
画像:『ヴィクトリア女王の結婚式』 ジョージ・ヘイター画 (1840年) public domain
結婚式を迎える花嫁にとって最も大切なアイテム、ウェディングドレス。
そして花嫁を大いに悩ませるのもまた、ウェディングドレスではないだろうか。
洋装にするか、それとも和装にするか、デザイン、丈、素材など、花嫁が結婚式に着る衣装には様々な選択肢がある。
さらには「白は200色ある」などといわれてしまえば、それこそ選択肢は無限大だ。
ウェディングドレスと聞けば誰もが想像する「純白のドレス」を世界的に広めたのは、あの大英帝国に君臨した「ヴィクトリア女王」だったという。
彼女が結婚式を挙げたのは1840年2月10日のことだが、それ以前に結婚した花嫁たちはどんな衣装を身にまとっていたのだろうか。
今回は、結婚の女神ジュノーが守護する6月にちなみ、結婚式を描いた名画を手がかりに、初期ルネサンスからのウェディングドレスの歴史に触れていこう。
目次
15世紀の重厚なウェディングドレス
まず紹介するのは、15世紀の北ヨーロッパにおいてもっとも重要な画家の1人とされる、ヤン・ファン・エイクが1434年に描いた『アルノルフィーニ夫妻像』という作品だ。

画像:『アルノルフィーニ夫妻像』 ヤン・ファン・エイク画 (1434年)public domain
裕福なイタリア人商人とその妻をモデルとして描いたとされるこの絵が、結婚式の場面を描いたものであるかどうかは意見が分かれる。
しかし、少なくとも2人が身にまとっているのは当時最高級とされた特別な衣装であり、男性が向かって左、女性が右という立ち位置も15世紀頃の伝統的な結婚式を意味しているとされる。
女性が身にまとっている厚手のドレスは深い緑色で、シロテンの毛皮が縁取りとしてあしらわれ、袖には波状の飾りが施されており、スカート部分には長いトレーンがついている。
頭に被っているのは、当時人気があったフリル付きの頭巾だ。
花嫁が頭にベールや頭巾を被るのは、古代ローマや古代ギリシャ時代から続く慣習であったが、ゴシック様式の完成期であった15世紀初期には、この絵の女性のようにこめかみの髪を角形に結い、その上から頭巾を被るスタイルが流行した。
15世紀頃のヨーロッパには明確な結婚式用のドレスは存在せず、花嫁は家格や身分、財産に応じて、用意できる範囲で最上級の衣装やアクセサリーを身につけていた。
特に上流階級の女性や、裕福な家の娘が結婚する時は実家の財力や地位を示すために、赤、青、緑など華やかな色に染め上げたシルクやベルベット製の生地に、金糸や銀糸で模様や家紋の刺繍を施した、豪奢なドレスを着させていたという。
イタリア・ルネサンス後期のウェディングドレス

画像:『カナの婚礼』パオロ・ヴェロネーゼ画 (1562年 – 1563年) public domain
16世紀中頃にはイタリア・ルネサンスは終盤となり、マニエリスムの時代が訪れた。
マニエリスムとは、16世紀中頃に現れた美術様式で、均整を重んじたルネサンスに対し、ポーズや構図が誇張され、洗練された表現が特徴とされる。
当時ヴェネツィアで活躍していた画家パオロ・ヴェロネーゼの代表作『カナの婚礼』は、ガリラヤのカナで行われた結婚式に参列したキリストが、水をワインに変える奇跡を起こしたという聖書の逸話を描いた名画である。
この作品において、花嫁と花婿は画面左下の末席に描かれている。

画像:画面左下に描かれた新郎新婦。 public domain
結婚式の列席者たちがまとっているのは、16世紀のルネサンス社会で流行したアジア=オリエント風の豪奢な衣装だ。
花嫁が着ている白地に青い大ぶりな模様が描かれたドレスは、主にイタリアで生産されていたダマスク織の生地で仕立てられたものと考えられる。
当時、理想的な美女の条件は「白い肌と蜜色のブロンド」とされていた。
理想的な容姿を持つこの花嫁は、高級な生地を用いた上質なドレスをまとい、大ぶりな真珠や重そうな金と宝石で作られた、贅沢なアクセサリーを身につけている。
服飾史において「宝石」の時代といわれる16世紀の上流階級の花嫁は、贅を尽くした衣装と装飾品で、これでもかというほど華やかに着飾っていた。
『カナの婚礼』の花嫁の衣装は白地に青い柄が入っているが、まだ繊維の漂白技術が発達していなかった当時、白を基調とする布地を用いたドレスは最高級品だった。
嫁いでいく娘に最高級品を着せたのは、もちろん家長が実家の力を世間に知らしめるためだ。
この頃の上流階級の結婚式における花嫁の衣装も、父親が自らの財力や権力を世間に誇示するために重要なものだったのである。
16世紀の農民の婚礼衣装
16世紀頃、上流階級の花嫁は豪華なドレスや宝石を身につけていたが、農民の場合はどうだったのだろうか。
ブラバント公国出身の画家であるブリューゲルが描いた『農民の婚宴』は、ベルギー地方の農民の伝統的な結婚式の様子を描いた作品だ。

画像:『農民の婚宴』ピーテル・ブリューゲル画 1568年頃、美術史美術館。public domain
この作品において花嫁とされるのは、壁に張られた緑の幕の前の席に座っている、長い茶色の髪を結わずに自然に垂らした女性である。
当時の農民の女性は、結い上げた髪に頭巾などの被り物を被る習慣があったが、花嫁に限っては被り物をしなかった。
農民たちは、王族や貴族のような豪華なドレスを持っていなかったので、結婚式の際には手持ちの衣装の中でもっとも上等で清潔なものを着ていたという。
『農民の婚宴』に描かれた花嫁は、グリーンの下着の上に黒いローブを重ねて着ている。
黒や暗色の婚礼衣装は、16世紀後半にスペイン宮廷で流行し始めた。
汚れが目立ちにくく手入れもしやすいことに加え、慶事以外の祝祭日にも着回せる実用性から広く受け入れられ、やがて国籍や身分を問わず、結婚式の衣装としても広く用いられるようになったという。

画像:『田舎の婚礼』ヤン・ブリューゲル画 (1612-1613) プラド美術館 public domain
ブリューゲルの息子であるヤンが描いた『田舎の婚礼』には、婚礼の楽団と聖なる火を灯した松明を持つメイドの後に連なって歩く、黒を基調とするドレスを着た花嫁の姿が描かれている。
黒いウェディングドレスの流行の背景には、16世紀の宗教改革の影響もある。
カトリックに由来する華やかで色鮮やかな衣装が敬遠されるようになり、代わって簡素で落ち着いた色合いの衣装が好まれるようになったのだ。
白いウェディングドレスを流行らせた『ヴィクトリア女王の肖像』

画像:『ヴィクトリア女王の肖像』 フランツ・ヴィンターハルター画 (1847年) アルバート公への結婚記念日の贈り物として描かれた肖像画。 public domain
16世紀末にスペイン宮廷から始まった黒いウェディングドレスの流行は、1900年頃まで続いたという。
当時は黒いドレスに白いベールを被るスタイルが人気だったが、1837年に弱冠18歳で英国女王に即位したヴィクトリア女王は、1840年に挙行した自らの結婚式で、当時婚礼衣装として着られることは稀だった「純白のドレス」を着用した。
ヴィクトリア女王とその夫であるアルバート公は、きっかけこそは政略的であったものの、当時の王侯貴族としては異例の恋愛結婚で結ばれた夫婦である。
彼女が白いドレスを選んだ理由については、いくつかの説がある。
ひとつは、自国のレース産業を支援する意図で、白がレースを最も美しく引き立てる色だったこと。
また、純白のドレスは高級品であり、イギリスの優れた技術力を内外に示す衣装としても適していた。
さらに、装飾に贈り物のジュエリーや生花を使うことで、贅沢を避ける新しい王室の姿勢を印象づける意図もあったとされている。
さらに、白というけがれのない色は、生まれて初めて恋に落ちた男性と結婚する喜びにあふれた、自身の少女のような無垢な心を表すのにふさわしいと、ヴィクトリア自身が考えていたともいわれている。

画像:ヴィクトリア女王が結婚式で着用したウェディングベールとオレンジの花冠(1889-1891年頃撮影) public domain
ヴィクトリアは、イングランド産のホニトンレースをふんだんにあしらった純白のサテン地のドレスに、豊穣と多産を象徴し、アルバートとの思い出の花でもあるオレンジの花を飾り付けた。
アクセサリーには、白いドレスに調和するよう、トルコのスルタンから贈られたダイヤのネックレスとイヤリングを選び、胸元にはアルバート公からサムシングブルーとして贈られたサファイアのブローチをつけて結婚式に臨んだ。
頭には女王として被る王冠ではなく、愛する人の花嫁としてしおれないように蝋で加工したオレンジの花冠を被り、結い上げた髪にはドレスにあしらったレースに合わせて仕立てたベールをつけた。
ヴィクトリアは、アルバートに先立たれてからは喪に服すため、常に黒いドレスを身にまとうようになったが、結婚式で着用したベールは節目の場面で繰り返し使われ、女王在位60周年の記念写真でも着用されている。
そのベールは、ヴィクトリアの最期にも用いられた。
崩御の際、60年にわたり愛用したそのベールで顔を覆われて棺に納められ、ウィンザー城の離宮フロッグモアに自ら建てた霊廟で、先に旅立っていたアルバート公の隣に葬られた。
19世紀以降定番になった白いウェディングドレス

画像:『婚礼』アンリ・ルソー画 (1905年) public domain
ヴィクトリア女王が結婚式で白いドレスを着用してからすぐに、流行に敏感な富裕層の娘たちは、白いウェディングドレスを自らの結婚式で取り入れるようになった。
その後、工業の発展によって白いドレスが手頃な価格で仕立てられるようになると、ルソーが代表作『婚礼』に描いたように、市民階級のあいだにも「ウェディングドレスといえば白」という慣習が広まり、定着していったのだ。
そして西洋文化が世界中に広まったことにより、日本などアジアの国々でも花嫁たちが白いウェディングドレスを着るようになった。
日本においては、1873年に磯部於平(いそべ おつね)という女性が、長崎で英国籍の中国人男性と西洋式の結婚式を挙げた際、日本人として初めて白いウェディングドレスを着たとされている。
彼女のドレスは、海外から取り寄せた舶来品だったという。
多様性や個人の意思が尊重されるようになった現代では、ウェディングドレスや婚礼衣装は、花嫁が晴れの日を迎える自分自身を表現するための、象徴的な衣装となっている。
ウェディングドレスという衣装には、その時代ごとの人々の結婚観が色濃く反映されているのだ。
20年後、50年後、さらに100年後の未来では、はたしてどんなウェディングドレスが花嫁たちの門出を彩るのだろうか。それは皆さんのご想像に任せることにしよう。
参考 :
坂井 妙子 (著)『ウエディングドレスはなぜ白いのか』
永井 龍之介 (監修)『世界最高の美術館と名画100 ビジュアルで身につく「大人の教養」』
池上 英洋 (著), 川口 清香 (著), 荒井 咲紀 (著)『よくわかる名画の見方』
文 / 北森詩乃 校正 / 草の実堂編集部
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