
画像:コメニウスの肖像 public domain
近代ヨーロッパの教育思想は、果たして誰のどんな想いや情熱によって動き出したのか、想像されたことはあるでしょうか?
その答えとして挙げられるのが、ヤン・アーモス・コメニウス(Jan Amos Comenius,1592–1670)です。
17世紀、戦争と宗教対立が絶えない時代に生きた彼は、いま私たちが当たり前に受け入れている「教育」という仕組みを、ほぼゼロから考え直した思想家でした。
今日ではしばしば「近代教育学の父」とも呼ばれるコメニウスですが、意外なことにその生涯は安定した学究的キャリアとはまったく無縁でした。
宗教戦争によって迫害され、生涯の大半を亡命者として外国で過ごしたのです。
だからこそ、その教育思想は机上の空論ではなく、祖国を失い、荒廃を目の当たりにした体験の中から練り上げられたものとなりました。
今回は、世界を教科書にしようとした亡命者・コメニウスの生涯を辿ります。
信仰と学問が形づくった世界観

画像:1611年にコメニウスが書いた現存する最古の写本。ラテン語とチェコ語で書かれている public domain
コメニウスは1592年、現在のチェコ共和国にあたるモラヴィア地方で生まれました。
当時この地は宗教改革の影響が色濃く、どの信仰を選ぶかで立場や運命が左右されました。
彼はプロテスタントの一派「ボヘミア兄弟団(ユニタス・フラトルム)」の家庭に育ちました。
この共同体は信仰だけでなく教育を重んじ、知識は神の秩序を理解するための道だと考えていました。そうした価値観が、のちの彼の思想の土台になります。
しかしそんなコメニウスを不幸が襲います。
若くして両親を失い、経済的にも不安定な環境に置かれてしまったのです。
それでも彼は学ぶ意欲を失わず、やがてドイツのヘルボルン大学で神学と哲学を修めます。これは当時としては限られた者だけが受けられる高度な教育でした。
ここで彼は、世界をひとつの秩序ある体系として捉えようとする学問に触れることになります。
そうして得た発想は、後に教育を体系的に組み立てる基盤となっていきました。
三十年戦争と祖国喪失

画像:チェコのDolayの学校にあるレリーフに描かれたコメニウス wiki c Michal Maňas
ところが三十年戦争が始まり、彼の人生は大きく変わります。
1618年に始まったこの戦争は、単なる宗教争いにとどまらず、神聖ローマ帝国を巻き込む大規模な戦乱へと広がりました。
戦いは長引き、ヨーロッパ各地を荒廃させていきます。
1620年の白山の戦いでボヘミアのプロテスタントが敗れると、ハプスブルク家は再カトリック化を強力に進めました。
プロテスタントの貴族や牧師、教育者たちは追放され、信仰の違いはそのまま生きる場所を失う理由となったのです。
コメニウスもその一人であり、祖国を離れ、亡命者としての生活を余儀なくされます。
しかもそれは一時的な避難ではなく、生涯戻れない亡命でした。
以後、彼の思想は常に「故郷を失った者」の視点から語られることになります。
悲劇が培った教育への使命意識

画像:コメニウスの肖像画 public domain
亡命生活のなかで、彼はさらに大きな悲しみに直面します。
最初の妻と子どもたちを疫病で失い、さらに戦乱の混乱の中で蔵書や原稿も焼失してしまったのです。家族と知的財産を同時に失うという、あまりにも重い打撃でした。
この体験は彼を深く絶望させる一方で、人類全体が「無知と不和」によって破滅に向かっているという強烈な危機意識を生み出しました。
彼にとって「教育」とは、個人の成功のための手段ではなく、人類を破局から救う唯一の道となっていったのです。
「世界を正しく理解し、他者と共存する力を育てなければ、戦争と憎悪は繰り返される」という確信が、コメニウスの中で芽生えたのです。
普遍教育の構想とその実践

画像:18世紀後半にプレスブルクで出版された『世界図絵』のリプリント wiki c CommonsHelper2 Bot
ポーランドのレシュノに定住した後、コメニウスは教育改革に本格的に取り組みました。
当時の学校はラテン語文法の暗記が中心で、理解より反復が重んじられていました。
子どもの発達段階などはほとんど考慮されず、規律と服従を教える場であり、多くの子どもにとって学校は苦痛の場でもありました。
コメニウスはこれを非人間的で非効率的だと批判し、すべての子どもに体系的に学びの機会を与える「普遍教育」の理想を掲げました。
その構想をまとめたのが主著『大教授学』です。
幼児期から成人期までの段階的な教育、母語による初等教育、感覚を通して学ぶ方法などを打ち出したのです。
とくに画期的だったのは、言葉だけでなく「見て学ぶ」ことを重視した点です。
1658年刊行の『世界図絵』は、絵と文章を組み合わせた教科書で、ヨーロッパ各地で広く使われました。世界の仕組みを子どもにも分かる形で示し、学ぶことは苦行ではなく「世界を知る喜び」だと示したのです。
その名声は国境を越え、イングランドやスウェーデン、トランシルヴァニアからも協力を求められました。
戦争と権力争いの時代に、普遍教育を実現するのは容易ではありませんでしたが、彼は決して諦めませんでした。
晩年、コメニウスはオランダのアムステルダムに移り、1670年、祖国に戻ることなく亡命者のまま生涯を終えました。
けれどもその著作は今も各国語に翻訳され、教育制度に大きな影響を与え続けています。
義務教育、年齢別カリキュラム、子ども中心の教育という、現代では当たり前とされる概念の多くは、苦難の世紀を生き抜いた一人の思想家の試行錯誤から生まれたのです。
暴力が支配する時代でも、教育で未来は変えられる。
そう信じ続けたコメニウスの思想と生涯は、現代に生きる私たちにとってもなお、多くの学ぶべき手がかりと言えるでしょう。
参考文献 :
コメニウスーその生涯と思想―/フランティシェク・コジーク(著),乙訓 稔,大沢 裕 他(訳)
文 / 草の実堂編集部
























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