西洋史

太平洋のナポレオン、カメハメハ大王について調べてみた

カメハメハ
<画像提供:えだきむ>

ハワイ諸島の起源

ハワイといえば、リゾート地として日本でも大人気の観光地だ。

青い空、美しい海、グルメ、ショッピング……陽気な雰囲気と心地よい気候が、またその地を訪れたいと人々を惹きつける。

 


<画像提供:えだきむ>

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“Aloha”とはハワイの挨拶に使われるたいへん重要な言葉で、「愛」「尊敬」「思いやり」など、さまざまな意味が込められており、相手を受け入れ、共にいられることの喜びを伝えているという。

アメリカ合衆国の50番目の州ハワイは、”Aloha State”という愛称をもち、その名の通り他民族を多く受け入れたがために現在、純血のハワイアンは人口の1割にも満たないのが現状だ。

ハワイは大きな8つの島と、100を越える小さな島々で構成されている。

現在、人が住んでいるのは、西からニイハウ島、カウアイ島、オアフ島、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島とハワイ島の7つで、唯一ニイハウ島は個人所有の島であるため、一般人は基本的に出入りすることはできなくなっている。

 


<画像:wikipedia>

 

なかでもハワイ島は、年代は不明であるがタヒチから渡ってきたポリネシア人によって発見された。

島を初めて見た時に「ハワイイア(燃えるハワイ)」と呼ばれていたことから、当時は火山活動が活発だったことが推測できる。

そして、のちのち、この島で「カメハメハ」と名付けられる男が、歴史を大きく動かすことになる。

 

「カメハメハ」の誕生

ハワイは、もともと文字を持たない文化だったので、「ペトログリフ」という岩石彫刻、歌、ダンス、伝説などで語り継がれていた。

ひっそりと文明を築いてきたハワイ諸島は、あるイギリス人が到来する18世紀後半から文字による記録が始まる。

 

カメハメハの誕生時も文字はなく、正確な記録はない。

一説では1758年頃、ハワイ島の北にある町コハラでカメハメハは生まれたといわれおり、現在も観光地化されている。

カメハメハは王族の家系で生まれ、「パイエア」と名付けられた。

 


<画像:wikipedia>

 

カメハメハは生まれてから5年間は、両親から離されて育てられたという。

当時、ハワイでは戦争が頻繁に起こっていたので王族の血を守るためとも、パイエアの誕生が不吉なものだったため隠されたともいわれており、真相は謎のままだ。

ともあれ、両親と離れて育てられたという逸話が「カ・メハメハ(寂しい人、孤独の人)」という名を誕生させた。

 

その後、カメハメハは14歳の時に父を亡くし、叔父であるカラニオプウに養子として引き取られた。

カラニオプウはハワイ島の王で、カメハメハを実の子と同等に愛情を注いで育てたという器の大きい王であった。

カメハメハは戦士の養成所でさまざまな学問を学び、仲間たちも感心するほど熱心に勉学やトレーニングに励んでいたという。

ハワイ諸島を来訪したクック船長の末路

1778年、イギリス人のジェームス・クック船長はニイハウ島、カウアイ島、オアフ島を、翌年ハワイ島も発見した。

クック船長が停泊したハワイ島のケアラケクア湾は、ハワイ人たちにとって「神の水路」といわれる聖地だった。

当時、豊饒の神「ロノ神」を称える「マカヒキ」という収穫祭の真最中で、神が海からあらわれるという言い伝えがあり、クック船長は神の化身だと最高のもてなしを受けたという。

 

翌年、クック船長一行はケアラケクア湾を後にするが、嵐にあったことで船の一部が破損し、再度ケアラケクア湾に戻り修理をすることにした。

その時、ハワイアンがクック船長らの備品を盗んだことがきっかけで大乱闘となり、止めに入ったクック船長とその他の船員が殺害されることとなる。

先住民ポリネシア人以降、再度発見されたハワイ諸島に新たな文明を持ち込んだクック船長は、奇しくも命を落とした。

 


<画像:wikipedia>

 

この時カメハメハはクック船長の亡骸から髪の毛をこっそりと切り取り、故郷コハラへ持ち帰ったという。

クック船長の来訪により天地が返るほど驚き、そして学ぶ機会を与えてもらったカメハメハなりの弔いの気持ちの表れだったのかもしれない。

ハワイ統一への道のり

王カラニオプウの死後、遺言に従って息子キワラオには王権を、甥であるカメハメハには守護神クーカイリモクを渡された。

キワラオはカメハメハに重要な役割が渡ることに憤慨するが、カメハメハに返り討ちにあう。

結果としてカラニオプウの後継者はカメハメハとなり、統一への地盤を徐々に固めていく。

ハワイの島々の間では勢力争いが頻発していたこともあり、もともと戦士として優秀だったカメハメハは、前述したとおりクック船長が来訪した当時から西洋人の武器や知識、ありとあらゆるものを利用して島々を治めることを思案していた。

この冷静な見解が功を奏して、その後もイギリスやアメリカからやってくる商人たちをうまく取り入ることに成功する。

ハワイ島以外の王たちと比べるとカメハメハは若く、西洋の真新しい文明を柔軟に受け入れるとともに、年配の王族たちの情感もくみとることもできた。

 

人望が厚いカメハメハは、1795年にはマウイ島、ラナイ島、モロカイ島、オアフ島を制圧し、ハワイ王朝が誕生した。

1810年にニイハウ島、カウアイ島も吸収し、ハワイ諸島統一という偉業を成し遂げたのである。

「太平洋のナポレオン」といわれる所以だ。

ハワイ統一は予言されていた

「プウコホラの地に巨大な神殿を建立すれば、ハワイ全島を掌握できる」

これはカメハメハが予言者より授かったお告げだという。

 


<画像:wikimedia>

 

プウコホラ・ヘイアウ」と呼ばれるこの神殿には、カラニオプウの遺言により授かった戦いの守護神クーカイリモクが祀られており、カメハメハにとっていかにカラニオプウが大切な人物だったかが伺える。

 

プウコホラ・ヘイアウは現在も観光地化されているが出入りできない場所もあり、今でもハワイアンの儀式が行われている聖域だ。

カメハメハの希望、思い描いた未来を感じられるこの地を訪れ、再度ハワイとはいかなる場所かを考えてみたい。

 

≪参考文献≫
あなたの知らない・知りたいハワイ』島津哲著 春萌社 (2004年)

 


カメハメハ大王 ハワイの神話と歴史』後藤明著 勉誠出版 (2008年)

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