ミリタリー

ドイツ帝国海軍 「当時世界第2位だった戦わない海軍 〜現存艦隊主義」

ヴィルヘルム2世の野望

ドイツ帝国海軍

※ヴィルヘルム2世(Wilhelm II)

ドイツ帝国海軍は、1871年にヴィルヘルム1世の下で統一されたドイツ帝国の誕生によって組織された海軍でした。

ドイツと言えば伝統的に陸軍国としての印象が強いと思いますが、第一次世界大戦の時点においてドイツ帝国海軍はイギリス海軍に次ぐ、世界第2位の規模を誇る大海軍となっていました。

第二次世界大戦時には周りを海に囲まれたイギリス・アメリカ・日本が世界三大海軍国であったことを考えると意外な感じがしますが、当時二代目の皇帝に就任したヴィルヘルム二世が政治的にも海軍力を重視し、大艦隊の建造を命じたことに端を発したものでした。

海軍大臣テルピッツ

発足当時のドイツ帝国海軍は、当時ドイツの軍艦の製造技術水準が低かったこともあり、中核となる軍艦の建造を外注するなど、日本の海軍と同じような状態にありました。

こうした状況下からドイツ帝国海軍は徐々にその規模を拡大させていきました。従来、ドイツの海軍兵力は海岸線の防衛に重点を置いたものでしたが、遠洋において敵勢力との交戦を想定した装甲艦の建造によって七つの海へと乗り出していくことになりました。

ドイツ帝国海軍

※テルピッツ

殊にヴィルヘルム2世から抜擢を受けた海軍大臣のテルピッツが継続的な軍艦建造のための法整備と予算化を推進しました。

抑止力としての「戦わない海軍」構想

海軍軍人としてリアリストであったテルピッツは、世界最大の海軍力を保有するイギリスに対し、予算上からもドイツがそれを凌駕することは出来ないと認めていました。

しかしある一定の海軍力をドイツが保有することで、イギリスが正面からドイツに対して戦いを挑むことを躊躇させることは出来ると考え、戦艦を中核とした艦隊の建造を推進しました。

この思想はいわば「戦わない海軍」ではあるものの、その艦隊が存在することでイギリスに対する抑止力と成りえると提唱したものでした。

こうして軍艦の保有数を増加させたドイツ帝国海軍は、やがてフランス海軍を凌ぐ規模となり、名実ともにイギリスに次ぐ大海軍として第一次世界大戦に突入していきました。

2年間温存された艦隊

1914年に開始された第一次世界大戦いおいて、ドイツ帝国海軍は事前の想定の通りに出撃することは少なく「戦わない海軍」として概ね軍港に留まってイギリスを牽制していました。

この「戦わない海軍」は現存艦隊主義とも呼ばれ、戦争終結の条件を有利に運ぶ外交上の切り札として用いられました。

そうした中でイギリス側がユトランド沖海戦と呼んだ、第一次世界大戦でほぼ唯一となる主力艦による艦隊決戦が、1916年5月末に発生しました。

この時はそれまで温存されていたドイツ艦隊がイギリス海軍の制海権を崩そうと試み、可能な限りの主力艦を出撃させました。ドイツ帝国海軍の動きを暗号解読によって把握していたイギリス側もこれを迎撃に向かい、遂に主力艦同士の交戦が実現しました。

ユトランド沖海戦

※ユトランド沖海戦

イギリス側の戦力は戦艦28隻を含む合計151隻、対するドイツ側は戦艦16隻を含む計99隻と、戦力比ではイギリス3に対しドイツ2でありイギリス側優位な中で海戦は行われました。

結果、ドイツ海軍は戦艦1隻、 巡洋戦艦1隻、 軽巡洋艦4隻、 駆逐艦5隻など計約6万2千トンの艦船が沈められ、 戦死が3093人でした。対してイギリス海軍は巡洋戦艦3隻、 装甲巡洋艦3隻、駆逐艦8隻、 合計約11万2千トンの艦艇が沈められ、 戦死6784人を数え、損害だけをみればイギリス側が倍の被害を被り、海戦そのものにはドイツ側が勝ちを収めたと言える戦いでした。

しかし戦略的には、この海戦以後ドイツ帝国海軍は再び現存艦隊主義を貫いて出撃を控えたたことから、大戦全体を通してイギリス側の制海権は揺るがず、その意味でイギリス側の勝利と言えるものでした。

ドイツ位帝国とともに崩壊

その後のドイツ海軍は潜水艦・Uボートによる海上封鎖を企図して、無制限潜水艦作戦を実施して民間の船舶を始め多くの連合国の艦船へのゲリラ的な攻撃を海上の主作戦としました。

しかしこの行為は戦時国際法に反するものであったことや、アメリカの参戦を招くなど自らの首を絞める結果に繋がりました。

1918年10月にはドイツの水兵達が氾濫を起こし、翌11月にドイツ帝国自体が崩壊してドイツ帝国海軍の歴史も終了することになりました。

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社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
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