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【チューリップバブル】世界最古のバブルについて調べてみた

世界最古のバブル

2021年、日本やアメリカの株価はバブルに突入したかと言われるくらいの株高になっております。

歴史を振り返ると2000年前半のITバブル、1980年代の日本のバブル景気とバブルは何度か起きています。

そこで更に過去にさかのぼって世界最古のバブルのについて調べてみました。

チューリップバブル

チューリップバブル

ヤン・ブリューゲルによる『A Satire of Tulip Mania』(1640年)は、投資家を、現代的な上流階級の服装を身に着けた頭脳のない猿に描いている。経済的な愚かさに関する解説によれば、ある猿は以前は貴重であった植物の上に放尿しており、別の猿は破産裁判所に出頭し、また別の猿は墓に運ばれている。

チューリップバブルとは1600年代にネーデルランド(オランダ)で起きたバブル経済のことです。

当時のオスマントルコ帝国から輸入されたチューリップが、貴族や金持ちの観賞用として火が付き様々な品種改良が加えられました。

オランダの土地は肥沃でありチューリップを育てるのに適していたことも関係があるようです。その中でも特に珍しいチューリップの球根「無窮の皇帝(むきゅうのこうてい)」という品種が一時期1200ギルダーの値段が付いた事もありました(当時の大工の年収が250ギルダー)。記録に残された最古の投機バブルと言われています。

チューリップバブル

チューリップ・バブルの間に取引された最も高価なチューリップとして有名であるSemper Augustus(センペル・アウグストゥス:無窮の皇帝)の水彩画(17世紀)。1637年の取引価格は1623年の取引価格の10倍に上昇していた。

何故こんなにもチューリップの価格が高騰したかというと、一般庶民が投機物として取引したからです。

投機の対象になったのはチューリップの球根であり、球根の状態ではどのような色の花が咲くのかわかりません。チューリップの花の色は現在の科学ではアブラムシが運ぶウィルスに感染して様々な色や模様の花が咲き変異する現象(ブレイク)によるものだと知られています。

ですが当時の人間にはそんなことは知る由もなく、宝くじでも買う様に球根を買ったようです。

ただしブレイクしたチューリップは次の球根にも同じ変異の特徴が表れやすい性質と、変異した球根は遺伝的欠陥を持っていることもあり非常に弱く、育ちにくいといった二つの特徴があります。

つまり希少性の高さや珍しいチューリップはさらに珍しいチューリップを生むということで、一攫千金が庶民にも狙えたことが大きな要因です。

当時のオランダの金銭感覚

1600年代のオランダの物価は

・オランダ人の平均年収が150~400ギルダー
・小さな町の家は300ギルダー
・最高級の絵画で1000ギルダー
・かなり大きな庭や馬車置き場の付いている家の価格の相場が約1万ギルダー

程だったそうです。

ちなみにチューリップバブルのチューリップの値段は

ゴーダという品種
0,2g:20→225ギルダーに

「大元帥」という品種
0.5g:95→900ギルダーに

何の変哲もない黄色い花がさくクルーネン種
約453g:20ギルダー→数週間で1200ギルダーに

「福王」という球根
2500?3000ギルダー。
(ちなみに2500ギルダーで、小麦27トン、ライ麦50トン、バター2トン、チーズ2トンが買うことができた。)

チューリップの王様「無窮の皇帝」
10,000ギルダー

無窮の皇帝は熱気の間もあいかわらず球根の帝王でした。チューリップバブルが始まる前の1625年には、2400ギルダーだったのが、バブルが始まる1633年には5500ギルダー、ピーク時には1万ギルダーの価格がつきました。

更にはチューリップの先物取引まで行われだしました。実物の球根を取引するのではなく土に眠っているまだ収穫できない球根に値段がつけられ、売り手は買い手に約束手形を渡すことによって将来収穫出来る球根の利益を手にすることが出来るようになりました。

先物取引により更に価格の上昇は加速し、他の商品の価格まで上昇しました。オランダの物価自体がインフレを引き起こす原因となりました。

チューリップにまつわる逸話

・バブルの真最中に、ある船乗りが食べるために球根と食用の玉ねぎを間違えて調理してしまい朝食として出してしまいました。この料理の時価は船員全員を一年間養えるだけの価値があり、とんでもない価値の料理を出してしまったことになります。この船乗りはチューリップの球根を食べた罪で刑務所入りになったそうです。

・貴重な品種の球根は0.5グラム単位で重さが計られて、当時大流行りしていた東インド会社の株式と変わらないほどオランダ中で一般的に売買されるものとなりました。

チューリップバブルの終焉

このチューリップバブルは1636年~1637年に最高潮に達しましたがついに終わりを迎えます。

チューリップバブル

アール・トンプソン(Earl Thompson)によって作成された、チューリップ球根の取引契約における、標準化された価格指数のグラフ。トンプソンは2月9日から5月1日の間の価格データを持っていなかったため、この間どのように価格が下落したかは不明である。しかし、チューリップ市場が2月に突然暴落したことは知られている。wiki c JayHenry

1637年2月3日、前触れもなくバブルは崩壊しました。

理由は現在でもわかりませんが、ペストの流行も一つの理由にあげられます。

ハールレルムという町で球根が売れなくなったという噂が広まり、翌日にはいくらの値段でもチューリップが売れなくなったようです。

先物価格も暴落し、一か月半で10分の1まで値段は下がりチューリップを持っている人たちは大パニックに陥りました。翌年の1638年5月に、政府が合意価格の3.5%の支払いでチューリップの売買契約を破棄できると宣言、混乱は収束しました。

このバブルでは政府が先の対応を行った結果、オランダの経済危機になるようなことはなかったのが幸いでした。

バブルの発端になった貴族や金持ちは、バブルが過熱している間に売り抜けて投機対象を東インド会社に移したことで暴落を回避していたようで、一番被害を受けたのは庶民でした。

球根や先物の手形を買うために家や土地を担保にしていた人もいて、全財産を失う人も出たようです。

こうして世界最古のバブル、チューリップバブルは崩壊しました。

現在でもオランダではチューリップの価格は世界平均から見ても高い水準にあります。

しかしこのこの頃のチューリップは富裕層の観賞用から投機物になり、そして「愚かさの象徴」になりました。

 

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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