焼け落ちた古代都市と「恋人たち」の発見

画像 : ハサンル遺跡 public domain
イラン北西部、ウルミア湖の南に広がるガダル川流域に、かつて「ハサンル」と呼ばれる古代都市が存在していた。
紀元前6千年紀から紀元前800年頃まで長く人が住み続けたこの都市は、肥沃な土地と交易・軍事の要衝という立地条件により繁栄を誇ったが、ある日突然、破局的な終焉を迎えることとなる。
ハサンル遺跡が広く知られるようになったのは、1950年代のことである。
1956年、ペンシルベニア大学を中心に、メトロポリタン美術館とイラン考古庁が共同で本格的な発掘調査を開始し、指揮を執ったのは若き考古学者ロバート・H・ダイソン Jrであった。
泥レンガ造りの巨大建築や厚い灰層、倒壊した柱、さらには多くの人骨が次々と発見され、焼き尽くされた都市の記憶が次々と掘り起こされていった。
そして1972年の発掘で、彼らはかつてない光景に出会うことになる。
それは、漆喰で内張りされた貯蔵槽の内部だった。中には、向かい合うようにして横たわるふたりの人骨が収められていた。
ひとりは背中を下にして仰向けとなり、もうひとりは横向きに寝そべり、まるで相手の顔に触れようとするかのように片腕を伸ばしていたのである。

画像 : 1973年にテッペ・ハサンル遺跡(英語版)で発見された紀元前800年ごろの2体の遺骨。お互いに向かい合い、腕を回し、寄り添い合うような形態で発見された。wiki c Davide110777
まるで二人は抱き合い、唇を重ねているかのようにも見えた。
寄り添う二人の姿は、やがて「ハサンルの恋人たち(Hasanlu Lovers)」「2,800年前のキス」などと呼ばれるようになった。
この発掘現場の写真は、国内外の展覧会でもたびたび展示され、多くの人々の想像力と感情をかき立てた。
この二人は一体何者で、なぜこのような姿で死を迎えたのだろうか。
火砕に包まれた街と、命を寄せ合った最期
ハサンルの滅亡は、ある日突然やってきた。
紀元前800年ごろ、何者かによる激しい襲撃を受け、街は徹底的に破壊され、炎に包まれたとされている。
攻撃を仕掛けた勢力の正体は今もわかっていないが、アッシリア帝国やウラルトゥ王国、あるいは南カフカスの名もなき集団だったのではないかと推測されている。
瓦礫の中からは250体以上の遺骨が見つかり、その多くが街路や建物内で無造作に崩れ落ちたように横たわっていた。
頭部に裂傷を負ったもの、四肢がばらばらになったもの、逃げ場を失い群れて倒れていたもの…
街は戦場と化し、住民たちは逃げる間もなく、その場で息絶えていったのだ。

画像 : ハサンルで見つかった遺体の多くは、街路や建物の中で命を落とした場所にそのまま残されていた。PM image 78138-1
二人が見つかった貯蔵槽もまた、そのような混乱のさなかに逃れ込んだ場所だったと考えられている。
骨には致命的な外傷が見当たらず、刃物による刺し傷も、打撃による損傷も確認できず、火に直接包まれた形跡もなかったという。
残されていたのは、密閉された空間に長く留まり、酸素を失っていった窒息の兆候だけであった。
一方の腕が相手の顔に触れ、ふたりの身体は互いに寄り添うような姿勢を保っていた。
そこに愛があったのか、あるいは恐怖だったのか、それを判断する術はない。
ただ、街が燃え落ちる中で、ふたりは最期の瞬間まで共にいた。それだけは確かである。
「恋人たち」は誰だったのか
前述したように、人々は自然と彼らを「ハサンルの恋人たち」と呼ぶようになり、メディアは「2800年前のキス」などと報じ、写真は展覧会や教科書にも掲載された。
古代にも現代と変わらぬ愛があったのだと、多くの人々が胸を打たれた。
だが、考古学的な見解は異なる。
骨の特徴、遺体の置かれた状況、埋葬ではないという特殊な発見形式。二人の関係を読み解くには、それら一つひとつを冷静に検証する必要がある。
Sk335と記録された片方の個体は、19〜22歳ほどの若い成人で、骨盤の構造から男性と判定された。
歯の萌出状態や全身の骨格もその推定を裏付けており、健康状態も良好だった。
もう片方のSk336は、30〜35歳ほどの個体で、体格はSk335とほぼ同じながら、骨盤には中性的な特徴が見られた。
頭蓋骨はやや男性的ではあったが、決定的な判断には至らず、女性とする見解が多かった。
また、他の遺体の多くが金属製の装身具、兵士の兜、日用品などを身につけていたのに対し、二人の周囲には一枚の石板しか残されていなかった。
つまり二人は、戦士や神官といった社会的地位を持つ者ではなかったと考えられている。
現代科学が明かした“真実”と、残された謎

画像 : テッペ・ハサンル遺跡の全容図とハサンルの恋人たちの発掘箇所(赤矢印部分) wiki c Bes365
2000年代以降、骨のDNA抽出と解析が可能になると、ハサンルの二人にも検証の手が及んだ。
2016年頃からペンシルベニア大学の研究チームによる再調査が進められ、2017年にはジャネット・モンジュ博士とペイジ・セリンスキー博士の主導により、骨の形態学的分析と古代DNA検査が実施された。
その結果、なんと両者とも男性であったことが確定した。
前述したように、Sk335が若い男性であることは早くから明らかだったが、もう一方のSk336については、発見当初、女性とみなす声も少なくなかった。
というのも、骨盤の仙骨切痕(坐骨切痕)が広めで、一般的に女性に多い形状に見えたからである。
しかしその後、欠けていた骨盤前部が見つかり、改めて分析が行われた結果、恥骨の角度が鋭く、骨も分厚いなど、男性に典型的な特徴が確認された。
さらにDNA鑑定によってY染色体が検出され、Sk336が男性であることがはっきりと証明されたのだ。
この事実は、大きな反響を呼んだ。
長らく「恋人」として語られてきた二人が、実はどちらも男性だったという発表は、現代の性や愛をめぐる価値観とも結びつき、さまざまな解釈や議論を生んでいった。
しかし、それが必ずしも恋愛関係を意味するとは限らない。親子かもしれないし、兄弟や友人だったのかもしれない。
あるいは、襲撃という極限の状況の中で、たまたまそこにいた見知らぬ者同士だったという可能性も否定できない。
まるで抱き合うように見える姿も、死の間際にとっさに起こった反応だったのかもしれないのだ。
ふたりの正体は、今も不明のままだ。
だが、彼らが残した静かな抱擁は、2800年の時を超えて、今なお我々の心を揺さぶり続けている。
参考 :
『The Hasanlu Lovers』Penn Museum Highlights
『Expedition Magazine 59-2「Lovers, Friends, or Strangers」』他
文 / 草の実堂編集部
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