城,神社寺巡り

【5度の日本渡航失敗】鑑真が創建した唐招提寺に行ってみた

世界文化遺産「古都奈良の文化財」の構成要素である寺社には、多くの貴重な国宝建造物が残されています。

そんな中でも、寺院の中核をなす金堂と講堂が、奈良時代の創建当時のものが残っているのは、唐招提寺(とうしょうだいじ)のみです。

筆者は過去にも何度か訪れましたが、今回はそれを踏まえてじっくり建造物を鑑賞すべく出かけてみました。

唐招提寺の概要

唐招提寺

画像 : 鑑真第六回渡海図「東征伝絵巻」第4巻 public domain

753年(天平勝宝5年)、鑑真和上は数々の困難を乗り越えて、6度目の渡航でようやく日本への渡航を果たし、まず東大寺で5年間を過ごしました。

その後、759年に新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜され、そこに「唐律招提」と名付けられた私寺を建立したことが、唐招提寺の始まりとされています。

この寺院は、南都六宗の一つである律宗の総本山として、戒律を学ぶ人々のための修行の道場となりました。

当初、唐招提寺には講堂や、新田部親王の旧宅を改造した経蔵や宝蔵があるだけでしたが、8世紀後半には、弟子の如宝の尽力によって金堂が完成し、寺院の伽藍が整備されていきました。

そして現在、奈良時代に建立された金堂と講堂が、天平時代の息吹を伝える貴重な建造物となっているのです。

鑑真和上とは

画像:鑑真 public domain

鑑真和上は、688年に唐の揚州で生まれ、14歳で出家しました。
その後、洛陽や長安で修行を積み、713年に故郷の大雲寺に戻り「江南第一の大師」と称されるまでになります。

742年、第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧である栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)から、「伝戒の師」として訪日を強く求められ、鑑真は日本への渡航を決意します。

その後の12年間で5度の渡航を試みましたが、荒天や妨害に遭い失敗を繰り返しました。渡航中に視力を失うという困難にも見舞われましたが、753年、6回目の挑戦でついに日本の地に辿り着いたのです。

ようやく来日を果たした鑑真和上は、先述したように5年間を東大寺で過ごし、759年に唐招提寺を創建します。
その後、律宗の総本山として天皇をはじめ多くの人に受戒を授け、76歳でこの世を去りました。

彼の熱意と苦難の物語は、今でも伝記として子供たちに読み継がれています。

鑑真和上の晩年の姿を伝える国宝「鑑真和尚像」は御影堂に安置され、特別開帳時にのみ拝観可能です。
開山堂には精巧なレプリカ「御身代わり像」があり、こちらは常時拝観することができます。

唐招提寺の国宝金堂

唐招提寺の南門をくぐると、正面には8世紀後半の創建当初の姿を残す、荘厳な金堂が姿を見せます。

唐招提寺

画像:唐招提寺南大門 筆者撮影

金堂の外観は、正面間口七間で、奥行き四間の寄棟造りとなっており、軒を支える組み物は「三手先」と呼ばれるもので、天平時代の特長を表しています。

唐招提寺

画像:唐招提寺金堂 筆者撮影

この金堂の軒を支える列柱には、柱の中ほどから少し下部が膨らむ「エンタシス様式 (胴張り)」が採用されています。

かつては、この形状は「ギリシャのエンタシス様式の影響を受けたものであり、日本がシルクロードの東端に位置する証拠だ」とされていました。

しかし、シルクロード沿いに同様の建造物が見られないことから、この胴張りは日本独自の技法であるという説が有力です。

画像:唐招提寺金堂の列柱 筆者撮影

いずれにしても、このエンタシスに類似した様式は、奈良時代初期の法隆寺の金堂などに見事に表れていますが、時代が下るにつれてその膨らみは次第に小さくなりました。

この唐招提寺の金堂でも、胴張りはわずかに見られる程度で、平安時代に入るとほとんど消滅したと考えられています。

実際、筆者が唐招提寺の金堂の列柱を見た際、残念ながらはっきりとしたエンタシス様式を見て取ることはできませんでした。

しかし、金堂の軒先を支える列柱は非常に美しく、その精巧さは言うまでもありません。
この金堂が貴重な国宝建造物であることを、改めて認識させられました。

また、堂内には本尊である廬舎那仏座像をはじめ、右に薬師如来立像、左に千手観音立像が安置されており、その荘厳な雰囲気は圧巻です。

画像 : 金堂諸仏 手前から薬師如来、盧舎那仏、千手観音 public domain

これら三体の仏像は、いずれも国宝に指定されています。

唐招提寺のその他の国宝建造物

唐招提寺には、他にも国宝に指定されている建造物がいくつかあります。

その一つが、平城宮にあった東朝集殿を移築して改造された講堂です。

この講堂は非常に伸びやかな印象を受ける、平屋の入母屋造りの講堂です。
鎌倉時代に大改修が施されたものの、平城宮の建物の面影を残しており、非常に貴重な建造物とされています。

講堂内には、いずれも重要文化財に指定されているご本尊の「弥勒如来坐像」や「持国天・増長天立像」などが安置されています。

画像:唐招提寺講堂 筆者撮影

また、国宝に指定されている建造物として、高床式の校倉造の宝蔵経蔵があります。

二つの校倉造は並んで建っており、北側の大きな建物が宝蔵で、南側の一回り小さな建物が経蔵です。

経蔵は、天武天皇の皇子・新田部親王の邸宅跡に建てられた米倉を改造したものだとされており、唐招提寺で最も古い建造物で、日本最古の校倉造建築の一つとされています。

一方、宝蔵は唐招提寺の創建に合わせて建てられたもので、校倉造の典型として高く評価されています。

画像:唐招提寺宝蔵と経蔵 筆者撮影

さらに、鼓楼も国宝に指定されています。

画像:唐招提寺鼓楼 筆者撮影

以上、改めて唐招提寺の創建当時の姿を残す金堂や講堂をじっくりと鑑賞しました。

訪れるたびにその壮麗さと荘厳さに圧倒され、何度も足を運びたくなる特別な場所であることを再確認しました。

唐招提寺は、奈良の歴史を深く感じることができる場所として、今後も多くの人々に大切にされ続けることでしょう。

参考 : 【唐招提寺HP】他
文 / 草の実堂編集部

 

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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