神話、伝説

「9本脚の奇妙な馬」を源頼朝が追放した?世界に伝わる多脚の馬たちの伝説

画像 : 野生の馬 pixabay cc0

2026年は午年であり、干支は「」である。

太古の時代から馬は、人や物品を運ぶ車のような存在として重宝されてきた。

馬の太い「脚」は長距離を高速で走るのに適しており、その筋肉の躍動は、神秘的なものすら感じるほど美しい。

そんな強靭な脚が4本のみならず、6本・8本と生えていたとすれば、馬はより速く走ることができるのではないかと、古代の人々は考えた。

神話や幻想の世界においては、4本以上の脚を有し、物理法則を超えたスピードで疾駆する馬がたびたび登場する。

今回は、そんな驚異的な馬たちの伝説、伝承について紹介していきたい。

北欧神話の名馬

画像 : オーディンとスレイプニル public domain

ゲルマン人に伝わる北欧神話には、スレイプニル(Sleipnir)という8本脚の馬が登場する。

「最高の馬」と称されており、恐るべきスピードで走り、空を飛ぶことすらできるという。
北欧神話の主神「オーディン」はこの馬を駆り、世界のあちこちを縦横無尽に駆け回るとされる。

スレイプニルの父親は「スヴァジルファリ」といい、巨大な岩石をも軽々と運べる優れた牡馬だとされる。
そして母親は「ロキ」という、人間の姿をした男神であった。

当然、オスとオスとで、それも異種間で子供など生まれるハズがない。

どういうことなのかというと、ロキは変身能力を持っており、雌馬に化けてスヴァジルファリを誘惑したのである。

狙い通り興奮したスヴァジルファリと夜を共にした結果、ロキはスレイプニルを身籠った、と伝えられている。

源頼朝に献上された9本脚の馬

画像 : 源頼朝の肖像 public domain

鎌倉時代に記された歴史書『吾妻鏡』には、とある不思議な馬にまつわる伝承が語られている。

建久四年(1193年)のことである。

横山時広という侍が、鎌倉幕府の征夷大将軍・源頼朝(1147~1199年)の元へ、一匹の馬を連れて馳せ参じたという。

しかしその馬は、明らかに異常であった。

將軍覽之。有其足九〔前足五。後足四〕。
仰左近將監家景。可被放遣陸奥國外濱云々。
然而房星之精不足愛之。

意訳 :
将軍(源頼朝)がこれを覧じると、その馬には足が9本あった(前5本・後4本)。
そこで左近将監家景に命じ、陸奥国外浜へ放つよう指示した。
房星の精気を帯びたものではなく、愛すべき存在ではないと判断した。

『吾妻鏡』建久4年7月24日条より引用

画像 : 9本脚の馬 草の実堂作成(AI)

この馬を見て、頼朝がどう思ったかは定かではない。

馬は陸奥国(福島・宮城・岩手・青森など)の「外浜」という場所に放逐されたが、外浜は当時の陸奥国の辺境地であり、都から遠い地であった。

頼朝はこの馬を快く思わなかったようだ。

そして陸奥国へ運ばれる途中で、馬は射殺されたと伝えられている。

ドラゴンの駆る馬は5本脚!

画像 : ヤーノシュ vs フェルニゲシュ 草の実堂作成(AI)

ハンガリーの民話『勇者ヤーノシュと黒龍フェルニゲシュ』(19世紀に採集された民話の一系統)には、多脚の馬を駆るドラゴンが登場する。

(意訳・要約)

昔々ある所に、ヤーノシュという男が、3人の姉と暮らしていた。
ところがある時、一匹のドラゴンが現れ、長女を連れ去ってしまった。

翌日、今度はより巨大なドラゴンが次女を、その3日後にはさらに巨大なドラゴンが三女を、それぞれ誘拐していった。

途方に暮れたヤーノシュは、放浪の旅に出た。
そしてフラっと立ち寄った国の城にて、給仕として仕えるようになった。

それからしばらくの時が経ち、ヤーノシュが21歳になると、王女から求婚された。
あれよあれよとヤーノシュは、一国の王となったのである。

さて、この城には「禁断の間」があり、何人たりとも決して入ってはいけないという決まりがあった。
しかし好奇心旺盛なヤーノシュは、禁を破り入ってしまった。

すると安置されていた石桶の中から、「水をくれ」という声が聞こえるではないか。
ヤーノシュが葡萄酒を桶の隙間から注ぎ込むと、中から一匹の黒いドラゴンが飛び出してきた。

その名はフェルニゲシュ(Fernyiges)。あまりの強さに封印されていた、恐るべき魔物である。
自由の身となり有頂天のフェルニゲシュは、王女をさらい何処かへ飛び去っていった。

姉たちに続き妻までも失ったヤーノシュだったが、王となった彼は人間的に成長しており、もはや絶望することはなかった。

フェルニゲシュを抹殺し王女を救うべく、彼は旅に出た。

道中、謎の世界に迷い込んだ彼は、そこでかつて誘拐された姉たちと再会する。

長女は6本首のドラゴンと、次女は12本首のドラゴンと、三女は24本首のドラゴンと、それぞれ暮らしていた。

ドラゴンたち曰く、フェルニゲシュはドラゴンの長だが、性格が異常に悪く、皆が嫌っていたという。
そこでドラゴンたちが総力を挙げて、石桶に封印した、ということらしい。

彼らからもたらされた情報により、王女はフェルニゲシュの居城にいることを、ヤーノシュは知る。
ドラゴンたちから馬を借り、城へ向かったヤーノシュは、ついに王女を救うことに成功した。

ところが怒り狂ったフェルニゲシュに、ヤーノシュはバラバラに切り刻まれて死んでしまう。
だが6本首・12本首・24本首のドラゴンの魔法により、ヤーノシュは息を吹き返した。

復活したヤーノシュは「火の海の中にある7の7倍の島」に赴き、そこに住む魔女から「6本脚の馬」を奪うことに成功する。

6本脚の馬を駆り、ヤーノシュは再び王女を奪還した。
対するフェルニゲシュは「5本脚の馬」を駆り、ヤーノシュと王女を追いかける。
しかし6本脚の馬は凄まじい速度で走ることができ、5本脚の馬ではとても追いつけない。

フェルニゲシュは「もっと速く走れ!」と拍車(馬の腹部を刺激し前進させる道具)を使い、5本脚の馬を急かした。
しかしそれにイライラした5本脚の馬は、フェルニゲシュを背中から振り落としてしまう。

フェルニゲシュは落馬し死んだ。ドラゴンの暴君の最期は、あまりにも呆気ないものであった。

そしてヤーノシュと王女は、自分たちの国へと帰っていったのである。

このように脚を増やされた馬たちは、各地の神話や年代記の中で「常ならぬ力」や「吉凶の兆し」を象徴する存在として語り継がれてきた。

人々は速さや異様さに畏れと期待を託し、多脚の馬という幻想を生み出したのかもしれない。

参考 : 『古エッダ』『吾妻鏡』『Vitéz János és Hollófernyiges(勇者ヤーノシュと黒龍フェルニゲシュ)』
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
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