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1994 アメリカワールドカップでの3つの悲劇

ドーハの悲劇

1994 アメリカワールドカップでの3つの悲劇

※ゴールを決められ崩れ落ちた日本代表

ドーハの悲劇とは日本がアジア地区最終予選において、イラクが後半ロスタイムの土壇場でゴールを決め引き分けとなった試合の別名である。

日本はこの試合に勝てば悲願であったワールドカップ初出場を果たすことが出来たのだが、この試合で引き分けとなったせいで得失点差で韓国に追い越されてしまい、予選敗退となってしまった。
この頃の日本は前の年、Jリーグが開幕されたことがきっかけで、この予選は日本中の関心を大いに寄せたものでもあった。

その関心具合はこの試合の視聴率が真夜中にもかかわらず48.1%を記録し、テレビ東京の歴代視聴率ランキング第一位になったほどである。このドーハの悲劇は日本がワールドカップに熱中するようになる一つのきっかけとなった試合でもあった。ちなみに日本がワールドカップ本戦に初出場を果たすのは、この試合から4年後の1998年を待たなくてはならない。

余談ではあるが、日本を敗退に追い込んだイラク代表は、当時権力を握っていたフセインの息子であるウダイ・フセインから「もし、日本に負けたらてめーらを鞭打ちの刑にするからな!!!」と厳命を受けていたとか。

イラク代表からすればこの試合こそ絶対に負けられない試合だったかもしれない。

パリの悲劇

この大会においてまさかの結末で本戦の出場を逃してしまったのは日本だけではない。

2018年ワールドカップにおいて優勝を決めたフランスにも悲劇が起きてしまったのである。フランスはこの大会において予選通過の最有力候補としてあげられていた。

フランス代表はその前評判に応えるように初戦では負けたものの、その後三連勝するなど着々と本戦出場の道を歩んでいく。しかし、フランス-ブルガリア戦で悲劇が起きてしまう。フランスはブルガリアに勝つか引き分けになれば本戦に出場出来たのだが、後半44分、1-1で進んでいた時にジノラ選手が時間稼ぎをせずにパスをしたことがきっかけで失点。

1994 アメリカワールドカップでの3つの悲劇

※2014年のジノラ

そのまま1-2で試合終了し、フランスは本戦出場を逃してしまったのである。

その後フランスでは本戦出場を逃してしまった大戦犯であるジノラ選手を大バッシング。フランス代表に二度と召集されなくなり、イングランドのプレミアリーグに移籍する事態にまで追い込まれた。

その後フランスはこの悲劇をバネに、4年後に自国で開かれた1998年ワールドカップで初優勝することになる。

エスコバルの悲劇

※アンドレス・エスコバル

エスコバルの悲劇は本戦リーグでコロンビアの代表アンドレス・エスコバル選手が、オウンゴールしたことによって引き起こされてしまった悲劇である。

コロンビアはこの大会で強豪アルゼンチンを降し、本戦に見事出場を決めたのだが、本戦になると苦戦を強いられ初戦のルーマニア戦で敗北。もう後がない状態に追い込まれていた。

そして第2試合コロンビア-アメリカ戦で悲劇が起こる。コロンビアは堅実な守備で試合を進めていったのだが、前半35分。エスコバル選手がまさかのオウンゴール

これがきっかけで最終的には1点返すものの1-2で負けてしまい、第一次ラウンドで敗退となってしまった。

こうなると怖いのがエスコバル選手含むコロンビアの代表たち。パスのミスで国内から批判の嵐を受けるのに、直接の敗因であるオウンゴールを決めてしまったのだから本国に帰った時にどうなるかわかったもんじゃない。そう感じたコロンビアの代表たちはアメリカに留まり本国に帰らなかったのである。しかし、オウンゴールを決めた本人であるエスコバル選手は「このオウンゴールの説明をしなければいけない」と帰国。これがエスコバル選手が最悪の結果導くことになってしまった。

1994年7月2日、エスコバル選手はバーで飲んで店から出たところを銃撃。12発の銃弾を浴びて即死。この時27歳であった。

彼を殺害した犯人は銃撃する前に「オウンゴールをありがとう」と発言していたらしく、一説にはこのオウンゴールのせいで敗戦したことによってサッカー賭博で大損をしてしまった恨みが犯行動機とされているが、真相は不明である。

その後、彼の葬儀には12万の人が集まり、さらに直後に行われた決勝トーナメントでは彼のために黙祷が捧げられた。

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得意なジャンルは特に明治以降の日本史とピューリタン革命以降の世界史です。

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