
画像:『最後の晩餐』(1495年-1498年) public domain
ルネサンス期のフィレンツェでは、芸術と科学が互いに影響し合いながら、新しい知識が次々と花開いていました。
その中心にいたレオナルド・ダ・ヴィンチは、単なる画家ではなく、自然そのものを深く理解しようとした観察者でした。
彼にとって人体は、神が造り上げた「小宇宙(ミクロコスモス)」であり、その構造を知ることは、宇宙の理に触れることと同じ意味を持っていたのです。
『モナ・リザ』や『最後の晩餐』に見られる豊かな生命感の背後には、血管の一本、筋繊維の一本にまで及ぶ徹底した観察の成果が息づいています。
その観察は、生きた人物だけでなく、実は静かに横たわる亡骸にも向けられていました。
しかしこうした研究は、生前どころか死後も長いあいだ公にされなかったのです。
ここでは、ダ・ヴィンチがどのように人体の仕組みを追いかけていたのか、その探求の姿をたどっていきます。
禁忌を越えた探究心

画像:フィレンツェのサンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院 wiki c Sailko
ダ・ヴィンチが人体解剖に初めて関わったのは、1480年代末から1490年代初めのフィレンツェ、サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院であったと考えられています。
ここは修道院に併設された医療施設で、貧しい人々や病人が多く集まる場所でもありました。
彼は医師や修道士の協力を受けながら、亡骸を観察する機会を得ます。
当時、教会法上は解剖が完全に禁じられていたわけではありませんが、人々の感情としては忌避される行為であり、研究は人目を避けて行われました。
静まり返った室内で、ダ・ヴィンチは皮膚を切開し、筋肉や骨の構造を丁寧に観察しました。
その結果をスケッチに残し、形態だけでなく、動きや仕組みまでも理解しようとしたのです。
後年、ダ・ヴィンチは「自然のしくみを知ることは、神を知ることである」と記しています。
精密な観察と記録
1507年から1513年にかけて、ダ・ヴィンチの解剖研究は、ミラノとフィレンツェを行き来しながら本格化していきました。
この時期、彼は医師マルカントニオ・デッラ・トッレと協力し、少なくとも20数体から30体ほどの遺体を解剖したと考えられています。
後の研究者によって『アナトミア・デル・コルポ・ウマーノ(人体解剖学)』と呼ばれる手稿には、筋肉、骨格、血管、神経、臓器、さらには加齢による変化まで、驚くほど精密な観察が記されています。

画像:腕骨格の研究手稿(1510年頃) public domain
『肩の筋肉と腱の解剖図』では、肩甲骨と上腕骨がどのように連動して動くのかが正確に描写され、『脊柱の詳細図』では脊椎の湾曲や椎間板の形状が緻密に描かれています。
さらに、ダ・ヴィンチは心臓の構造と弁の働きに強い関心を寄せ、動物実験も取り入れながら、血液が心臓内部で渦を巻くように流れる様子を観察しました。
その成果は『心臓の弁と血流の観察図』としてまとめられ、紙の上に立体的なイメージで再現されています。
これは、17世紀に「血液循環説」を打ち立てたイングランドの医師ウィリアム・ハーヴェイが登場するより、約一世紀も前のことであり、ダ・ヴィンチの洞察は近代医学の到達点を先取りしていたのです。
肉体の秘められた領域

画像:レオナルドによる人間の脳と頭蓋骨の生理学的スケッチ(1510年頃) public domain
ダ・ヴィンチの尽きることのない探究心は、人体の中でも特に謎が多かった頭部、すなわち脳へと向かいました。
『頭蓋骨の透視図』では、骨を透かすように描き込み、脳の位置や神経の走行を幾何学的に整理しています。
その精密さは、現代の医学図譜と比較しても驚くほど高度なものでした。
彼は内臓の構造にも深い関心を寄せ、『胃と腸の層構造図』と呼ばれるスケッチでは、胃壁の厚みや腸のねじれ、肝臓や胆嚢との位置関係を細密に描き出しています。
また、女性の体を観察する機会を得た際には、死産胎児を基に「胎児の位置と形態スケッチ」を制作しました。
これは当時としては非常に珍しい、母体内の胎児を詳細に描いた記録でした。

画像:子宮内の胎児が描かれた手稿(ロイヤルコレクション/ウィンザー城) public domain
天才の眼が追った生命の脈動
しかし、ダ・ヴィンチが残した解剖学の研究は、生前にはほとんど公にされませんでした。
死後、手稿は弟子フランチェスコ・メルツィに託されましたが、やがて散逸し、長いあいだ体系的に読まれることはなかったのです。
そのため、彼の成果が同時代の医学に直接影響を与えることはありませんでした。
長らく埋もれていた手稿は、19世紀になってようやく再発見されます。
そこに描かれた緻密な観察の記録と精巧な図面は大きな反響を呼び、現在はウィンザー城の王室コレクションに収められています。
静かに引かれた線の一つ一つは、500年を経た今も、当時の観察と思索の深さを伝えているように思われます。
自然に向けた確かなまなざしと、仕組みを探ろうとする姿勢は、レオナルド・ダ・ヴィンチが後世に残した大きな遺産といえるでしょう。
参考 :
『モナ・リザはなぜルーヴルにあるのか』/佐藤幸三
『レオナルドと解剖』/岩井寛・森本岩太郎
文 / 草の実堂編集部
























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