女性が妊娠可能な年齢は、およそ10代前半から40代前半までとされているが、早すぎる出産や高齢での出産は体に大きな負担をかけるため、現代における出産適齢期は20代半ば〜30代前半頃が理想とされている。
しかし、もし5歳の女の子が妊娠し出産したという話を聞けば、あなたはどう思うだろうか。
今回紹介するリナ・メディアは、わずか5歳7か月という年齢で子供を妊娠し、出産した人物である。
なぜこの幼い少女が妊娠してしまったのか? また、この年齢での出産は可能なのか?
今回は、現在も多くの謎を残すリナ・メディアの妊娠と出産についてご紹介しよう。
リナ・メディアの生い立ち
リナ・メディアは、1933年9月27日にペルーのアンデス山脈にある小さな村、ポーランジェで誕生した。
彼女の家族は貧しい農民であり、村では質素な生活を送っていたという。
幼少期のリナは異常な身体発育を見せており、他の子供たちに比べて明らかに成長が早かった。しかし、当時の周囲の認識は「他の子供より早熟」という程度であり、特に異常とは見なされていなかった。
妊娠と出産の経緯
それから約5年後の1939年、リナが5歳に差し掛かったころ、母親はリナの腹部が異常に膨らんでいることに気づき、病院へ連れて行った。
初めは腹部腫瘍を疑った医師たちであったが検査の結果、リナが妊娠していることが判明した。
この現象を信じられなかった医師たちは、首都リマの国立病院の専門医に検査を依頼した。主治医のヘラルド・ロサーダが改めてリナを検査した結果、彼女はすでに妊娠7ヶ月目に入っていることが確認された。この事実に、ヘラルドを含む医師たちは驚愕した。
リナは24時間体制で病院に入院し、妊娠発覚から約2か月後の1939年5月14日、多くの医療スタッフが万全の態勢で分娩に臨んだ。
そして、リナは帝王切開により無事に元気な男児を出産した。この時、リナはわずか5歳7ヶ月21日であった。
彼女の息子は健康で、約2.7キログラムの体重で生まれ、担当した主治医の名前からヘラルドと名付けられた。
リナの妊娠と出産は、医療史上最も若い年齢記録として世界中の注目を集めることとなったのだ。
妊娠の原因は
一方、リナが妊娠した原因については謎に包まれている。彼女自身は妊娠の経緯について一切語らず、詳細は不明となっている。
彼女を診察した病院側は、リナが性的虐待を受けた可能性を疑い、リナの父親を警察に通報し、彼を逮捕させた。
しかし、父親の発言の食い違いや証拠の不十分さから、彼は釈放された。当時はDNA鑑定の技術が未発達であったため、遺伝子検査も不可能であった。このため、リナの妊娠の具体的な経緯については現在も明らかになっていない。
早発思春期について
生物学上の父親が不明である場合、考えられる一つのケースとして非常に稀な早発思春期(非常に若い年齢での思春期の発症)が挙げられる。
早発思春期は非常に稀な症状であり、通常はホルモンの異常や腫瘍などの医学的な原因が関与していることが多いとされる。これらの要因が、極度の早発性妊娠を引き起こしたのではないかと推測されている。
実際にリナは発育が非常に早く、3歳の頃にはすでに月経が始まっていたとされる。
また、リナの手術を担当したエドムンド・エスコメル医師の報告によれば、4歳で胸の成長が始まり、妊娠後には骨盤が広がるなどの骨格的な成長も見られたという。
出産後の生活
出産後、リナと彼女の家族はメディアの注目を浴び続けたが、平穏な生活を望んだ家族は取材にはほとんど応じなかった。
また、リナの息子であるヘラルドは弟として育てられ、リナが母親であることは長らく秘密にされた。幼いリナ自身も、ヘラルドが自分の息子であるということを理解していなかったという。
その後、リナは主治医であったロサーダ医師の秘書として働き、普通の一般女性として生活していた。1972年にはペルー人男性ラウル・フロードと結婚し、ヘラルドの出産から約33年後に二人目の子供を出産している。
一方、息子のヘラルドは健康に育っていたが、1979年に40歳で骨髄の病気を発症し、この世を去った。ヘラルドの骨髄の病気とリナの早期出産に因果関係があるかは不明である。
リナ自身はその後もペルーで静かに生活しており、現在もリマのリトル・シカゴにて存命している。
リナは自らの経験について語ることはほとんどなく、2002年にイギリスのロイター通信から取材を申し込まれたが、家族と静かに暮らすことを望んでいるため、これを拒否している。
果たして、いつかリナの口から何か語られる日が来るのだろうか。
医学的および社会的影響
リナ・メディアのケースは、医学界に大きな衝撃を与えた。彼女の早発思春期と驚異的な早期妊娠は、多くの医療専門家にとって未解明の領域であり詳細な研究が行われた。彼女は早発思春期の理解とその研究に大きく貢献したのである。
実際、リナ以外にも中国やロシアで早期妊娠のケースが発見されており、リナのケースは早発思春期問題への理解を深める契機となった。
リナは史上最年少で出産した記録を持つ人物として、医学史にその名を刻んだ。その人生は多くの人々に影響を与え続けている。
※参考 :
Empson, R. (2015). “Youngest Mother in History.” Medical History Journal
Green, L. (2003). “Early Puberty and Its Implications.” Journal of Pediatric Endocrinology
Parker, S. (2009). “Childhood Sexual Abuse: Social and Medical Perspectives.” Child Welfare Review
Peruvian Medical Journal (1939). “Case Study: Lina Medina
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