
画像 : グランドツアー中のジェームズ・グラントら貴族の子弟 public domain
17世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパ、特にイギリスの上流階級の間では、「グランドツアー(Grand Tour)」と呼ばれる長期の海外旅行が盛んに行われていました。
これは若い貴族や富裕層の子弟が、成人を迎える前に経験すべき通過儀礼の一つとされ、古典文化や美術、外国語、そして国際的な社交マナーを身につけることを目的としていました。
この旅行は単なる観光ではなく、学問や社交性、審美眼を身につける「教育の集大成」としての側面を持っていました。
彼らはフランス、イタリア、ドイツなどを中心にヨーロッパ大陸を数か月から数年かけて巡り、多くの知識と経験を持ち帰ったのです。
今回は、その歴史的背景に詳しく迫ります。
人間力を高める旅

画像:初めて「グランドツアー」という表現が用いられたリチャード・ラッセルズの著書 public domain
グランドツアーの起源は、16世紀のルネサンス期までさかのぼります。
当時は人文主義がヨーロッパ各地に広まり、古代ギリシャやローマの文化・教養を学ぶことが上流階級の理想とされていました。
イタリアの学者ピコ・デラ・ミランドラ(1463年–1494年)やエラスムス(1466年–1536年)といった人文主義者たちは、「古典の知識を学ぶことが人間をより高める」と説いています。
こうした考えが17世紀になると、貴族教育の一環として形づくられていきます。
特にイギリスでは、清教徒革命(1642年)や名誉革命(1688年)といった政治的動乱の中で、国内よりも安定した教育環境を求める動きが強まりました。
そのため、一部の裕福な家系では、子どもを海外へ送り出し、教養と国際的な視野を身につけさせるようになったのです。
「グランドツアー」という言葉は1670年代から使われ始め、1670年に出版されたリチャード・ラッサルズの著書『Voyage of Italy』で初めて記されたとされます。
大いなる旅では何を学ぶのか

画像:第8代ハミルトン公爵ダグラスが、主治医のジョン・ムーア博士とその息子ジョン・ムーアと共にグランドツアーに出かける様子を描いた肖像画。遠くには、彼らが2年間滞在したジュネーブの街並みが見える public domain
グランドツアーは、若い貴族を「完成された紳士」へと育てることを目的としていました。
この教育的な旅にはいくつかの柱があり、まず古代文明や美術への理解を深めること、次にフランス語やイタリア語といった外国語の習得、そして社交マナーや国際的な外交感覚を身につけることが挙げられます。
旅には多くの場合、教育係(tutor)や召使いが同行し、学びの指導や安全管理を担いました。
行程の中では大学や図書館、劇場、美術館、宮殿を訪れ、時には現地の学者や芸術家、外交官と交流する機会もありました。
特にフランスやイタリアでは、上流階級のサロンに招かれ、エチケットやダンス、礼儀作法といった「貴族のたしなみ」を実地で学ぶことができました。
また、古代ローマやルネサンス期の建築・美術作品に触れることで、美的感覚や芸術的教養も磨かれていきます。
どんな旅程が人気だった?

画像:モンテスキュー、ド・ブロス、ゲーテ、スタンダール、ディケンズのグランドツアーのルート wiki c Touring Club Italiano
グランドツアーの出発地は、主にイングランドのロンドンでした。
参加者はまずドーバーから英仏海峡を渡り、フランス北部のカレーに上陸します。
そこから馬車や徒歩でパリへ向かい、数週間から数か月滞在して言語や社交術を学びました。
パリの次はスイスを経由してイタリアへ入り、トリノ、ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ローマ、ナポリといった都市を巡るのが定番のルートです。
特にローマでは、パンテオン、コロッセオ、フォロ・ロマーノといった古代遺跡を訪れ、ラファエロやミケランジェロの作品が収められた美術館を鑑賞するのが一般的でした。
18世紀に入ると、ヴェスヴィオ火山への登山や、ポンペイ遺跡の探索も人気を集めます。
イタリア滞在中に画家や彫刻家に肖像を依頼することも流行し、それは帰国後に身分と教養の証として屋敷に飾られました。
人によってはオーストリアのウィーン、ドイツのハンブルク、オランダのアムステルダムなど北方の都市へ足を延ばすこともありました。
全行程は通常1年から3年に及び、費用は現代の価値にして数千万円規模ともされ、ごく一部の特権階級だけが享受できる贅沢な旅だったのです。
ただの贅沢では終わらない、グランドツアーの文化的影響

画像:アルバニア風衣装のバイロン public domain
グランドツアーは、個人の教養形成にとどまらず、18世紀のヨーロッパ文化そのものに深い影響を与えました。
まず、美術品や古代遺物の収集が広まり、これが後に多くの私立博物館や図書館の設立につながります。
建築や庭園の分野でも影響は大きく、イタリアのパラディオ様式やフランスのヴェルサイユ様式を模した屋敷や庭園が、イギリス各地に建設されました。これらは後のジョージアン建築様式の基盤にもなりました。
文学や芸術の世界では、グランドツアーの経験が数多くの作品に反映されました。
18世紀後半には、詩人バイロン卿や思想家ジョン・ラスキンが、旅を通じてヨーロッパ文化への新たな視点を提示しています。
こうした文化的成果は、単なる旅行の記録にとどまらず、帰国後の貴族たちが担った政治的・社会的役割にも影響し、当時の国家形成や文化政策にも結びついていきました。
このようにグランドツアーは、17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ貴族社会における特別な制度であり、若者を教養豊かな人物へと育てるための重要な通過儀礼でした。
旅で得られる知識や経験は、将来の政治・社会的リーダーに必要な素養と考えられていたのです。
しかし19世紀に入ると、フランス革命やナポレオン戦争といった社会的混乱、さらに産業革命による交通の発達と中産階級の台頭によって、グランドツアーは次第に姿を変えていきます。
それでも、「旅による人格形成」という理念は現代にも受け継がれ、国際教育や留学制度、文化交流プログラムなどの形で生き続けています。
21世紀の今も、異文化を理解し、国際的な視野を広げる旅は、人間を成長させる貴重な手段であり続けているのです。
参考文献:
『“Grand Tour.” Encyclopædia Britannica』
『思わず絶望する!? 知れば知るほど怖い西洋史の裏側』他
文 / 草の実堂編集部
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