宗教

トリノの聖骸布「浮かび上がるのは嘘か、真か」

最も重要で、最も謎に満ちた聖遺物

イタリア北西部の都市トリノ。世界的な自動車メーカー「フィアット」の拠点であるこの地に、キリスト教史を語る上で欠かせない聖遺物が伝わっていることをご存じだろうか。イエス・キリストが磔刑に処せられた際、その遺体をくるんだと言われる「聖骸布」だ。

マタイによる福音書27章59節には、「ヨセフはイエスの亡骸を受け取り、きれいな亜麻布で包んだ」という記述がある。また、ルカやマルコの福音書にも同様、イエスの遺体を包んだ「亜麻布」が登場するのだが、果たしてトリノ大聖堂に眠る「聖骸布」が、その「亜麻布」なのだろうか。

長さ4.42m、幅1.13mの薄茶けた布地には、人体と思われる影がうっすらと浮かびあがっている。布半分には背面、もう半分には髭を生やした男性らしき顔を認めることができる。脇腹や重ねられた両手の辺りに見える染みはイエスの血痕なのか。聖骸布を巡っては、これまで数々の科学的検証がなされてきた。

画像/wikipediaトリノ大聖堂

近代における聖骸布研究

聖骸布の存在が広く世に知れ渡ったのは、1898年。アマチュア写真家セコンド・ピオによって撮影された写真が公開されたことがきっかけだった。教皇の影響力が衰退していた当時のバチカンは、不可知論に対抗できる恰好のチャンスとして、この出来事を好意的に受け止める。

さらに1931年、ジュゼッペ・エンリエが、より鮮明な写真を撮影したことで、真贋論争はさらに加熱。1978年には33人の科学者が集められ、研究プロジェクトが立ち上げられる。「STURP」と名付けられた、このプロジェクトには、物理学者や熱力学者のほか写真家も参加した。

この時、調査チームは、「聖骸布には顔料や染料などの跡は見えず、血液の染みは本物である」との最終報告を発表したものの、聖骸布上の画像が作り出された過程については結論を出すことができなかった。

聖骸布

画像/wikipedia.聖骸布

終わることのない論争

STURPプロジェクトから時を経て、1988年。教皇庁は新たな方法による聖骸布の分析を認める。

ノーベル化学賞を受賞したウィラルド・リビーによって開発された放射性炭素年代測定だ。動植物に内在する炭素14を数えることで年代を特定する方法で、数万年前まで遡ることが可能と言われている。

この放射性炭素年代測定法を駆使した調査は、アリゾナ州立大学、オックスフォード大学、スイス連邦工科大学の3つの研究機関が実施し、大英博物館が監修。測定結果として「聖骸布が織られた時期は、1260年から1390年の間と考えられる」というショッキングな発表がなされた。

しかし、一部の聖骸布研究者からは、採取されたサンプルは亜麻布部分ではなく、中世の修復時に付けられた木綿部分だったのではないかという疑問も出ており、確証が得られたわけでないようだ。

度重なる分析で聖骸布の劣化を恐れたバチカンは、以来サンプルの採取を許可することはなく、「聖骸布はあるがままにあるべき」という立場を取っている。

聖骸布

画像pixabay.バチカン

聖骸布 を作ったのは、あの天才か

聖骸布に疑いを持つ研究者達の中には、放射性炭素年代測定の結果を踏まえた上で、聖骸布は写真技術が生み出された時期の作品だと考える者がいる。イギリス人研究者ケイト・プリンスは、卵の白身とクロム塩の感光乳剤に麻布を浸し、カメラ・オブスクラによって投影するという実験を試みている。結果、聖骸布によく似た画像を再現できたが、中世期それを実現できる技術力を備えた人物がいたかについては疑問視する向きも多い。

そこで初期写真術説を唱える者は、ルネサンス期に生きた偉大な天才レオナルド・ダ・ヴィンチならばカメラ・オブスクラでの投影は可能だと反論する。しかし、ダ・ヴィンチが生まれたのは1452年。聖骸布が発見された1350年代より一世紀ほど後になるため、信憑性は薄い。

画像/wikipedia.カメラ・オブスクラ

明かされない真実の美しさ

聖骸布に浮かび上がった人物の顔を見て、これこそキリストだと感じてしまうのは、多くの西洋画に描かれてきたキリストの容姿と酷似しているせいだろう。緩やかに垂れる髪、口元を覆う豊かな髭。我々が思い描く、このようなキリストのイメージは、あるいは真実の彼の姿とは異なるかもしれない。

これまで、多くの研究者が聖骸布の真実に挑んできた。今後も、より精度の高い科学的調査が行われる可能性はあるだろう。

しかし、神秘をまとった数々の謎が強引に解明されてしまうより、「あるがままにある」聖骸布に、キリストのイメージを重ねていたい気がするのは私だけだろうか。

 

misyou

投稿者の記事一覧

misyouと申します。歴史上の人物たちを、生身の人間として捉え直した記事を書いていきたいと思っております。よろしくお願い致します。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【2千年前に書かれた世界最古の聖書 】 死海文書の謎
  2. エクソシストが足りない!ヴァチカンが養成講座を行う
  3. フランシスコ・ザビエル の身体は世界中に散らばっていた
  4. 【第三次世界大戦?】緊迫するイスラエル情勢 〜双方死者1000人…
  5. 出雲大社より格式が上? 出雲が頭を下げる聖地「熊野大社」
  6. お盆、ご先祖様を迎える室礼(しつらい)について調べてみた
  7. 法華寺ってどういうお寺?【聖武天皇が定めた国分尼寺の総本山】
  8. 天海のライバル・金地院崇伝【徳川幕府の礎を築いた黒衣の宰相】

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

台湾の歴史を簡単に解説 「日本と中国との関係」

台湾とは?多くの日本人も馴染みの深い台湾。親日家が多い国とも知られている。日本人にと…

戦国大名としての織田氏(1)

―下剋上から桶狭間の戦いまで―1. はじめに戦国大名の織田氏と言えば織田信長が有名で…

【虎に翼】 寅子のモデル・三淵嘉子 「弁護士の仕事が激減した理由とは」

修習期間を終え晴れて弁護士となった寅子ですが、なかなか仕事にありつけません。寅子のモデル・三…

明智光秀は残虐で狡猾な人物だった?【宣教師ルイス・フロイスから見た光秀】

ルイス・フロイスという外国人宣教師がいる。カトリック宣教師で戦国時代の日本で布教活動…

「特殊慰安施設協会(RAA)の闇」 2~300人の米兵が病院に侵入し看護婦たちを性的暴行

RAAの設立と目的第二次世界大戦後の日本は、連合国軍の占領下に置かれました。連合国の…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP