
画像 : ハリウッドサイン public domain
今年も映画界最大のイベント、アメリカのアカデミー賞が発表された。
授賞式は、カリフォルニア州ロサンゼルスのハリウッド地区にあるドルビー・シアターで行われている。
この劇場は2002年以降、長くアカデミー賞の会場として使用されてきた。
アメリカ映画が「ハリウッド映画」と呼ばれるのは、映画産業の中心地がハリウッドにあるためだ。
だからこそ授賞式も、この地で行われるのが通例になっている。
しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。
アメリカ最大の都市はニューヨークであり、首都はワシントンD.C.である。
ロサンゼルスはニューヨークほどの規模ではなく、政治の中心でもない。
それにもかかわらず、なぜハリウッドが映画産業の中心地となったのだろうか。
その背景には意外な人物、発明王トーマス・エジソンの存在があったのである。
創生期の映画界
映画史の出発点として知られるのが、1895年にフランスで上映された『工場の出口』(ルイ・リュミエール監督)である。
工場から人々が出てくる様子を約46秒間映しただけのこの作品は、「映画」というより記録映像に近いものだった。
しかし、その誕生から数年で映画は大きく進化する。
フランスから遠く離れたアメリカでも、20世紀初頭にはすでに興行として成立する映画産業が生まれていたのだ。
その象徴ともいえる作品が、1903年の『大列車強盗』(エドウィン・S・ポーター監督)である。

画像:映画『大列車強盗』より public domain
約12分の上映時間の中に明確なストーリーを持ち、初期西部劇の代表作ともいわれるこの作品は、『工場の出口』からわずか8年で、映画が「記録」から「物語」へと劇的に進化したことを示している。
この作品を制作したのが、エジソン率いるエジソン社だったのだ。
発明家として知られるエジソンにとって、映画もまた重要な活動拠点の一つだったのである。
特許で縛られた映画界 エジソンの独占戦略
創生期の映画界はまだ未成熟で、その構造は急速に変化していた。
そうした中でエジソンは、技術者としてだけでなくビジネスの面でも大きな影響力を持つようになる。

画像 : エジソン public domain
彼は業界全体をコントロールしようと次々に訴訟を起こし、その多くで勝利を収めていったのだ。
当時、映画の撮影機材や映写機の多くはエジソン側の特許によって保護されており、無断で使用すれば訴訟の対象となっていた。
エジソンはこの特許を武器に、業界の主導権を握ろうとしていた。
そして1908年、有力な9つの映画会社をまとめ、特許の管理を一元化する「映画特許会社(通称ザ・トラスト)」をニューヨークに設立する。
これは映画制作から上映までを許可制に近い形で統制し、業界全体を実質的に支配しようとする仕組みだった。
しかし、エジソン側の強引な独占は業界の反発を招き、政府の介入を引き起こした。
その結果、1915年には反トラスト法違反と判断され、その後の司法判断を経て、1918年までに実質的に崩壊していった。
エジソンは映画の将来性をいち早く見抜き、その発展を自らの管理下に置こうとしたが、結果的には業界と政府の反発を招くことになった。
エジソンは一般的には「発明王」「努力の人」といった印象だが、「訴訟王」「剛腕なビジネスマン」というダークサイドな一面も持っていたのである。
東海岸のエジソン vs 西海岸の独立系映画人

画像:ニッケルオデオンの劇場 カナダオンタリオ州トロントにあった「コミック座」(1910年頃) public domain
エジソンが映画産業の可能性に注目していた一方で、各地には「ニッケルオデオン」と呼ばれる小規模な映画興行が広がっていた。
これは入場料が5セント(ニッケル)であったことに由来し、簡素な施設で映画を上映する庶民向けの娯楽であった。
エジソンの映画特許会社による特許と訴訟の支配力を避けるため、多くの独立系映画製作者や興行関係者は1908年ごろから西海岸へと移動していた。
エジソンの支配から離れるには、距離を置くしかなかったのである。
一方でニューヨークでは、映画が「いかがわしいもの」と見なされることもあり、自主規制の動きも生まれ、こうした環境は映画表現の自由を制限する側面を持っていた。
それに対し西海岸のハリウッドでは、比較的自由な環境のもとで制作が行われるようになる。
エジソンの影響から逃れた映画人たちは、観客を楽しませることを第一に作品を生み出し、その結果、映画は内容と技術の両面で急速に発展していった。
こうしてハリウッドは、気候や立地といった条件にも支えられながら、映画産業の中心地としての地位を確立していったのだった。
ハリウッドの誕生は単なる偶然ではなく、エジソンの影響から逃れようとした映画人たちの選択が、新たな映画の中心地を形づくっていたのである。
参考文献:北野 圭介 『ハリウッド100年史講義』
文 / ニコ・トスカーニ 校正 / 草の実堂編集部
























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