神居古潭(カムイコタン)
難読地名の1つだろう。北海道旭川市にある地区の名前であり、隣町との境目にあたる。
アイヌ語に日本語を当てはめた地名の1つであり、直訳すると
「神のいる村・集落」
という感じになる。
「コタン」とは「村・集落」の意味であり、「カムイ」とは「神」という意味である。そもそもに北海道の地名はほぼアイヌ語を漢字で表現したものが多い。
石狩川が上川盆地を抜け、石狩平野へと流れていく途中の渓谷にあり、川の流れは細くかつ急になっている。川の最深部は水深70mにも達すると言われている。
水上交通に依存していたアイヌにとっては最大の難所であり、しばしば犠牲者が出たこと、あるいは無事な通過を神に祈ることから、カムイコタンという地名になったとする説がある。
地区内には北海道指定史跡の「神居古潭竪穴住居遺跡」やストーンサークルなど、縄文時代にさかのぼる遺跡群が点在し、古くから集落が存在していたことが示されている。
アイヌ民族に伝わる叙事詩 ユーカラ
さて、この「神居古潭」にまつわる話をする前に、この地域の伝承を少し話しておこうと思う。アイヌの人たちの伝承、ユーカラである。
かつてこの地にはニッネカムイ(またはニチエネカムイ)が住んでいた。ニッネ(悪い)+カムイで、悪神・魔神と訳される。
ニッネカムイはこの地に大きな岩を投げ込み、往来するアイヌを溺れさせようとした。ヌプリカムイ(山の神)が見とがめて岩をどかすが、ニッネカムイは怒ってヌプリカムイと争った。英雄サマイクルがヌプリカムイに加勢したため、ニッネカムイは逃げようとしたところ川岸の泥に足を深く沈めてしまい、動きが止まったところでサマイクルに切り殺された。川岸に残るおう穴群は、そのときにニッネカムイが足を取られた跡であるという。
神居古潭おう穴群
また周辺には「ニッネカムイの首」や「サマイクルの砦」とされる奇岩がある。足を取られた跡はアイヌの人の言葉で「オラオシマイ」というので驚いてしまう。
この神居古潭で産出される美しい石がある。神居古潭石だ。
まんまである。これは,旭川から札幌へ向かう神居古潭峡谷で,特に神居大橋(つり橋)付近で産出する濃青緑~黒色をした緻密でかたい石である。
今でも庭石など,観賞石( 水石) として珍重されている石だ。 神居古潭石のなかで最も商品価値が高いとされたものは,表面がよく水磨され,しかも脂ぎって黒光りする岩石。緑色が混ざると価値が落ちるとされているが、緑がかっていても十分美しいと思う。
神居古潭駅と神居古潭橋
旭川市内からは延長19.37kmのサイクリングロードがあり、小学4年にもなれば往復できるルートである。ここは元は鉄道だったのをサイクリングロードに整備したものである。
1898年(明治31年)、石狩川の北岸に沿って函館本線が開通し、1901年(明治34年)に神居古潭駅(当初は簡易停車場)が設置されたのに伴い、対岸の集落との間に当所初めての橋となる「巻橋」が架けられた。
旧神居古潭駅舎
現在は1938年(昭和13年)に建造された神居大橋(※リンク先に様々な画像あり)が川の両岸を結んでいる。この橋は白くて美しいが、簡単なつり橋のようなものなので、一度に30人以上乗ると落ちてしまう。
注意書きの看板があるので是非見てほしい。風雨にさらされ、文字は見えにくいが「危険だぞ」というオーラを放っている。ちなみにこの大橋から見える景色はどこか恐ろしくもきれいである。
なぜ恐ろしいかはあとで述べよう。「大橋」というからにはさぞかし長さのある橋であろうかと思われるが、50mもない。
この橋の国道側にある売店の紫蘇ジュースはおいしいと定評がある。立ち寄った際にはぜひ見てみてほしい。
1969年(昭和44年)、函館本線の線形改良によって神居古潭駅が廃止された。現在は旧線跡がサイクリングロードとなり、駅舎も復元されて休憩所として利用されている。旧駅舎は旭川市指定の有形文化財(建造物)でもある。
旧国道12号が石狩川の南岸に沿って通っていたが、1983年(昭和58年)に神居古潭トンネルを通る新ルートに切り替えられた(但し、歩行者と自転車は現在も旧道を使用する)。紅葉の名所でもあり、毎年秋分の日には「こたんまつり」が開催される。
そんなサイクリングロードだが、アオダイショウなどのヘビに必ずと言っていいほど出会う。1匹なら我慢もできようが、3~4匹くらい出会える。照明などないのに、小さいトンネルは数か所存在する。そのトンネルが何とも言えず怖くて、
「せめてトンネル内だけでもライト入れてほしいな」
と思ったことがある。運が良ければカブトムシやクワガタなどにも出会えるのだが、秋は注意が必要だ。神居古潭周辺はクマの生息地であるので、遭遇してしまう可能性がある。紅葉は美しいが、クマには出会いたくない。
なお、2008年(平成20年)1月19日に最低気温-47.2℃を記録したが、のちに機器の故障による誤表示であることが確認された。旭川市も、陸別町といい勝負と言っていいほど寒い。
この旧駅舎のそばに蒸気機関車の「D51」などが展示されている。冬季期間はシートがかぶせられて見れないが、それ以外のシーズンには、「昔ここを走っていたのだぞ」と言わんばかりの蒸気機関車が3台ほどみられる。丁寧に手入れされ、黒光りする車体は威厳に満ちている。
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