城,神社寺巡り

『腫れ物の神様からがん封じへ』東大阪のパワースポット”石切神社”と占いの道

大阪府東部、東大阪市の生駒山のふもとに位置する石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)、通称・石切神社は、「デンボ(腫れ物)の神様」として古くから親しまれてきました。

現在ではその信仰が転じて、がんをはじめとする重い病気の平癒にご利益がある神社として、大阪の人々を中心に広く信仰を集めています。

また、石切神社へと続く参道も注目すべき場所のひとつです。

この参道には、占いや漢方薬のお店をはじめとするユニークな商店が立ち並び、他にはない独特な雰囲気を醸し出しています。

今回は、石切神社の歴史やご利益に触れながら、その参道がどのように形成されたのかについてもご紹介していきます。

石切神社の由来とご利益

画像:石切神社本殿 筆者撮影

石切神社の創建は非常に古く、明確な記録は残っていないものの、伝承によれば3世紀頃、崇神天皇の時代にまでさかのぼるとされています。

ご祭神として祀られているのは、天照大神の孫にあたる饒速日尊(にぎはやひのみこと)と、その御子である可美真手命(うましまでのみこと)の二柱です。
饒速日尊は、天孫降臨の神話に登場する神であり、瓊々杵尊(ににぎのみこと)の兄神とされています。

社名に含まれる「劔箭(つるぎや)」には、「神の威力が堅い岩さえも断ち割り、貫き通すほどである」という意味が込められていると伝えられています。こうした力強い神威にあやかり、「腫れ物(でんぼ)を切り裂き、癒す神様」として信仰されるようになりました。

特に「デンボ(腫れ物)」という言葉は関西地方の方言であり、地元の人々の生活と深く結びついた信仰の形がうかがえます。

その後、「腫れ物」の信仰は、がんをはじめとするさまざまな重病や難病の平癒を願う信仰へと広がり、現在では全国から多くの参拝者が訪れる神社となっています。

なお、石切神社は現在、神社本庁には所属しておらず、独立した宗教法人「神道石切教」として運営されています。

神道石切教は、昭和期に神社本庁を離れて独立した宗教法人ですが、物部氏の流れを汲む木積家が社家として代々奉斎してきた由緒ある神社であり、一般的な新興宗教とは一線を画します。

お百度参りの絶えない石切神社

多くの神社では、本殿の前や鳥居の近くに「百度石(ひゃくどいし)」が設置されています。

目にされたことのある方も多いと思いますが、実際にその百度石の間を往復しながら、お百度参りをしている光景に出会うことは、あまり多くありません。

画像:お百度参り 筆者撮影

しかし、石切神社ではその光景が日常的に見られます。

真夏の炎天下でも、冬の寒さの中でも、お百度紐を手に、多くの参拝者が百度石の間を静かに、あるいは黙々と往復しているのです。このような光景は、石切神社ならではのものと言えるでしょう。

病の平癒を願う切実な思いが、こうしたお百度参りという形で、今なお息づいているのです。

石切神社の摂社や末社

石切神社の境内には、多くの摂社や末社が祀られています。

本殿正面の三の鳥居を潜ると両側に、武運の神様を祀る神武社や、商売繁盛・大漁成就・産業隆盛にご利益のある五社明神社や、安産・子育ての神様の水神社があります。

また本殿の裏側には、病魔災難除け・学問向上にご利益がある穂積神霊社や、一生に一度の願いなら、どんなご利益も期待できると言われる一願成霊尊、人徳の向上を願うには最適な乾明神社などが祀られています。

本殿に参拝された後に立ち寄られると良いでしょう。

参拝時には必見の立派な絵馬殿

近鉄奈良線の石切駅は、生駒山の山裾に位置しており、駅から西へ続く参道商店街を下っていくと、石切神社へと至ります。

このルートでは、三の鳥居をくぐって境内に入ることになりますが、実は石切神社の表参道は、三の鳥居の南側に位置しています。

正面の表参道をたどると、一の鳥居、二の鳥居を順にくぐり、境内手前にあたる三の鳥居との間に、ひときわ目を引く立派な建築物が現れます。

これが「絵馬殿」と呼ばれる建物です。

画像 : 石切神社の絵馬殿 筆者撮影

この絵馬殿は、巨大な木造の四脚門で、両脇には劔を持つ神像が祀られています。

そして緑青がふき青くなった銅瓦葺きの屋根の上には、金色に輝く剣と弓矢が天を突くように立っています。

庶民的な雰囲気の境内とは対照的に、石切神社の霊験あらたかで、力強さを感じる事が出来る建物です。

石切商店街を経て三の鳥居から境内に入られた方も、帰路に立ち寄り、ぜひ鑑賞してもらいたいスポットです。

独特な雰囲気を持つ石切参道商店街とその形成

石切参道商店街は、近鉄奈良線の石切駅から石切神社へと続く、ゆるやかな下り坂に位置する参道商店街です。

道幅はやや狭く、両側には土産物店や飲食店、衣料品店、日用品を扱う商店などが軒を連ね、にぎやかな雰囲気をつくり出しています。

一見すると、他の神社や寺院の参道と似たような構成に見えますが、石切の参道には他にはない特徴があります。

画像:石切大仏 筆者撮影

それは、石切大仏と呼ばれる比較的新しい大仏が設けられていることや、さまざまな神仏を祀った小さな祠が点在していること、さらには数多くの占い店が立ち並んでいることです。

このような要素が重なり合い、他の参道とは一線を画す、独特で不思議な空気感を生み出しています。

この石切参道商店街は、関西のローカルテレビでもたびたび紹介されており、そのユニークな雰囲気で地域に根ざした人気のスポットとなっています。

画像:石切参道商店街 筆者撮影

もともと、占いを行う店はいくつか点在していたようですが、今のように占い店が軒を連ねるようになったのには、いくつかの時代的な背景があります。

バブル崩壊による景気の悪化や、地下鉄中央線と相互乗り入れする近鉄けいはんな線・新石切駅の開業によって、参拝者の流れが変わり、かつてのように一般の商店だけでは成り立たなくなってしまったのです。

また、石切神社が「デンボ(腫れ物)」の神様から「がん封じの神様」として知られるようになったことも、占い店の増加に拍車をかけたと考えられます。

ちなみに、石切大仏は石切で創業した阪本漢方製薬の4代目当主、阪本昌胤が1980年に作ったものだそうで、高さは6m、蓮台の部分を含めると8mにもなるそうです。

さらに、石切大仏から石切神社に向かうと、石切不動明王も祀られています。

おわりに

石切神社は、時代とともに姿を変えながらも、人々の信仰と日常が重なり合う場所として歩んできました。

参拝のついでに店をのぞいたり、占いに耳を傾けたり、ごく自然な形で「祈り」と「暮らし」が共存しているといえるでしょう。

派手さはなくとも、ふと訪れてみたくなる、石切神社とその参道には、そんな不思議な魅力が今も息づいています。

参考 : 『石切剣箭神社HP』他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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