西洋史

ロシア内戦について調べてみた【赤軍対白軍】

第一次世界大戦終結の前年である1917年、ロシア帝国内で労働者や農民を中心としたロシア革命が起こり、帝政ロシアは終焉を迎える。

そして、帝政ロシアの支配下にあったグルジアは、ロシア革命という絶好のチャンスを見逃さなかった。

1918年5月、グルジアは独立を宣言。しかし、独立は3年ももたずに終わる。グルジア独立政府を倒したのは、同じグルジア人でありながら、レーニン率いる「ボリシェヴィキ政府」の党員でるセルゴ・オルジョニキーゼであった。

そして、オルジョニキーゼに故郷を武力で制圧するよう命じたのは、グルジア人の「ヨシフ・スターリン」である。

こうして、ソビエト連邦のボリシェヴィキ政権は権力を拡大していったのだ。

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ボリシェヴィキの台頭

ボリシェヴィキとは、ロシア語で「多数派」を意味しており、派閥としては小さいながらも、政府の要職を握ったことでこの名を名乗った。そして、その思想は武力革命を主張するものであり、中央集権国家を目指すのである。

しかし、ボリシェヴィキ政権の前途は多難であり、もっとも国民を怒らせたのは、ドイツとの講和条約だった。ボリシェヴィキは、第一次世界大戦からの即時撤退を目的としてウクライナなど、広大な領土をドイツ帝国に割譲したが、祖国愛が強いロシア人にとっては許しがたい屈辱である。

ドン川周辺に住むコサック人はその卓越した馬術により、コサック兵として大戦で勇名を馳せたが、このコサック人たちは先頭に立って反革命闘争を始めていた。こうした勢力に対抗するため、軍事人民委員「レフ・トロツキー」は徴兵制を敷き、新たな軍隊を創設する。


【※レフ・トロツキー】

こうして誕生したのが「赤軍」であった。

ロシア内戦 勃発

しかし、軍の指揮官クラスの人材不足は深刻で、政府は帝政時代の軍人や貴族たちを多数登用したのだが、その多くは政府と相容れない思想の持ち主ばかりである。そこで政府は、「政治委員」を派遣して軍部の監視をすることになった。

そして、誕生したばかりの赤軍を待ち受けていたのは熾烈な内戦であった。

赤軍は、白衛軍(白軍)と呼ばれた反革命軍の捕虜を銃殺し、拷問の末に殺したり、見せしめのために回る風車の羽に捕虜を首から吊るしたりと容赦なく相手を責め、白軍もまた同じような過激な行動に走る。こうした血で血を洗う内戦は3年にも及び、700万人もの死者を出したという。


【※ウラジーミル・レーニン】

さらに外国からの干渉もあった。第一次世界大戦の敗戦国であるドイツと単独講和を行ったソビエトに対し、連合国側がソ連に派兵を始めたのである。

その頃、レーニンは新政権を軌道に乗せるべく、社会主義の理想を国民に説き、政党名も共産党に変更したが、そこに政府を慌てさせる大事件が起きた。

離れる人心

シベリア鉄道が、白軍と手を結んだチェコ軍団の手に渡ってしまったのだ。

チェコ軍団はそのまま、退位したロシア最後の皇帝「ニコライ2世」を奪回すべく、当時、ロマノフ一族が幽閉されていたエカテリンブルクに近付くと、それを恐れた政府が一族を殺害。しかし、このことは情報統制により国民に知られることはなく、政府は反体制派に対する粛清をより強めていったのである。

これにより、ソビエト初の秘密警察が誕生し、4年間で12,000人以上を殺害した。

後の「KGB」である。

一方で白軍も連合国側からの援助を受けて勢力を拡大し、各地で独立政権を樹立するまでになっていた。

トロツキーの赤軍も各地で善戦していたが、国民の多くは帝政ロシアの再興を予測し、農民からの食料調達が困難となる。そうした前線から離れた中央では、プロバガンダ映像やポスターを利用することで人心を掌握しようとしていたが、国民にとっては「どちらが勝っても食料がもらえればそれでいい」という考えであり、戦局は混乱するばかりであった。

赤軍、勝利へ

1919年、レーニンは義理の弟を失い、ヨーロッパ各地で社会主義革命を起そうとしたレーニンの夢は死にかけていた。革命政権はまだ脆弱で世界から孤立していたのである。

白軍もシベリアに新政権を樹立していたが、シベリアの人々は生活が乱されるのを恐れて非協力的であり、連合国の援助も頼りにならない状況となっていた。さらに赤軍が白軍の物資を奪い、前時代的だが機動力がありコストの安い騎兵部隊を創設したことで、白軍はその戦力を急速に低下させることになる。

ロシア内戦
【※白軍の軍旗】

1920年には、モスクワで第3インターナショナルの大会が開催され、世界各国の共産主義者たちはレーニンを「革命を勝利に導いた英雄」と讃え、トロツキーの演説が響きわたった。トロツキーの創設した赤軍の兵力は500万を超え、白軍の将軍はそのほとんどが死亡するか、国外に亡命しており、残ったのはコサックの将軍「ウランゲリ」だけという状態になっていた。

白軍の逃避行

ウランゲリは、白軍の兵を率いて南部で活動を続けていたが、クリミア半島からトルコに脱出することを計画し、南方へ進行する。

赤軍も犠牲をいとわずにこれを追撃したが、約15万の白軍兵士と市民が軍艦などで故郷から逃れることが出来た。また、赤軍に追われて逃げた白軍やそれに協力した市民は彼らだけではない。

東部では約25万人がシベリアを彷徨い、真冬の凍結したバイカル湖で寒波により命を落として、雪解けと共にその遺体は湖底へと沈んでいったという。


【※ピョートル・ニコラーエヴィチ・ヴラーンゲリ将軍】

ウランゲリは、船の甲板で兵士たちに「退却の時が来た。我々は船で異国の地に向かう」と語った。事実上の敗北宣言であり、これによって赤軍は完全に勝利したのである。

逃げた白軍勢力の数は多いが、実際には帝政時代の貴族やその家族、白軍に協力した市民たちを除けば全兵力は25万ほどであり、さらに赤軍がトロツキーの指揮下で統制が取れていたのに対して、白軍は各地で起きた反革命軍の集合体であって一枚岩ではないことも敗因であった。

最後に

白軍の敗北によりロシアは統一されたものの、国内は混乱を極めていた。

国土は荒廃し、街は破壊され、おおよそ内戦と呼べるレベルの戦いではなかったことが分かる。しかし、この勝利が共産党による独裁体制を後押ししたことも事実であり、経済の悪化を省みない、国防優先の政治体制に影響を与えたことも確かであった。

関連記事:ロシア革命・ロシア内戦
ロシア帝国の歴史とロマノフ朝について調べてみた
バイカル湖について調べてみた【様々な世界一記録と謎の湖】

 

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