西洋史

ビッグモーターとアウシュビッツ 【ヒトラーに従い、ユダヤ人を虐殺したアイヒマンの責任は?】

最低な会社

先日の25日、ビッグモーターの社長が会見を開きました。

不正請求に関して、組織的な関与を否定したビッグモーターの上層部は「あくまでも現場の判断で不正が行われたため、まったく知らなかった」という言い訳に終始していました。

イメージ画像:ビッグモーターでは厳しいノルマが課せられ、達成できなければ罵声を浴びせていた模様

教育現場にたとえた場合、クラスで起きていたイジメに「(担任は)まったく知らなかった」と言っているのと同じです。部下に責任を押し付け、自分たちの保身しか考えない上層部の姿を見せられ、改めて最低な会社(組織)であることを世に知らしめました。

今回の記事では、組織の暴力性を考えるために、アドルフ・アイヒマンについて考えたいと思います。アイヒマンはアウシュビッツ強制収容所の責任者として、ユダヤ人虐殺に関与した人物です。

なぜアイヒマンは無慈悲にも、あれほどのユダヤ人を虐殺することができたのでしょうか。

負け組だったアイヒマン

1906年3月19日、アイヒマンはドイツ西部のラインラントで生まれます。学校の成績が悪く、日本でいうところの中学校にあたる、国立実科学校を卒業することができませんでした。機械工学を学ぶため工業専門学校に通いますが、卒業することができず退学しています。

専門学校を退学したあと、父親の経営する鉱山工場で働きましたが、ここも長く続きませんでした。そのあと石油会社の販売員として働きましたが、会社の人員整理に伴って、1933年に解雇されています。

ビッグモーターとアウシュビッツ

画像:アドルフ・アイヒマン public domain

石油会社を解雇される前年(1932年)、アイヒマンはナチ党に入りました。ヒトラーの演説を聞いて、アイヒマンはこう語ったそうです。

「ヒトラーの演説を聞いてから、ドイツ民族の敵であるユダヤ人と仲良くしていたことに腹が立った」

アイヒマンは親衛隊(SS)に所属後、情報局に異動。そのあとユダヤ人担当課に配置されることになります。

1935年には結婚をしています。

ヴァンゼー会議と第二次世界大戦

1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発しました。アイヒマンの転落はここから始まります。

1942年1月、ベルリンで行われた「ヴァンゼー会議」が開催されました。議題は「ユダヤ人問題の最終解決」です。会議の結果、ユダヤ人を強制収容所に移送して絶滅させることが決まりました。1942年3月からアウシュビッツ強制収容所への移送が始まり、この移送プロジェクトの全権を担ったのがアイヒマンになります。

1945年に入り、ドイツの敗戦が濃厚になり、親衛隊長官のハインリヒ・ヒムラーはユダヤ人の虐殺を停止するようアイヒマンに命令します。しかし彼はやめませんでした。

1945年5月、ベルリンが連合軍によって陥落し、ドイツは降伏します。第二次世界大戦におけるヨーロッパ戦線はほぼ終結しました。第二次世界大戦が正式に終了するのは、日本が無条件降伏に合意した8月14日になります。

第二次世界大戦終了後、アイヒマンはアメリカ軍に拘束されますが、捕虜収容所からの脱出に成功しました。

アルゼンチンに逃げたアイヒマンだが…

西ドイツを転々として潜伏を続けたあと、1950年には難民を装ってイタリアに到着。

リカルド・クレメント」という偽名を使ったアイヒマンは、難民としてアルゼンチンに入国しました。

ビッグモーターとアウシュビッツ

画像:「リカルド・クレメンテ」という偽名のビザ public domain

到着したあと、ブエノスアイレス近郊に家を建て、しばらくしてドイツから家族も呼び寄せました。

1957年、アイヒマンを追っていた西ドイツの検察は、アイヒマンがアルゼンチンに潜伏している情報をつかみ、調査員を派遣しました。自身の結婚記念日に、アイヒマンが妻のために花束を買ったことが、アイヒマンであると断定する証拠となりました。

1960年5月11日、アイヒマンは拘束され、5月21日にイスラエルに連行されました。

1961年4月11日、エルサレムでアイヒマン裁判が始まります。

この裁判映像は世界中に放送されました。彼は全ての罪状に対して「無罪」を主張しています。「ヒトラーという上司の命令に従っただけ」というのがアイヒマンの論理です。

そして同年12月15日、死刑判決が下されます。

翌年の1962年5月31日から6月1日にかけて、絞首刑が執行されました。焼却された遺灰は地中海にまかれました。

アイヒマンは「普通の人」

ビッグモーターとアウシュビッツ

画像:ハンナ・アーレント public domain

アイヒマン裁判については、ユダヤ人の政治学者であるハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン − 悪の陳腐さについての報告』が有名です。

第二次世界大戦当時、アーレントはドイツの大学に勤務していました。しかしユダヤ人であることからナチスの対象になり、アメリカに亡命しています。

裁判を傍聴したアーレントは、アイヒマンの第一印象を「普通の人」と言っています。

この「普通」という言葉は「アイヒマンになる可能性は誰にでもある」ということを意味しています。

たとえば、私たちは何かしらの組織に所属しています。大きなところだと日本などの国家に所属しており、小さなところだと学校や会社などになります。

そして組織(会社)には、組織に所属する者(社員)を従わせる力があります。「社員を解雇する」「給料を下げる」という「権力」を会社(組織)は持っているからです。

この権力があるからこそ、私たちは会社、また上司の「指示」に対して黙って従わなければいけません。

だれもがアイヒマンになってしまう社会

つまり程度の違いはもちろんありますが、誰もがアイヒマンと同じような環境、立場に置かれていることになります。アイヒマンは「上司の命令に従っただけ」というスタンスを最後まで貫きましたが、おそらく多くの人が上司の命令に従い、行動したことがあるのではないでしょうか。もしかすると上司の立場として仕事をしている方もいるかもしれません。

組織のなかで権力を持った者から命令をされると、それがいくら倫理的に間違っていようとも、部下が拒否することはなかなかできません。組織に所属している以上、アイヒマンになる可能性は誰にだってあるのです。

残念ながら、今回のビッグモーターが証明しています。

画像:裁判を受けるアイヒマンpublic domain

「上司の命令に従っただけ」は通用しない

アイヒマンは家族を大事にする普通の父親でした。妻に優しく振る舞い、休みの日には娘と一緒に、オペラやクラシック音楽を見に行ったようです

しかしナチスの仕事になると、アイヒマンはいかに「効率」よく、ユダヤ人を殺すのかを考え続けます。そして裁判では「自分はヒトラーの指示に従っただけだ」と、反省も謝罪もしませんでした。

彼は個人として自分で考えることを放棄し、ひたすらヒトラーの指示、そしてナチスという組織の利益を優先して行動したのです。

法治国家である現代日本では、上司の命令に従ったという理由で、部下は罪をまぬがれるのでしょうか。

残念ながらできません。

第二次世界大戦に敗れた日本では、戦争を主導した将校たちは裁判にかけられます。将校たちは「上司の命令に従っただけだから、自分は無関係(無実)だ」と主張したのですが、判決の結果として、将校たちの責任は認められ処刑されています。

「上司の指示だから実行した」は、現代社会では通用しません。自分の会社(組織)が大きな間違いを犯したとき、場合によっては退職をするくらいの決意を持って、上司の命令を断らなくてはいけないのです。

参考文献:ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』(大久保和郎訳)みすず書房、2017年8月

 

村上俊樹

村上俊樹

投稿者の記事一覧

“進撃”の元教員 大学院のときは、哲学を少し。その後、高校の社会科教員を10年ほど。生徒からのあだ名は“巨人”。身長が高いので。今はライターとして色々と。フリーランスでライターもしていますので、DMなどいただけると幸いです。
Twitter→@Fishs_and_Chips

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 第一次世界大戦・地上の主力は大砲だった【WW1シリーズ】
  2. 古代ローマ帝国を崩壊させたキリスト教 「そもそもは奴隷の宗教だっ…
  3. 【20世紀最大の人災】 ウクライナで400〜1500万人が餓死し…
  4. 【美人すぎて敵将も虜に】イタリアの女傑カテリーナ 「子はここから…
  5. 【頑張って改革したのに5度の暗殺未遂】最後の爆弾で命を落としたロ…
  6. 本当は怖かったグリム童話 【初版グリム童話】
  7. 【毒殺か病死か?】トスカーナ大公妃となった美女ビアンカ・カッペッ…
  8. 『愛なき結婚』フランス王と王妃の冷え切った夫婦生活 ―ルイ13世…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

最強の軍師はどっちだ? 竹中半兵衛VS黒田官兵衛 「秀吉の軍師」

二人の天才軍師 両兵衛豊臣秀吉は、戦国の世で最初に天下統一を成し遂げた。そして秀吉に…

【貧乏で苦しんだ文壇の美女】 樋口一葉たった一度きりの恋の行方

文学界には数多くの文豪たちがいますが、樋口一葉は女性ならではの視点で不朽の名作を世に打ち出し…

毛利元就 〜孤児から西国の覇者となった天才策略家【三本の矢の話は創作か】

毛利元就 とは毛利元就(もうりもとなり)は、一代で安芸国の国人領主から中国地方をほぼ統一…

誕生日石&花【4月21日~30日】

他の日はこちらから 誕生日石&花【365日】【4月21日】愛ある、安定した関係を結ぶ。知的で…

懲役側から見た「仮釈放」の実態と仕組み

仮釈放を目標にしている人刑務所に入所するとすぐに手紙の発受信の申告や面会者、身元引受人などの…

アーカイブ

PAGE TOP