城,神社寺巡り

清らかな水と空気に満たされた聖地。奈良・水谷神社の子授け石とイブキの巨木

陰陽石」と聞くと、少しドキッとする方も多いかもしれません。

男女の陰部に似た形をした石のことで、中には思わず二度見してしまうほどリアルなものも存在します。

正直なところ、「子どもにはあまり見せたくないかも……」と思ってしまうような存在ですよね。

ところがそんな陰陽石が、観光客で賑わう奈良屈指の名所・春日大社のすぐそば、摂社・水谷神社(みずやじんじゃ)に、ひっそりと鎮座しているのです。

今回は、水谷神社と「子授け石」と呼ばれる同社の陰陽石、そして御神木の「イブキの巨木」についてご紹介していきましょう。

人々の“切実な願い”がカタチになった陰陽石

画像:陰陽石(撮影:高野晃彰)

女性の陰部をかたどったものを「陰石」、男性の陰部をかたどったものを「陽石」といい、一般にはこの二つを対にして祀ることで「陰陽石」と呼ばれています。

ただし、必ずしもセットで存在するとは限らず、どちらか一方のみが祀られているケースも少なくありません。
以前に紹介した奈良県明日香村の「マラ石」は、まさに陽石の代表的な存在といえるでしょう。

では、なぜこのような陰陽石が各地に残されているのでしょうか。

その背景には、いくつかの信仰的な意味があると考えられています。

・農作物をはじめとする「生産」や繁栄を司る神の象徴。
・邪気や病を遠ざける、いわば“魔よけ”としての役割。
・安産や子育て、縁結びを願う信仰の対象。

冒頭で「子どもには少し見せづらいかもしれない」と触れましたが、陰陽石は、どれも人々の暮らしに寄り添い、切実な願いや祈りが込められた信仰のかたちだったのです。

御本殿・若宮に次ぐ聖地とされる格式高いお社

画像:水谷神社とイブキの巨木(撮影:高野晃彰)

水谷神社は、春日大社の摂社の中でもとりわけ神格が高く、本殿や若宮に次ぐ聖地とされているお社です。

神社の周辺は、古来から春日信仰の根幹をなすとされる龍神信仰が特に盛んな場所と伝わり、その名の通り、春日山原生林を水源とする水谷川(みずやがわ)のほとりに、ひっそりと社殿が建てられています。

この水谷川は、神々が鎮まるとされる春日山から湧き出る聖なる流れ。

古くから春日大社境内の北を通り、吉城川(よしきがわ)、佐保川へとつながりながら、奈良の都、さらには大和国原(やまとくにはら)に暮らす人々を潤してきました。

まさに「生命(いのち)の水」として、大切にされてきた川なのです。

画像:水谷神社の脇を流れる水谷川(撮影:高野晃彰)

毎年およそ100万人もの参拝者が訪れる春日大社の神域にありながら、水谷神社にはどこか神秘的な静けさが漂っています。

というのも、多くの観光客は春日大社を参拝したあと、若草山のふもとを通って東大寺へ向かうのが一般的。
その途中にある水谷神社に気づかないまま、素通りしてしまう人がほとんどなのです。

そのおかげで、この場所には今もひっそりとした空気が保たれている、そう言えるのかもしれません。

筆者は、この水谷神社が鎮まる場所が大好きで、奈良にいるときは少しでも時間があれば、ほとんど必ず立ち寄っています。

いや、意識して訪れるというよりも、なぜか自然と足が向いてしまう、といったほうが近いでしょうか。

気がつけば、水谷神社の近くまで来ているのです。

画像:水谷神社で鹿と戯れる(撮影:高野晃彰)

ここでは、特別なことをするわけでもありません。

巨大な御神木であるイブキをぼんやり眺めたり、そばを通りかかる鹿と戯れたり、営業していれば、茅葺屋根が懐かしい水谷茶屋の縁台に腰を下ろしたりしながら、静かなひとときを楽しんでいます。

画像:水谷神社と祈願する信者(撮影:高野晃彰)

そして、ふと社殿に目を向けると、ごくわずかな人が立ち止まり、手を合わせて熱心に祈っている姿が見えることもあります。

けれど、そんな“知る人ぞ知る”神社だからこそ、この独特の空気が守られているのだと思うと、かえってうれしくなってしまうのです。

子授け石・イブキの巨木を清浄な空気が包み込む

画像:水谷神社の陰石・子授け石(撮影:高野晃彰)

水谷神社の陰陽石には、朱色の社殿前に置かれた「子授石」と、社殿下の磐座に据えられた二つの石があります。

一般には、「子授石」が陰石、磐座のほうが陽石とされています。

陰石である「子授石」は、ひと目見て分かるほど女性器の形をしており、「子宝に恵まれる」として、古くから人々の信仰を集めてきました。

一方の陽石は、社殿の土台基礎部分、井桁に組まれた土台の中央に、朱塗りの木材に押し込まれるような形で存在しています。

さらに漆喰で塗り固められているため、残念ながらその原型ははっきりとは分かりません。

画像:社殿の下に埋もれるようにある水谷神社の陽石(撮影:高野晃彰)

そのため、磐座の上に男性器の形をした石が置かれていたのではないか、と推測する人もいるようです。
この磐座を漆喰で固めてしまうという形式は、全国の陰陽石信仰の中でも、かなり珍しいものではないでしょうか。

もっとも、春日大社本殿の玉垣内にも、同様に漆喰で固められた磐座があると伝えられています。
もしかすると、これは春日大社に特有の信仰様式なのかもしれません。

また、「水谷神社の宿り木」として知られるイブキの巨樹が、「子授石」と対になる“陽木”なのではないか、という説もあります。

自然物崇拝の視点で見れば、石が樹木に置き換わっていても不思議はありません。

むしろ、ほぼ正面に位置する「子授石」に向かって、そそり立つようにも見えてくるから不思議です。

画像:御神木のイブキと水谷神社(撮影:高野晃彰)

晴れた日でもどこか薄暗い、森の深緑に包まれた朱色の社殿。
そのそばにひっそりと佇む「陰陽石」と、威厳を感じさせるイブキの巨樹。

そこには、神社本来の清らかな空気が流れる、特別な空間が広がっています。

水谷神社を訪れれば、きっと心が落ち着く、穏やかなひとときを過ごせることでしょう。

参考 : 『水谷神社公式HP』他
文:写真/高野晃彰 校正/草の実堂編集部

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高野晃彰

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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