)』の面々。左手から2番目がフェルスター public domain

兄妹は成人後も友好関係を維持していたが、エリーザベトの結婚を機に関係は悪化してしまうこととなる。

彼女が1885年に結婚した相手は、元高校教師で過激な反ユダヤ主義者として知られるベルンハルト・フェルスターであった。
民族主義と反ユダヤ主義に強い嫌悪感を抱いていた兄フリードリヒ・ニーチェは、この結婚に強く反対していた。

兄は最終的にフェルスター夫妻と断絶し、結婚式にも姿を見せなかった。
後年の書簡草稿では、妹が反ユダヤ主義運動と手を切っていないことに強く失望し、「お前に対する俺の愛もこれまでだ」と激しい言葉で縁を切っている。

一方、フェルスターは義兄との確執を気に留める様子もなく、自らが抱く理想の実現に没頭していた。

彼の構想とは、ヨーロッパの「堕落」から逃れた純粋なアーリア人たちによる共同体を、ユダヤ人の影響を受けていない新天地に築くというものであった。

さらにその社会は菜食主義を基盤とし、精神的にも肉体的にも「健全な生活」を追求するユートピアであるとされた。

やがて夫妻は、この理想の実現に向けて本格的に動き出すことになる。

パラグアイの理想郷「新ゲルマーニア」

画像:南米パラグアイ。ちょうど「グ」の文字あたりに新ゲルマーニアを設立した。

フェルスター夫妻が理想とする「純粋なアーリア人による共同体」の建設地として選んだのは、南米パラグアイの奥地であった。

夫妻は、この理想郷を「新ゲルマーニア(Nueva Germania)」と呼んだ。

そして、半ば詐欺のような手口で有志を募り、同調するドイツ人家族に移住を呼びかけた。

1887年2月、フェルスター夫妻とともに14戸の家族がドイツを出発し、パラグアイへと向かった。
最終的には40世帯前後が参加したとされるが、その実態は極めて困難なものだった。

新天地は高温多湿な気候に加え、ドイツ式農法には適さず、土地も痩せていた。さらに、交通は不便でインフラも未整備であったため、入植者たちは厳しい生活を強いられたのである。

加えて、一部の証言によれば、他の移住者たちが粗末な小屋に暮らし、乏しい食糧に耐えていたのに対し、フェルスター夫妻は比較的快適な住居を構え、菜食主義を掲げていたにもかかわらず肉食をしていたという。

このような状況に対する不満も重なり、入植者の中には早々に帰国する者も現れた。

理想郷の崩壊は時間の問題だった。

経済的困窮と健康問題に苦しんだフェルスターは、1889年6月3日、服毒自殺によって命を絶った。

彼の死をもって新ゲルマーニアは事実上の崩壊を迎え、エリーザベトは1893年にドイツへ帰国した。
表向きの理由は、精神を病んだ兄フリードリヒの看病であったが、事実上、失敗からの撤退であったことは疑いない。

その後も新ゲルマーニア自体はパラグアイの地に残り続けたが、エリーザベトが再びその地を訪れることはなかった。

改ざんされた?『権力への意志』

画像:フリードリヒ・ニーチェ(1882年) public domain

帰国後のエリーザベトが目を付けたのは、すでに精神を病み言葉も交わせない状態にあった兄、フリードリヒであった。

1890年代初頭、彼の著作はヨーロッパの知識人層を中心に徐々に注目され始めており、エリーザベトはその名声の高まりを商機と見たのである。

1894年、彼女はワイマールに「ニーチェ文庫(Nietzsche-Archiv)」を設立し、兄が残した草稿や遺稿を編纂して公刊する作業に乗り出した。

その中心となったのが『権力への意志』である。

この書物は、ニーチェ自身が生前に構成・出版を意図していた著作ではなく、エリーザベトの監督のもと、遺稿の断片を編集・構成したものであった。

しかし、先述したようにニーチェ哲学を理解していなかった彼女の編纂作業には、多くの問題点が指摘されている。

編集の過程で草稿の選別・配列に恣意性が見られたほか、内容の一部が削除・修正されていた可能性があるという。
特に、ニーチェが一貫して反対していた反ユダヤ主義的傾向が強調された点については、戦後の学術研究で厳しく批判されている。

こうした再構成が、後にニーチェ思想とナチズムとの結び付けを生む素地となったことは否定できない。

画像:ヒトラーを迎え入れるエリーザベト public domain

1933年にナチスが政権を掌握すると、ニーチェ文庫は政府から資金的・広報的支援を受けるようになった。

エリーザベトは、この体制下で兄の名声を体制に利用させることを黙認、あるいは積極的に支援したと見られている。
もっとも、彼女自身がナチ党に入党した記録はなく、1918年から保守的なドイツ国家人民党に属していたことが確認されている。

1935年にエリーザベトが死去すると、その葬儀にはアドルフ・ヒトラーをはじめとするナチ党幹部が出席した。

彼女の死により、ニーチェ思想とナチズムの不幸な誤読は、さらに広がりを見せていくことになる。

おわりに

画像 : エリーザベト・フェルスター=ニーチェ、1894年頃 public domain

実の妹によって捻じ曲げられたニーチェの思想は、結果として、彼が最も忌み嫌っていた国家主義や反ユダヤ主義と結びつけられ、ファシズムに利用されることとなった。

だが皮肉なことに、ニーチェの思想が後世に広く知られるきっかけを作ったのも、まさに彼女の働きであった。著作の出版、アーカイブの創設、膨大な宣伝活動を通じて、ニーチェの名と思想は広範な読者層に届いた。

エリーザベトがいなければ、ニーチェの思想が歪められることはなかったかもしれないが、同時に彼の名がこれほどまでに広く知られることもなかっただろう。

彼女の存在は、ニーチェという存在を偽りながらも支えた、矛盾に満ちた媒介者であった。

参考 : 『エリーザベト・ニーチェ』著/ベン・マッキンタイア―
文 / 小森涼子 校正 / 草の実堂編集部

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