約30年前、スコットランド本土北端の人里離れた場所で、約4,250年前の若い女性の遺骨が発見された。
そして今、さまざまな科学的手法によって、彼女の生と死の謎が解明されつつある。
女性の名は「アヴァ(Ava)」と名付けられた。
アヴァが発見されたアチャバニック(Achavanich)は、スコットランドの北東部、ハイランド地方のケイスネス地域に位置している。
アヴァは約4,000年以上も前に、スコットランドの青銅器時代で暮らしていたとされる女性で、顔の再現画像が公開されるとすぐに大きな反響が起こった。
大きな反響があった理由は顔だけではなく、スコットランドの考古学において、長らく信じられてきたことが覆されたからである。
この記事では、アヴァの生と死の謎に迫る研究内容について説明していく。
アヴァの死
この研究の対象であるアヴァの物語は、彼女の死から始まる。
彼女はビーカー民(紀元前3千年紀に大陸からイギリスに渡来し、独特の陶器様式と金属加工技術をもたらした文化現象)に属し、約4,250年前にスコットランド本土の最北部、現在のケイスネスに位置するアチャバニックとして知られる場所で生活していた。
彼女が死んだとき、彼女のコミュニティ(共同体)は彼女を小さな尾根の頂上に近い場所に埋葬することにした。
周囲には森林と草原の混合地帯が広がり、近くでは家畜が飼育されていた。
アヴァの埋葬
この女性の墓を作る際、埋葬者たちは地面を掘るのではなく、固い岩盤を数日かけて削って、くぼみを作り、そこに石を敷き詰めたシスト(この時代によく使われていた石で作られた長方形の墓)に丁寧に安置した。
彼女はしゃがんだ姿勢のまま右側に横たわり、体は南を向き、頭は西を向いていた。そして足を抱え、膝は顎の下まで引き寄せていた。
彼女の周りには、いくつかの重要な品物が置かれ、頭のそばには、親指の爪ほどの小さな火打ち石削り器、小さな火打ち石片2枚、ビーカーと呼ばれる豪華に装飾された粘土製の壺が置かれ、左肩には若い成牛の肩肉が置かれてた。
それが終わると、喪主たちは彼女の墓の上に大きな重い蓋石を置いて、彼女の遺体を地中に封印したのだった。
彼女の墓は青銅器時代、鉄器時代、ローマ帝国の侵攻、キリスト教の到来、ピクト人の時代、ヴァイキングの侵攻を経ても、そこに安置されていた。
その後、城も築かれ、スコットランドはハイランド開拓と2つの世界大戦を経験したが、彼女の高台の墓は1987年2月中旬に発見されるまで、長い間忘れ去られていたのだった。
アヴァの発見
1987年、道路工事のために岩を掘り出していた親子が地面から頭蓋骨を見つけ、警察に通報した。
しかし、警察はこの遺骨が現代の犯罪被害者ではなく、歴史的に重要なものだと気づき、考古学者ロバート・ゴーレイに報告した。ゴーレイはすぐに現場を調査し、骨と遺物を回収する過程を写真に収め、調査と保存のために地元のハイランドに持ち帰った。
しかし、その後にいくつかの初期調査は実施されたものの、この遺骨がさらに調査され、発表されることはなかった。ゴーレイは評議会を去り、ほどなくこの世を去った。
発見された遺骨および調査資料は、ケイスネスに返還され、30年間以上も保管されたままだったのである。
アヴァ再調査のきっかけ
2014年、ハイランドの若い女性の考古学者が、ハイランドの考古学を広めるために、青銅器時代の遺跡を探した結果、放置されたままのアチャバニックの遺跡を(再)発見し魅了された。
彼女はスコットランド考古学協会から、発掘後のさまざまな分析のための資金を調達し、世界中の専門家や組織と協力して、新たな情報を明らかにしていった。
この考古学者はマヤ・フールといい、後にこの研究論文の筆頭執筆者となる。
調査が注目され、支持を集めるにつれ、アチャバニック・ビーカー埋葬プロジェクト(アヴァ・プロジェクトとも呼ばれる)が誕生した。
※論文の筆頭執筆者のマヤ・フールさん出演の動画
この「アヴァ」という名称は、地名(Achavanich)の中央(ava)の3文字から取られたもので、純粋に調査の愛称として使用されていたが、2016年2月にメディアの関心が高まると、青銅器時代の女性とプロジェクトの両方で使われるようになった。
アヴァの分析
「アヴァ」は何千年も前に死んだが、彼女の生と死に関する多くの情報を推測することは可能であった。
骨格の分析により、彼女は18歳から25歳の若い成人女性であったことが判明した。生前の身長は1.71メートル以上あった。
歯の状態は良好で、高タンパク低炭水化物の食生活を送っていたことがわかるが、歯の発育に乱れが見られたことから、幼少期に長期にわたる病気や栄養不足があったことがうかがえる。
彼女の人生が楽なものでなかったことを示す手がかりは、背骨に沿ったわずかな擦り切れの痕跡から得られる。
これはおそらく、ストレスによる外傷か、肉体労働が彼女の日常活動の一部であったことを示している。
研究者チームの頭蓋のCTスキャンによって、アヴァの歯の1本(第二小臼歯)が生えそろっていないことが明らかになった。
アヴァの食生活に関するさらなる情報は、研究チームによる安定同位体分析によって得られた。
海岸から歩いて数時間の場所に埋葬されていたにもかかわらず、アヴァの骨から得られた炭素の値から、彼女は海洋資源をほとんど摂取しておらず、その代わりに陸上中心の食生活を送っていたことがわかった。
さらに、放射性炭素分析の結果、窒素の値がわずかに高かったことから、彼女が摂取していた動物は豚や淡水魚であったことが示唆された。
この放射性炭素年代測定は2017年に実施され、アヴァの脚の骨の1つと、彼女のそばで発見された牛の肩甲骨のサンプルに焦点を当てたもので、彼女の埋葬の年代を絞り込むのにも役立った。
結果は、95%の確率で紀元前2300年から2145年にわたる平均埋葬年代を形成した。これにより、アヴァの埋葬はスコットランドの後石器時代と推定された。
アヴァのルーツ(または起源)
同位体分析による骨から得られた情報により、アヴァが幼少期を過ごした場所が特定された。
興味深いことに、彼女が埋葬された場所の近くではなく、西と南の近隣地域だった。
また、骨に含まれる酸素の情報から、彼女が東海岸で生活していた可能性があることがわかった。
これらの情報から、アヴァは生涯のほとんどをケイスネス地域で過ごしたと考えられている。
古代DNA分析によって、アヴァの遺伝的性別が確定され、(骨学的証拠と一致する)真違いなく女性であることが証明された。
さらに、エヴァの母系遺伝も明らかになった。
1万2千年前に、近東で生まれたと推定される遺伝グループが、ヨーロッパに広がったことは知られている。この遺伝グループの存在を示す証拠は、約8,000年前にさかのぼり、新石器時代の農民がアナトリアからヨーロッパに移住した際に、伝播した可能性があると言われている。
アヴァはこの遺伝的なグループに属していたことが明らかになった。
しかし、アヴァの全ゲノムの解析からは、前述の通りおそらくケイスネス地方で育ったものの、ヨーロッパ本土のビーカー文化に属するグループの子孫である可能性が示唆されている。
つまり、アヴァの祖先はケイスネスに定住する以前に、ヨーロッパ本土から移住してきた可能性が高いということだ。
アヴァの祖先は、彼女の時代よりも以前にケイスネスに住んでいた新石器時代のイギリスのグループには、まったく属していなかった可能性がある。
この結果は、紀元前2,500年ごろに大陸からイギリスへの移住があり、その際に人口が大きく入れ替わったことを示す、最新のビーカー時代のDNA研究と一致している。
さらに注目すべきは、アヴァの祖先にはイギリスの新石器時代の痕跡が見当たらないことから、彼女の祖先は彼女が生まれる数世代前にイギリスに到着し、一世代か二世代前の移住者である可能性が高い。
アヴァのDNAを調べたところ、茶色の目と黒髪で、肌の色は現在の平均的なイギリス人よりも浅黒く、乳糖不耐症であったなどの身体的特徴の詳細が明らかになった。
肌の色に関しては、現在の地中海、南ヨーロッパ諸国に住む人たちに似ている可能性が高いことがわかった。
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アヴァの埋葬
アヴァの生涯については多くのことがわかったが、埋葬方法についてはどうだろうか?
アヴァの埋葬方法は、死後すぐに岩を切り開いた洞窟に埋葬されており、自然な腐敗のプロセスを妨げない形態であった。
分析によると、アヴァの遺体は広範囲に細菌に侵されており、死後すぐに埋葬されたことが裏付けられた。
これは、スコットランドの他の青銅器時代の遺跡で発見されたミイラ化とは異なり、自然な腐敗のプロセスが意図的に中断されなかった可能性が高いことを意味する。
アヴァの埋葬品
アヴァの埋葬品ついてはどうなったのだろうか?
アヴァの墓からは、火打ち石3点と牛の骨、ビーカーが発見されていたが、残念ながら、火打ち石は後に失われてしまい、以降の分析が不可能になってしまった。
牛の骨は成牛か亜成牛の左肩甲骨であることが確認され、食料の供物として埋葬されたと考えられている。
火打ち石には、掘削に使用された形跡が見られなかったため、それは工具ではなく、アヴァの地位やアイデンティティを象徴するものであったと考えられている。
高さ約16.6cmのビーカーは、故人のために飲み物や食べ物が含まれていた可能性があるが、それが何であったかは明らかになっていない。
このビーカーは、水で湿らせた粘土を、コイル状に巻いて積み重ねて作られている。丁寧に装飾されており、首の内側には、面取りされた跡が見られ、白い石英の破片が粘土に混ぜられていた。
外側には、歯のついた櫛が粘土の表面に押しつけられ、ビーカーのほぼ全面を覆う複数の装飾帯が作られており、複雑なデザインが散りばめられている。
これらの装飾は、3、4種類の櫛の長さを使い分けて作られたようで、熟練したベテランの職人によるものと思われる。
つまり、アヴァは食料やその他の供物とともに埋葬された、尊敬されるコミュニティの一員であった可能性がうかがえる。
アヴァが住んでいた環境
アヴァの埋葬に関する分析の最後は、花粉堆積物分析によって行われた。
この方法論には、花粉粒、胞子、気孔、菌類が含まれ、今回は少量の花粉しか確認されなかったが、それでもアヴァが住んでいた風景を知る手がかりは十分に得られた。
その結果、現代のケイスネスとはまったく異なる姿が浮かび上がってきた。
アヴァの埋葬の分析から、彼女が住んでいた地域は現在とは異なり、草原と低木の広がる地域であったことがわかったのだ。
また、埋葬に関連する儀式で火が燃やされていた可能性があることもわかった。
ビーカーの付着物を花粉堆積物分析した結果、以下のような植物も一緒に埋葬されていたことがわかった。
シモツケソウとセイヨウオトギリは、薬効があることで知られており、特に注目に値する。
シモツケソウの葉や花に含まれる化学物質は、アスピリンと同様の働きをする。
セイヨウオトギリは抗うつ薬、止血、胃の不調や下痢、骨折や捻挫を治すためにも使われていた。
埋葬品の中にこれらのハーブが含まれていたことから、アヴァが亡くなる前に病気を治療していたのかもしれない。
さいごに
アヴァの生と死についてはまだ多くの疑問が残されているようだが、この広範な調査プロジェクトによって、4,000年以上も前に亡くなった女性の生涯を、これほどまでに明らかにできることには驚いた。
古代DNA分析は、考古学や人類学の分野での研究に革命的な影響を与えており、古代の文化や遺産についての新たな情報をもたらしている。この分野は技術の進歩と共に急速に発展しており、 論文筆頭登録者のマヤ・フール氏も古代DNA分析がなければ、これほどの成果は得られなかったと評価している。
本記事ではほとんど触れなかったが、実はこのプロジェクトは、アヴァの復元画像が公開されたことによって大きな反響を呼び、多くのメディアでも紹介されたほど有名だ。
しかし、プロジェクトの研究・調査の詳細については、ほとんど触れられることがなかったようなので、調査内容の詳細について説明してみた。
なお、この研究プロジェクトの成果は、2018年11月30日、スコットランド考古学協会議事録に査読付き論文として全文掲載された。(スコットランド古物協会のRBK Stevenson賞を受賞)。
そして、現在は誰でも閲覧できるようになっているので、ヨーロッパの考古学に興味がある方はぜひご覧になっていただきたい。
参考 : スコットランド考古学協会議事録 論文(http://journals.socantscot.org/index.php/psas/article/view/10106/10071)
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