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【ナチスの美しき悪魔】イルマ・グレーゼ ~アウシュヴィッツの残酷な女看守

イルマ・グレーゼ

画像:笑みを浮かべるイルマ・グレーゼ public domain

この写真の中で微笑む女性は、往年の大女優の若かりし頃の姿だと言われれば、信じる人もいるのではないだろうか。

しかし彼女は女優ではなく、さらに言えば既にこの世の人間でもない。
彼女は22歳になってすぐに戦争犯罪者として死刑判決を受け、判決が下された数週間後には刑が執行された刑死者だからだ。

彼女の名はイルマ・グレーゼ

第二次世界大戦時に悪名高きアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で看守を勤めた人物だ。
イルマはその美しい容貌に似つかわしくない残虐な嗜好と行いで、多くの収容者を恐怖と絶望に陥れ、死に追いやったといわれている。

今回は「アウシュヴィッツのハイエナ」「美しき野獣」「美貌の悪魔」など数々の異名で知られるナチスの女看守、イルマ・グレーゼについて解説していこう。

イルマ・グレーゼの生い立ち

イルマ・グレーゼとは

画像:イルマ・グレーゼ public domain

イルマは1923年10月7日に、ドイツのプロイセン州にあるパーゼヴァルクという町で生まれた。
子どもの頃のイルマはケンカが起こるといつも逃げ出してしまい、周囲の子どもたちからいじめられてもやり返すことができない弱気な少女だったという。

13歳の時にイルマは母を亡くしている。父の不倫が原因の自殺であった。

その後、15歳で学校を中退してからは農場で働いていたが、ナチスの組織である「ドイツ女子同盟」に共鳴してナチスの思想に傾倒していき、やがて親衛隊のサナトリウム看護師として働き始めた。

18歳になると、ラーフェンスブリュック強制収容所で自ら志願して看守になる訓練を受け、1942年に19歳でアウシュヴィッツ強制収容所に配属される。

父親はイルマが収容所の看守となることに猛反対していたが、父の意見を無視して看守となったイルマは、1943年の帰省を最後に実家に戻ることはなかったという。

アウシュヴィッツ強制収容所の女看守として

画像:「死の門」・アウシュヴィッツ第二強制収容所(ビルケナウ)の鉄道引込線 wiki c C.Puisney

イルマはアウシュヴィッツ強制収容所の女性看守の中でも、もっとも美しくかつ残忍だったと言われている。

アウシュヴィッツ強制収容所の元収容者のオルガ・レンゲルは、オルガ自身が著した収容所で過ごした日々の回想録『5本の煙突』の中で、イルマについてこう語っている。

イルマ・グレーゼは、きちんと整髪しエレガントな服を身に着けた中背の女性で、彼女の歯は非常に整っており真珠のようで、まさに青い目をした髪の毛の整った『天使』であった。

彼女の美しさは際立っていたので、彼女が訪れることは点呼とガス室送りの選別を意味していたにもかかわらず、囚人たちはまったく彼女に見惚れてうっとりとしてしまい、彼女を見て『なんと美しいのだろう』と囁いてしまうほどだった。

彼女は自分が存在しているだけで囚人に対して死の恐怖を呼び起こすことができることに喜んでいた。この22歳の女性にはまったく哀れみというものがなかった。

-『5本の煙突』オルガ・レンゲル著より-

同じく収容所の生存者で囚人医だったジゼラ・ペルル氏は、イルマについて「女性看守の中でもっとも美しく、もっとも残酷で、女性収容者の胸に鞭を振るって負傷させることにより快感を得るようなサディストだった」と語っている。

さらにペルル氏の証言では、イルマは飢餓状態の囚人の前に野犬と食料を並べて置いて精神的に虐待したり、ガス室送りが決まった囚人に犬をけしかけたり、射殺したりと、目に余る虐待行為を行っていたという。

またイルマは、バイセクシャルかつ多情な女性でもあったともいわれ、「死の天使」の異名で知られる医官ヨーゼフ・メンゲレや、複数の親衛隊員と愛人関係にあった。

他にも気に入った収容者なら男女問わずに奴隷として扱い、性的関係を強要していたと元収容者が語っている。

マスメディアがイルマに向けた関心と「ベルゼン裁判」

イルマ・グレーゼ

画像:ベルゼン裁判 前列中央・9番のワッペンをつけているのがイルマ・グレーゼ public domain

元収容者たちからの証言でも、イルマが美しい女性だったということがわかる。
そしてその美貌こそが、彼女の悪評を高める要因ともなった。

ナチス崩壊間近の1945年3月、アウシュヴィッツ強制収容所からベルゲン・ベルゼン収容所に異動したイルマは、翌4月にイギリス軍によって逮捕された。

収容所で行われた戦争犯罪について調べ始めたイギリス軍調査官は、元収容者たちの非難や告発の声が、特に1人の「美しい女性看守」に向けられていることに気付いた。

戦勝国であったイギリスのマスメディアは「美しく残酷なナチスの女看守」としてのイルマに関心を注ぎ、ナチスの残虐性をセンセーショナルに伝え、大衆の憎しみと高揚を煽る材料として扱った。

イルマは起訴前に行われた尋問の中でナチス親衛隊が行った残虐行為を一方的に並べ立てられ、なぜこのような行いをしたのかという怒号にも近い問いに対して、毅然とした態度でこう言い返したという。

ドイツの未来を保証するために、反社会分子を絶滅することが私たちの義務でした

イルマを含むベルゲン・ベルゼン強制収容所の運営関与者の処遇を決める「ベルゼン裁判」が1945年9月に第1回が開かれ、後に11名が死刑判決を受ける。

同年11月に死刑判決を受けたイルマの絞首刑は、翌月の12月3日に執行された。

死亡時22歳だったイルマは、ナチスの刑死者の中では最年少の人物だった。

ハメルンの刑務所内で死の淵に立ったイルマの最期の言葉は、「Schnell(早くして)」だったという。

イルマ・グレーゼに対する評価の真偽

イルマ・グレーゼ

画像:イルマ・グレーゼ(1945年8月撮影)public domain

ベルゼン裁判に関わらず、第二次世界大戦に関わる戦争裁判全般にいえることだが、第三者の意見を取り入れて公平に罪を裁くことが第一の目的ではなく、敗戦国の戦争犯罪者を断罪するための一種の儀式のようなものだっといわれている。

イルマについての「美しく残酷で性に奔放な女看守」というイメージも、元収容者やマスメディア側から発せられた情報であり、その信憑性が高いかどうかと問われたら、疑問を感じざるを得ない。

いくら上官の愛人説があったとしても、厳格な統率体制で知られたナチス親衛隊において、連絡主任まで出世したはものの、たった20歳そこそこの女看守に好き勝手振る舞える権限が与えられていたのだろうか。そもそもイルマが上官の愛人だっという話にも証拠がない。

イルマは弱った収容者に犬をけしかけ噛みつかせていたと言われ、裁判でもその行為について問われたが、イルマ自身は「犬は飼ったことがない」と証言しており、ナチス側の証人もそれを認めている。

しかし、裁判でのイルマ側の証言や弁護はほぼ聞き入れられず、イルマは「罪なき収容者を虐待して死に追いやったナチスの美しき野獣」として世間に認知され、戦勝国の手によって死刑に処された。

ナチスが行ったホロコーストが許されざるものであることは間違いない。収容者たちが地獄の苦しみを課せられたことも、揺るぎようのない事実だ。イルマ自身も看守として収容者に対して何らかの体罰を課したことは認めている。

しかし、アウシュヴィッツの中でもっとも残忍な女看守という評価に関しては、誇張があった可能性は否定できない。

人々がナチスと親衛隊に抱いた憎しみに加え、「イルマの美貌に対しての嫉妬」、さらには「世間が美女の裏の顔に向ける好奇心」が、少なからず彼女に下された判決に影響を与えたのではないかと感じずにはいられない。

参考 :
加藤一郎 著『イルマ・グレーゼ -「美しき野獣」か「偽証の犠牲者」か 』
レイモンド・フィリップス 編集『ヨーゼフ・クラマーとその他44人の裁判』
オルガ・レンゲル 著『5本の煙突』

 

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北森詩乃

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娘に毎日振り回されながら在宅ライターをしている雑学好きのアラフォー主婦です。子育てが落ち着いたら趣味だった御朱印集めを再開したいと目論んでいます。目下の悩みの種はPTA。
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