戦艦ドレッドノート
ドレッドノート(Dreadnought)は1906年12月に就役したイギリス海軍の戦艦です。
・全長 :160.6m
・排水量 常備:18,110トン
満載:21,845トン
・最大出力 :23,000hp
・最大速力 :21.0ノット
・主砲 :30.5cm(45口径)連装砲5基
上記のスペックを備えた戦艦でしたが、この戦艦は当時の戦艦を一変させる画期的な存在となりました。
その艦名は、「Dread:恐怖・不安」と『Nought:ゼロ・なし』を足して作られた造語であり「恐れを知らない」を意味していたと言います。
その後戦艦ドレッドノートの先進的な設計とその存在は、同クラスの戦艦を「弩級(ド級)」、これを超える戦艦を「超弩級(超ド級)」と呼ぶことになり、その艦名の頭の文字が用いられる程の衝撃を以て迎えられました。
単一巨砲と斉射
戦艦ドレッドノートには、それまでの戦艦と比べて大きく2点の先進的な特徴がありました。
その一つ目は「単一巨砲」を実装したことです。主砲に単一口径の連装主砲塔5基10門を装備したことで、それまでの標準であった連装主砲塔2基4門を大きく上回り、ドレッドノート1隻で従来型戦艦の2隻分に相当する火力を持つものとされました。
この主砲を艦橋に設置された射撃方位盤で統制して照準を行うことで、砲撃の命中率を劇的に向上させていました。
それまでの砲撃は「独立撃ち方」と呼ばれ、個々の砲手の技量と判断でバラバラに行われていました。しかしこの手法では砲の性能が向上しその射程が伸びたことから着弾地点の観測が難しくなり、照準の修正行動に支障をきたしていました。
そこで「斉射」と呼ばれる、多数の同一口径砲を同しデータを用いて照準を行うことで、同時に砲弾を発射し、着弾位置を確認しつつ、更に照準を修正して命中精度を向上させる手法が考案されました。
この「斉射」の運用を行える戦艦として設計・建造させた艦がドレッドノートでした。
蒸気タービン機関
戦艦ドレッドノートの持つ二つ目の先進的な特徴が「蒸気タービン機関」を推進部に採用したことでした。
これはイギリスのそれまでのレシプロ機関を搭載していた戦艦の速力が約18ノット程度であったものに対して「蒸気タービン機関」を採用したことで、それを上回る約21ノットの高速力を実現したものでした。
小型軽量で高出力な「蒸気タービン機関」は、搭載する艦の機関の重量を節減することが可能になったことで船体を伸ばすことができました。
これにより兵装面で在来の戦艦の倍以上となる主砲を実装することが可能となり且つ、加えて高速力という一石二鳥を実現しました。
弩級(ド級)から超弩級(超ド級)へ
戦艦ドレッドノートは「単一巨砲」・「蒸気タービン機関」の採用から高い攻撃力と高速度を実現し、戦艦の能力を高めた艦として、以後に建造された同様な能力を有した艦を「弩級(ド級)」戦艦と呼ぶ程の衝撃を列強各国与えました。
しかし列強各国のあくなき軍事力の強化は続き、数年後にはドレッドノートを凌駕する戦艦が早くも出現することになり、それらは「弩級(ド級)」を超えている艦として「超弩級(超ド級)」戦艦と呼ばれました。
実戦でのドレッドノート
戦艦ドレッドノートは、就役から8年後、1914年に勃発した第一次世界大戦において既に主力艦の位置から外れ、戦場では新たな「超弩級(超ド級)」戦艦へが主力となっていました。
北海のイギリス第4戦艦戦隊に所属していたドレッドノートは、1915年3月、ドイツの潜水艦U-29を撃沈する戦果を挙げましたが、なんとこれは、体当たりで得た戦果であり、戦史上、戦艦が潜水艦を撃沈した唯一の事例ともなっています。
以後、就役当時は高速艦であったにも関わらず、もはや低速艦となったドレッドノートは他の艦船との作戦行動が困難でしたが、テムズ川の第3戦艦戦隊の旗艦を務めました。この後、海戦史に残る歴史的なユトランド沖海戦が発生しますが、改修に伴い実戦から離れていたドレッドノートは、これに参加していません。
この後、ドレッドノートは第一次世界大戦後の1920年3月に退役を迎え、わずか14年の就役期間に終わり、しかもその期間中にも当初期待された性能を発揮することはなくその使命を終えた、その意味では不運な戦艦でした。
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