ソビエト連邦、北朝鮮といった一党独裁の社会主義国家では、社会主義の発展を象徴するという建前のもと、労働者を鼓舞し、国威発揚のために巨大建築物を建設した。
特にスターリン時代のソ連では「共産主義を理想的な社会秩序として賛美する」という名目で、数々の巨大建築物が「スターリン様式」という様式で建てられる。その後も様々な理由で巨大建築が見られるが、中には計画だけで終わってしまったものも少なくない。
今回は、そのようなあまり知られていない巨大建築に焦点を絞った。
目次
セブンシスターズ
「セブンシスターズ」はモスクワに建てられた7棟の巨大建築のことである。スターリン様式の特徴である、モスクワをマンハッタンのような摩天楼にするための重厚な高層建築様式であり、主に1933年~1955年に建てられた。
文化人アパート
1945年に完成した文化人アパートは、高さ156mの24階建て、部屋数も450室あり現在も使用されている。
※文化人アパート 出典 – собственная работа
芸術家アパート
1952年完成の芸術家アパートは中央が塔のように高くなっており、そこまでの高さは176m、26階建てで700室ある。ここも現在使用されている。
※芸術家アパート 出典 – собственная работа
ホテル・レニングラード
1953年完成のホテル・レニングラードは高さ136m、17階建てで客室数は330室ある。
※ホテル・レニングラード 出典 Grey Devey гостиница Ленинградская
ホテル・ウクライナ
※出典 Lite – Kutuzovsky prospekt in Moscow at night
ウクライナ行きのキエフスキー駅のそばに建つホテル・ウクライナは、1955年に完成。34階建てで高さ206m、中央部にポール状の突起があり、そこだけで73mもある。497の客室、38の長期滞在者用アパートメントホテルがある。
モスクワにありながらウクライナの名前が付いているのは、キエフスキー駅と関係がある。ロシアの駅名はすべて行き先の名前が付いており、「キエフスキー」もウクライナのキエフ行きの始発駅ということから、この名前となった。
ソビエト連邦運輸建設国家委員会ビル
※ 出典 собственная работа –
1953年完成のソビエト連邦運輸建設国家委員会ビルも高さが138mあり、24階建てである。それでも、他の建築物に比べると「小さいな」と思えるから笑ってしまう。
ロシア外務省
ロシア外務省も1953年の完成で、高さ172m、27階建て。エレベーターの数は28台もある。
モスクワ大学
※出典 Lomonosov Moscow State University (MSU) –
そして、最後が1953年完成のモスクワ大学。高さ240m、34階建てだが、建物の大半は学生寮になっている。入居可能人数は約7000人。
母なる祖国像
※出典 Мамаев курган
ロシアのヴォルゴグラード(旧スターリングラード)のママエフの丘にスターリングラード攻防戦を記念して1967年に建造された。
まさに「そびえたつ」といった表現がピッタリだが、その高さは女性像だけで52m、剣の長さは33mに及ぶ。
ママエフの丘には、200日に及んだスターリングラード攻防戦を象徴する200段の階段が備え付けられており、ソ連軍元帥であったワシーリー・チュイコフや、スターリングラード攻防戦で257人のナチス・ドイツ兵を狙撃し殺害したヴァシリ・ザイツェフらはこの地に埋葬されている。
重量7900tのこの像は建設当時、世界最大の巨像であった。
北朝鮮・柳京ホテル(リョギョン・ホテル)
※Joseph Ferris III Ryugyong Hotel-August 27,2011
朝鮮民主主義人民共和国の平壌にて建設中の巨大ホテルである。しかも、建設開始は1987年というから、30年後の現在でも完成していない。
北朝鮮が1988年のソウルオリンピックに対抗して開催したとされる第13回世界青年学生祭典に合わせて起工される。
北朝鮮の威信を掛けて、当時世界一の高さを誇るホテルとして開業する予定であった。ホテル名の柳京とは平壌の旧称であり、建設段階から地図にも掲載するほど自信を持って建設に臨んだ。
しかし、北朝鮮の財政事情につりあわない巨額な予算が仇となり、完成は遅れ、さらには1992年に建設がストップされてしまった。その後は放置され、地図からも消える。外国人観光客が柳京ホテルのことを聞いても、現地スタッフは何も答えないという話もあるほど「無き物」にされたのである。
※放置中の柳京ホテル
その後、コンクリートの劣化などにより工事再開は不可能と思われていたが、外資の参入により少しずつ、再開と断念を繰り返している。2017年現在において、詳細は不明だが、工事再開のニュースが出ている。
夢に消えたソ連の巨大建築
話をソ連に戻そう。
ここからは、計画だけに終わった巨大建築についてだ。
ソ連時代に数あったレーニン像のなかでもっとも巨大なものとして計画されたものがある。右手を上げ、人差し指を伸ばしたよくある立ち姿だが、その高さは100m、重量は6000トンもあった。
頭だけで14mあり、これは5階建てのビルに相当する。ちなみに自由の女神は46mなので、実に倍以上の高さになる計画だった。
また、1932年にはソ連共産党の党大会会議場となる「ソビエト宮殿」のコンペが行われた。1939年には円柱形状である基礎地上部のかなりの部分(高さ約27.5m、10階建ての建造物に匹敵)が出来上がっていたが、第二次世界大戦の影響で建設は停止され、以後再開されることはなかった。
詳細は不明だが、高い主塔を持ち、高さはエッフェル塔と同等(324m)かそれ以上で、レーニン、マルクス、エンゲルスの像をビル前に置くようにとの指示があったらしい。
※ソビエト宮殿のCG予想図
最後に
これらはすべて独裁国家だから行えたことである。国民の生活水準を下げてまで、国の力を内外に見せ付けるべく建設された。
北朝鮮は今も独裁国家ではあるが、予算の多くを軍事費に当てており、巨大建築物を建設する余裕などない。
すべては冷戦時代の名残りなのだ。
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