まもなく2025年を迎えるにあたって、初詣に行く神社の目星を付けている人もいるだろう。
そこで注目されているのが、「日本三大白蛇聖地」と呼ばれる3つの神社である。
2025年は干支でいえば「巳」にあたり、巳=蛇の中でも特に「白蛇」は縁起の良い動物として、古来より信仰の対象とされてきた。せっかくなら蛇を神の使いとする神社に参拝して、ご利益にあずかりたいものだ。
そこで今回は、来たる巳年に向けて「日本三大白蛇聖地」の由緒や歴史について、詳しく調べてみた。
蛇窪神社
東京都品川区二葉に鎮座する蛇窪神社(へびくぼじんじゃ)は、日本三大白蛇神社のうちの1社であり、白蛇と龍神を同時に祀る珍しい神社だ。
元々は天祖神社という名称であったが、令和元年5月1日に行われた即位の礼にあわせて、別称であった蛇窪神社を通称表記としている。
蛇窪神社の創建年は、鎌倉時代にあたる1323年頃とされている。
1272年、六波羅探題北方を17年間に渡って務めた北条重時が、自身の五男の時千代に多くの家臣を与え、かつて蛇窪と呼ばれていた品川区二葉四丁目付近を開くように諭したことが始まりだという。
時千代は父の意に従い、法圓上人と名乗って大森に厳正寺という寺院を開山し、与えられた家臣の多くを蛇窪付近に住まわせた。
それから50年後の1322年、武蔵国の一帯がひどい干ばつに見舞われた。
飢饉の到来を危惧した厳正寺の第二世法密上人(時千代の甥)は、厳正寺から見て北西の方向にある森林の古池のほとりにあった龍神社に、雨乞いの断食祈願をしたという。
すると法密上人の祈りが届いたのか大雨が降り注ぎ、人々は幸いにも飢饉を免れることができた。
蛇窪に住んでいた時千代の旧臣たちは感激し、蛇窪に神社を勧請して祀ったことが、蛇窪神社の縁起とされている。
なお一説には、蛇窪神社は鎌倉時代の豪農・森屋氏(現森谷氏)が建立したとも伝えられている。
蛇窪神社の境内社である白蛇弁財天には、白蛇にまつわる伝説がある。
かつて、蛇窪神社の社殿の左横あたりには清らかな水が湧き出る洗い場があり、そこには1匹の白蛇が棲んでいた。しかしいつしか清水が絶えて洗い場が無くなってしまい、住処を失った白蛇は仕方なく戸越公園の池に移り棲むようになった。
そしてある時、森屋氏の子孫である森谷友吉氏の夢に池の白蛇が現れて、元の棲みかに1日でも早く帰りたいと懇願したのだという。
森谷氏はその話を蛇窪神社の宮司に伝え、白蛇を元の棲みかに帰してあげてほしいと願い出た。宮司は安芸の宮島厳島神社の弁財天を分霊して弁財天社を建立することを決め、小島が浮かぶ池と石祠を造ってそこに白蛇を祀ることにした。
池の祠に白蛇を迎えようとした夜、宮司が迎えの祝詞を奏上しようとしたところ、それまで晴れ渡っていた夜空ににわかに雲が湧き、雷鳴と共に大風が吹いたという。
蛇窪神社の白蛇弁財天には、金運・財運や病気平癒、心身清浄や良縁のご利益があるといわれ、同じく境内社の蛇窪龍神社には立身出世のご利益があるといわれている。
岩國白蛇神社
山口県岩国市今津町に鎮座する岩國白蛇神社は、「岩国のシロヘビ」の保護と信仰に基づいて、安芸の宮島厳島神社の弁財天と宇賀御魂神を勧請し、平成24年12月16日に創建された神社だ。
「岩国のシロヘビ」とは、山口県岩国市内に棲息する白蛇のことをいう。
この白蛇はアオダイショウのアルビノだが、通常野生動物ではアルビノの出現が稀であるにもかかわらず、岩国地域では人間に飼育されていない状態で、高い頻度でアルビノの蛇が出現していた。
岩国で代々アルビノの蛇が生まれ続けているのは、この地域の人々がシロヘビを神の使いとして大切に扱ってきたことも理由のひとつとされている。
岩国でシロヘビが目撃されたもっとも古い記録は、1738年に横山地区千石原にあった吉川邸の城門付近で、門番に捕獲されたというものだ。
その後1862年の記録にも、岩国藩の米倉に2頭のシロヘビが棲みついて、よく人前に姿を現していたと伝えられている。
それからシロヘビは、岩国藩や毛利藩の米倉に集まるネズミを餌にして増えていき、明治30年頃には岩国市の各地区合わせて約400haの地域に棲みつき、大正14年頃には同地域に約1000頭のシロヘビが棲んでいたといわれている。
昭和に入ってからは棲息地域の都市化が進み、戦後は衛生対策のために餌となるネズミが駆除され、天然のシロヘビの個体数が減ってしまった。
そのため、昭和40年から岩国市内では各地域に保護育成施設を設けて、シロヘビの保護を行っている。
岩國白蛇神社には、国の天然記念物に指定されたシロヘビを観覧できる施設が隣接しており、一年中温暖な室内で大切に飼育されているシロヘビたちは冬眠しないため、冬でも元気に動き回る姿を見ることができる。
老神赤城神社
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群馬県沼田市利根町の老神・穴原・大揚にまたがる老神温泉に鎮座する老神赤城神社は、赤城山の神であるとされる大蛇をご神体とする神社だ。
老神の赤城神社については不明な点が多く、創建年代も主祭神もはっきりしていない。
そもそも赤城神社は総本宮からして赤城山をご神体として崇める山岳信仰をルーツとする神社であり、全国に約300社以上ある赤城神社の主祭神は、鎮座する地域によって異なる。
老神温泉の「老神」という地名の由来には諸説あるが、その1つが群馬の赤城山の神と、栃木県日光市の二荒山(男体山)の神の戦いの伝説だ。
その昔、二荒山の神と赤城山の神が中禅寺湖の所領を巡り、それぞれ大蛇と大ムカデに姿を変えて二荒山北西麓の戦場ヶ原で戦い、二荒山の神が勝利をおさめた。戦いに敗けて群馬に撤退してきた赤城山の神が、温泉を開いた地が現在の老神温泉であるという。
赤城山の神は湧き出た温泉で傷を癒し、再び二荒山の神に挑んで見事に勝利した。
このことから、この地は赤城山の神が追われて着いた地、もしくは二荒山の神を追い返した地として「追神(おいがみ)」と呼ばれるようになり、それが転じて「老神(おいがみ)」になったといわれている。
一説に、この伝説は古墳時代に現在の群馬と栃木南部を合わせた地域を支配していた「毛野国」が2つに分かれ、上野国と下野国になる過程で起きた争いから生まれた伝説とされている。
一般的には赤城山の神が大ムカデ、二荒山の神が大蛇とされているのだが、老神では一転して赤城山の神が大蛇として伝えられている。
これは藤原秀郷の大ムカデ退治の伝説にならい、敗けた方を大ムカデ、勝利した方を大蛇にたとえたものとすれば、老神温泉では赤城山の神が二荒山の神に勝利して追い返していることから、赤城山の神を大蛇としたと考えられている。
老神温泉では、毎年5月の第2金曜日と土曜日に赤城神社の例祭「大蛇まつり」が行われている。
老神温泉大蛇まつり
https://www.city.numata.gunma.jp/event/tone/1008273.html
祭の日には大蛇を模した神輿が担がれるが、12年に1度訪れる巳年の年には全長108m、重さ2tにもなる大蛇を模した巨大な神輿を、地元の人々が担いで本物の蛇のようにくねらせながら、温泉街を練り歩く。
200人以上の担ぎ手を必要とするこの巨大な蛇神輿は若衆みこしと共に展示されており、2013年の巳年には「最も長い祭り用のへび」としてギネス記録にも認定された。
巳年の2025年は、蛇を祀る神社へ
2025年は干支では「乙巳(きのとみ)」にあたり、復活と再生を意味する生き物である蛇に由来して、新しい何かが始まる年といわれている。
また蛇は、水神や弁財天の化身や使いと考えられており、富をもたらすありがたい動物とも考えられている。
今回紹介した日本三大白蛇聖地の他にも、蛇を神の使いとする神社は日本全国に鎮座している。
2025年の初詣は、ぜひとも蛇にちなんだ神社に参拝してみてはいかがだろうか。
参考 :
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 (編さん)『角川日本地名大辞典 (10) 群馬県』
岩本敏 (編集)『週刊 日本の天然記念物 動物編 岩国のシロヘビ 30 小学館』
群馬県沼田市公式HP 他
文 / 北森詩乃 校正 / 草の実堂編集部
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