ミリタリー

第一次世界大戦前における各国の立場【WW1シリーズ】

2018年、第一次世界大戦終結から100年という節目の年を迎える。

日本では「忘れられた戦争」などともいわれるが、この大戦が世界に与えた影響はとてつもなく大きい。4つの帝国の崩壊と、世界初の社会主義国の誕生、さらにその余波は第二次世界大戦の勃発にも影響を及ぼした。現代においてもこの戦争によって起きた国家間、民族間の諸問題は解決の糸口が見えていない。

以前、私は「第一次世界大戦とは何かについて調べてみた」という記事において、「日本ではあまり関心がない」として、どのような戦いであったのかをまとめて書いた。しかし、この機会にもっと深く学ぶべくシリーズとして第一次世界大戦を調べていこうと思う。

なお、シリーズでは戦争の大局と、小さなエピソードを織り交ぜた形としたい。

今回は、会戦前夜として主要各国が開戦時にどのような問題を抱えていたのかを調べてみた。

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ドイツ帝国

第一次世界大戦前における各国の立場【WW1シリーズ】
※プロイセン王国領土。白い部分が現在のドイツである。

ドイツ帝国の前身であるプロイセン王国は、現在のドイツ北部からポーランド西部を領土としており、現在のドイツ南部は小国家の集まりであった。そのため、プロイセンとしては南部との統合を目指していたが、ドイツ人国家の成立が軍事的脅威になると考えたフランスはこれに反対する。

そこでプロイセンは、フランスとの戦争がドイツ民族の結束を固めると考え、巧みな外交政策によりフランス側から宣戦布告させることに成功したのだ。

その結果、1870年、普仏戦争が勃発する。

翌年、これに勝利するとパリのヴェルサイユ宮殿において、プロイセン王ヴィルヘルム1世の皇帝戴冠式が行われ、南北ドイツは統一されてドイツ帝国が成立した。

※ドイツ帝国の領域

これにより、フランス国民による反独感情はさらに高まり、両国の関係はすでに緊張状態にあった。また、ロシア帝国とは保証条約を締結することで背後の憂いを断っていたが、1894年にはフランスとロシアが露仏同盟を締結したことにより、ドイツはフランスとロシアに挟まれるような形で開戦を迎えることになる。

オーストリア・ハンガリー帝国


※オーストリア=ハンガリー帝国の領域

1867年に誕生したオーストリア=ハンガリー帝国は、ヨーロッパで絶大な権力を握っていたスイス出身のドイツ系貴族、「ハプスブルグ家」の長であるフランツ・ヨーゼフ1世がオーストリア皇帝とハンガリー国王を兼任する国家である。しかし、多くの民族や宗教を抱え込むこの国は、内政的にも安定していなかった。なにしろ、隣国にはスラヴ人国家であるセルビアがあり、スラヴ人はロシア系の民族である。スラヴ人のバックにはロシアがいるようなものだった。

ドイツ人主導のオーストリア=ハンガリー帝国にとっては、国内の民族紛争がロシアとの戦争に発展しかねない状況を危惧したのは当然だろう。しかも、1908年にはボスニア・ヘルツェゴビナの併合により、ヘルツェゴビナのセルビア人はオーストリアに不満を抱いていた。直接的にはこの不満が「サラエボ事件」として第一次世界大戦の引き金となる。


※バルカン半島。多くの民族とその後ろ盾になる国家の思惑が複雑に絡み合う。そのため「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれている。ボスニア・ヘルツェゴビナもバルカン半島に位置しており、地理的にもロシアは近い。

オスマン帝国


※「青年トルコ革命」後の指導者であるエンヴェル・パシャ。

オスマン帝国は、現在のトルコの前身ともいえる多民族の帝国である。
17世紀の最盛期には、東はアゼルバイジャンから西はモロッコ、南はイエメンから北はチェコスロバキアまでいたる広大な地域を領土としていた。

しかし、第一次世界大戦開戦時にはその領土の多くがロシアなどに奪われており、北方では黒海を隔ててロシアとにらみ合うような情勢下にあった。一方で、南方はアラビア半島の東西沿岸部までを領土としており、弱体化したとはいえ国土そのものの広さではドイツやオーストリア=ハンガリー帝国を凌いでいる。

1908年、立憲君主制を復活させるべく立ち上がった青年将校らによる、「青年トルコ人革命」という無血クーデターが成功し、皇帝は実権を失うものの退位はせずにとどまったために政治的な混乱を招いた。この混乱に乗じてボスニア・ヘルツェゴビナのオーストリア=ハンガリー帝国への併合を許してしまい、さらには同国内の自治領であったブルガリア王国の独立も止めることができなかった。

しかし、当時最大の脅威はロシアであり、その点においてドイツや、オーストリア=ハンガリーとの利害は一致している。さらに財政は最悪の状態に陥っていたため、助けを求めるドイツと接近するようにもなった。

ロシア帝国


※ロシア皇帝・ニコライ2世。

西方への領土拡大を狙うロシアだったが、1909年、オーストリア=ハンガリー帝国がボスニア・ヘルツェゴビナを併合することを承諾する見返りとして、セルビア独立を支持する立場をとっていた。当時のセルビアはクーデターにより、それまで親オーストリア=ハンガリー帝国派だった前国王が排除されると、ロシアとの友好路線へ政策を切り替えることになる。そもそもセルビアやボスニア・ヘルツェゴビナといった国家のセルビア人はロシアと同じスラヴ系民族であり、オーストリア=ハンガリー帝国のドイツ系西ヨーロッパ人とは反発する間柄であった。

そのような背景は「サラエボ事件」にも深く影響している。

この事件によりオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であるフランツ・フェルディナント大公夫妻がボスニア系セルビア人の青年に銃撃されると、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアへの戦線を布告した。これを受け、セルビアの後ろ盾であったロシアは参戦してゆくことになる。

イタリア


※三国同盟(赤)と三国協商(青)

イタリアは、1882年にドイツ、オーストリア=ハンガリーとともに三国同盟を締結。

一方、フランス、イギリス、ロシアも三国協商(同盟よりも拘束力の弱い協力関係))を締結することにより、三国同盟と経済的な争いを繰り広げていた。

当時のオスマン帝国は莫大な数の公共事業を相次いで行ったため、財政破綻ともいえる状況に陥っており、これを管理すべく列強各国によりオスマン債務管理局を設立。英仏露の資本輸出に対抗するため、三国同盟加盟国もオスマン帝国への新規投資を行うこととなった。

実際には、投資を行いオスマン帝国の債務整理に協力する見返りとして、その利権の一部を手に入れるのが各国の狙いである。

しかし、オーストリアとの間にはイタリア北部における領土問題が残っていたために、1902年にはこれを理由に中立を宣言、フランスとの協商を結んだ。さらに1915年にはオーストリアとの領土問題を解決することを条件にイギリスと秘密条約を結び、連合国側として第一次世界大戦に参戦することになる。

最後に

ヒトラーによる領土戦争から始まった第二次世界大戦とは違い、この大戦は各国の思惑が複雑に絡み合う状態のなかで勃発した。つまり、火種はヨーロッパ中にあったといってよい。

その結果、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国による同盟国と、イギリス・フランス・ロシアが中心となった連合国(通商国)の2つの陣営が戦うこととなる。しかし、参戦国はその後も増えたために、全世界規模での総力戦へと様相を変えていった。

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