平安時代

高野山に『人造人間』がいる? 西行法師が「死者の骨で人を造った」禁断の秘話

平安時代末期の、武士、僧侶、歌人として知られる「西行」。

さまざまな歌やエピソードを残したことで知られる西行法師ですが、実は「死者の骨を拾い集めて人間を造った」という逸話があります。

和歌だけではなく、武芸や学問にも秀でていた才能に恵まれていた西行が、なぜ、そのような奇異な行動に走ったのでしょうか。

画像:西行法師(菊池容斎画/江戸時代)wiki c Hannah

武芸や和歌など才能に秀でるも、栄華は捨てた西行

西行は、万葉集や古今和歌集に名を残す名だたる歌人たちをも凌ぐ才能を持っていたといわれています。

生涯で数多くの和歌を詠み、そのうち265首が勅撰和歌集に選ばれるなど、当時を代表する人気歌人として名を馳せました。

西行は、元永1年(1118)、紀伊国田中荘の佐藤氏一族の家に生まれ、当初は佐藤義清という名前でした。

武芸の才能にも秀で、京で宮仕えをし、鳥羽院の北面の武士として活躍しました。

ところが、23歳という若さで栄達の道を捨てて突然出家。

「西行」と名乗り、和歌の道を一途に追い求め、旅や山里の草庵で過ごす生活を始めます。

なぜ、その道を選んだのかは諸説あり、謎に包まれています。

画像:西行像(MOA美術館蔵)public domain

自分の死期を予言するかのような桜の句

西行のエピソードで有名なのが、「願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」という句にまつわる逸話です。

この句は大河「べらぼう」で、相思相愛になり悲劇的な結末を迎えた、花魁・誰袖と田沼意次の息子・意知の間で詠まれていました。

この句は「願わくば、桜の花の下で春に死にたい。それも陰暦二月十六日の満月のころに」という意味合いで、桜をこよなく愛した西行の理想の最期を描いています。

実際に、西行はこの句を詠んでから十数年後の建久元年(1190)二月十六日、まさに春の盛りに没しました。

句に詠まれた時期(如月の望月=陰暦二月十六日)と現実の没日が符合したため、後世に「奇跡のような最期」と語り継がれてきたのです。

画像:西行の愛した「山桜」photo-ac ビートンマニア

西行が「骨で人造人間作りをした」という記述

「漂泊の歌人」といわれ、栄達の欲を捨て自然の中に身を置き、桜や月をこよなく愛した天才歌人、西行。

ところが、そんな西行が「死者の骨を使って、人造人間を造った」という記述が、『撰集抄(せんじゅうしょう)』という、作者不詳の仏教説話集に残されています。

この説話集は全部で9巻から成り、神仏の霊験譚・寺院の縁起譚・高僧譚・往生譚・発心遁世譚など121話を掲載したものです。

そして、その5巻15話に、その名も「西行於高野奥造人事」という話があります。

タイトルの通り、西行が高野山の奥で、死者の骨を使って人造人間を複製したという内容です。

画像:『西行撰集抄』(名古屋大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース

「人の骨を集めて人造人間をつくる」を実行した西行

それは、西行が高野山で修行をしていたときの話です。

高野山の奥に庵を構えていた西行には、「(ひじり)」という修行仲間がいました。

二人はとても親しく、月のきれいな夜には連れ立って奥の院の橋へ行き、静かに月の出を待ちながら語り合って過ごしたと伝えられています。

※武士時代の親しい友人「西住」だったという説も。西住は、西行とは恋人のように親しい間柄だったともいわれています。

しかし、その聖はある日「京都に用事があるから」と、西行を残して高野山を去ってしまったのです。

西行は独りになって、月や花を見て風流な会話を楽しんでいた相手がおらず、寂しくなったのでしょうか。ふと、以前信用できる人から「鬼が人の骨の骨を集めて、人造人間を作る」という話を思い出しました。

そこで西行は、野に出て骨を拾い始めました。

頭から手足まで骨を集め、つなげて、人間の形をした人造人間を造ったのです。

ところが、せっかく出来上がった“それ”には心はなく、声はまるで壊れた笛のような音でした。(音が出るだけでもすごいのですが)。

結局は失敗作だったのです。

「さて、“これ”をどうしたものか」と、悩む西行。

失敗作ではあるものの、人間の形をして声も出る“これ”をバラバラに壊してしまっては殺生になる。

けれども、心を持っていないので草木と同じ。でも、姿形は人間の形をしている。

いろいろと悩んだ挙句、高野山の奥の人通りがない場所に放置してしまったそうです。

画像:『重訂/解体新書銅版全図』(研医会図書館所蔵) 出典 : 国書データベース

人造人間の中には大臣に出世した者も……?

その後、西行は、人を造る秘術に通じていると噂されていた公卿・徳大寺実能(とくだいじさねよし)を訪ねました。

しかし、実能はあいにく留守で、その姿を見つけることはできませんでした。

行き場を失った西行は、伏見の前中納言・源師仲(みなもとのもろなか)のもとを訪ねます。

師仲は西行に向かって、「どうやって作ったのだ」と問いかけました。

西行は静かに口を開き、実際に自ら行った手順を語ります。

まず、広い野原で死人の骨を頭から足の先まで集め、人の形になるように並べたこと。
次に、全身の骨に薬を塗り、藤の若いつるを野草の汁で濡らして骨をつなぎ、水で清めたこと。
さらに、髪の生える頭には西海枝の葉とむくげの葉を灰にして塗りつけたこと。
そして、土の上に畳を敷き、骨を安置して沈香を焚き、魂を呼び戻す秘術を行ったこと。

一つひとつの手順を、ためらうことなく語り終えた西行に対し、師仲は静かにこう答えたのです。

「私もまた、四条の大納言から“人造り”の秘法を授けられた者だ。人造人間の中には、今や大臣にまで昇った者もいる。だが誰であるかは言えない。もしその名を明かせば、造られた者も造った者も、たちまちこの世から消えてしまうだろう」

その言葉に、西行は息をのんだといいます。

骨を集めて人造人間を作ることが可能で、さらに、“それ”が生きている人間同様に生活しているという怪奇。

しかも、人造人間が政治の中枢で活躍しているというのは、なかなか怖い話です。

画像:勝川春章による浮世絵(岩井半四郎と市川団十郎)public domain

人造人間は覚悟や心構えが必要……諦めた西行

西行は、いろいろと悩んだのかもしれません。

人造人間をつくるのは可能で、成功すれば人間同様になる。
けれど、守らなければならない秘密があり、口外したら“それ”も自分も消えてしまう。

どうやら、興味半分だったり、話し相手が欲しいからというレベルだったりで、気軽に試していいものではないようです。

また、成功させるには厳格な条件が課せられていました。

「香を焚いて魔を退け来迎仏を呼ぶこと」「沈香と乳香を用いること」「秘術を行う者は七日間飲食を絶たねばならないこと」などが記されています。

西行は、過程の苛烈さだけでなく、命を創る覚悟と清らかな心構えが必要であることを悟ったのかもしれません。

そのため、二度と人造人間を造ろうとはしなかったと伝えられています。

高野山の奥に放置された“それ”はどうなったのかは分かりません。

動けたのかは不明ですが、壊れた笛のようなかすれた声が聞こえたとされ、わずかでも生命の兆しがあったのではないかと想像されます。

そのかすれた声で何かを伝えようとしたのだと考えると、どこか胸に残るものがあります。

画像:鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』(安永8年/1779年刊行)に所収の一図「骸骨」public domain

「鬼が人間の骨で作った美女」の話も

「鬼が人の骨を集めて人間を作る」という話は、ほかにもいくつか伝わっています。

その代表的な一つが、平安初期の文人・紀長谷雄(きのはせお)にまつわる絵巻物『長谷雄草紙(はせおぞうし)』です。

画像:長谷雄草紙
紀長谷雄と朱雀門の鬼の双六勝負 public domain

ある夜、朱雀門の鬼が長谷雄の前に現れ、双六の勝負を申し込みました。

鬼は「勝てば絶世の美女を与える」と告げ、長谷雄は全財産を賭けて勝負に挑みます。

結果は鬼の敗北。

約束どおり鬼は美女を連れてきて長谷雄に差し出し、「百日間はこの女に触れてはならない」と言い残して去っていきました。

長谷雄はしばらくその約束を守っていましたが、八十日ほど経つと欲望を抑えきれず、その女性を抱いてしまいます。

すると、女性の体はたちまち溶けて水となり、跡形もなく消えてしまいました。

画像:長谷雄草紙
長谷雄が鬼から預かった女が水と化して流れ去る public domain

実はその女性は、鬼が死者の骨や優れた肉体の部分を集めて造った人造人間でした。

百日が経てば本当の人間になるはずでしたが、約束を破ったためにその命は潰えてしまったのです。

やがて、怒りに燃えた鬼が現れ、「なぜ約束を破った」と叫びながら長谷雄の牛車を襲いました。

長谷雄は恐怖の中で北野天神を一心に念じたところ、天から「そこを去れ」という声が響き、鬼はそのまま姿を消したと伝えられています。

このほかにも、平安から鎌倉時代にかけての説話集には、鬼が死者の骨を集めて人の形を作るという不思議な物語がいくつも残されています。

「骨人(こつじん)」や「人形(ひとがた)」と呼ばれるこうした存在は、当時の人々にとって、生と死のあわいにある「もう一つの命」を象徴するものだったのかもしれません。

同じような怪異譚はまだ数多く伝わっており、機会を改めてご紹介したいと思います。

参考:撰集抄 上・下(古典文庫)現代思潮新社
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部

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桃配伝子

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