宗教

【第三次世界大戦?】緊迫するイスラエル情勢 〜双方死者1000人以上 「イスラエルとパレスチナの対立の起源を遡る」

不意打ちだったハマスの襲撃

2023年10月7日、イスラエルとパレスチナの武装組織ハマスとの間で、激しい衝突が起こりました。

ハマスは陸海空の全軍を動員し、イスラエルに対する大規模な攻撃を開始。

イスラエルに向けて2200発ものロケット弾を発射し、ハマスの戦闘員がイスラエルの国境を越えて侵入しました。

地元メディアによると、イスラエル側では多数の人が死亡し、100人以上の兵士や市民が人質に取られたと報じられています。

この攻撃への報復として、イスラエルは「戦争状態」を公式に宣言し、ガザ地区への空爆を実施しました。パレスチナ側では400人以上が死亡し、両者合わせて1000人以上がこの衝突で亡くなったとされています。(2023年10月9日現在)

この攻撃の背景には、ガザ地区の厳しい生活環境が影響していると考えられます。

2007年以降、ガザの住民は外出が制限され「電気や清潔な水の供給が不十分な環境に置かれている」という報告があります。

こうした状況下で、ハマスは「最後の一戦」と位置づけ、イスラエルに対する大規模攻撃を決意したと予想されます。

専門家によるとイスラエルの反撃で、パレスチナのガザ地区が壊滅的打撃を受ける可能性も考えられるそうです。

緊迫するイスラエル情勢

画像:パレスチナの武装勢力・ハマスのポスター public domain

歴史的な知識が不可欠

イスラエルパレスチナによる対立の根源を理解するには、中東にイスラーム教が誕生した歴史的経緯にさかのぼる必要があるでしょう。

中東地域は古代から輝かしい文明を築いてきた地域です。

しかし、その栄光は時代とともに変遷を繰り返し、7世紀にイスラーム教が誕生したことで再び活力を取り戻します。

イスラームの誕生は、今日の中東情勢にも大きな影響を与えています。

緊迫する国際情勢を受けて今回の記事では、イスラーム教が生まれた背景について考察します。

オリエント文明の盛衰

古代から中東地域で続いてきたオリエント文明は、メソポタミアのアッカド帝国やピラミッドを建てたエジプト王朝、アッシリア帝国、アケメネス朝ペルシアなどを生んできました。

しかしオリエントの輝きは東のインドや中国へと広がり、中国の王朝が次々と栄えるなかで、オリエントの存在は徐々に薄れていきました。

7世紀ごろ、一度は衰退していたオリエントの文明は、中東で再び明るさを取り戻し始めます。

そのきっかけは、イスラーム教の誕生です。

イスラーム誕生の政治的背景

イスラーム教が誕生した時代は7世紀になります。

かつてアケメネス朝ペルシアの領土だったアラビア半島は、西側のビザンツ帝国と東側のサーサーン朝によって分割されていました。これらの二大帝国は、シリアを中心に長いあいだ抗争を続けていたのです。

そのなかで挟まれる形となったのが、アラビア半島の住民たちでした。

比較的小さな勢力だったアラビア人は自らの身を守るため、サーサーン朝やビザンツ帝国のどちらかと同盟を結ばざるを得ず、その結果として部族間の対立が生まれていました。

なぜ外国の争いで、同じアラビア人たちが対立しなければならないのか?

アラビア人同士の対立が、イスラーム教が誕生する政治的な背景として存在していたのです。

イスラーム誕生の経済的背景

緊迫するイスラエル情勢

イメージ画像:ビザンツ帝国とサーサーン朝との戦争によってアラビア半島を迂回する商人たち

ビザンツ帝国とサーサーン朝との戦争により、シリアを経由する主要な交易路が使用できなくなります。この影響によって交易を行う商人たちはシリアのルートを避け、アラビア半島を迂回する新しいルートを選択するようになりました。

その結果としてアラビア半島には多くの商人が訪れるようになり、アラブ人の中にも商業活動に携わる者が増えたのです。

こうして遊牧生活を続ける貧しい層と、商業により豊かになった層とのあいだに、経済的な格差が拡大してしまいます。

アラビア人のあいだに生じた経済格差が、イスラーム教が誕生する背景となったのです。

ムハンマドの出現

アラビア半島の商業都市メッカには昔からカーバ神殿が存在し、5世紀頃からはクライシュ族がその管理をしていました。

そのクライシュ族の中にあるハーシム家で、ムハンマドが生まれました。

彼は6歳のときに親を失い、孤児として厳しい青年時代を送っています。

緊迫するイスラエル情勢

画像:イスラーム教の聖地であるカーバ神殿 public domain

610年、ムハンマドがメッカの近くにある洞窟で瞑想していると、大天使ジブリールが現れます。

そしてジブリールは「あなたはアッラーの使徒として選ばれた」と、40歳になるムハンマドに伝えました。

この出来事がイスラーム教の始まりと言われています。

このあとムハンマドは「神からの啓示」を受け、その啓示をアラビア語に言語化したのが『コーラン』です。

ムハンマドは一神教のイスラーム教を伝道するようになり、徐々にアラビア半島全土に広まっていきます。

ムハンマドが神の啓示を受けたことが、イスラーム教の起源だったのです。

次回の記事では「アラビア半島でイスラーム教が急速に広まった理由」「ムハンマドの死後にイスラーム社会が直面した課題」について解説したいと思います。

次記事 : 【緊迫するイスラエル情勢】 イスラエルとパレスチナ、対立の起源を遡る 「ムハンマドの死後、危機を迎えるイスラーム教団」

参考文献:神野正史(2020)『「覇権」で読み解けば世界史がわかる』祥伝社

 

村上俊樹

村上俊樹

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“進撃”の元教員 大学院のときは、哲学を少し。その後、高校の社会科教員を10年ほど。生徒からのあだ名は“巨人”。身長が高いので。今はライターとして色々と。フリーランスでライターもしていますので、DMなどいただけると幸いです。
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