日本国内では本田美奈子さんを筆頭とし、数々の女性歌手がカバーして日本人にも広く知れ渡った洋楽「アメイジング・グレイス」。
欧米のディーヴァ(歌姫)や、アメリカ黒人によく歌われているイメージがあるかもしれない。
今回は、この曲に込められたディープな背景をご紹介したい。
■ゴスペルの仲間として今日も愛される曲の一つ
「アメイジング・グレイス」は今日も黒人系の人々に好んで歌われ、ゴスペルのジャンルに含まれる曲だとされる。
ゴスペル(黒人霊歌)とは、アメリカで生まれた音楽ジャンルの一つだ。
ウーピー・ゴールドバーグ主演のアメリカ映画『天使にラブソングを』等で歌われているシーンでお馴染みだ。
このジャンルは、キリスト教のプロテスタント信仰に基づくもので、西洋式の讃美歌をアフリカンなセンスでアレンジしたものである。
何故、西洋の讃美歌をアフリカンテイストにするようなジャンルが生まれたか?
それには、アメリカ黒人のルーツ、悲劇の歴史が深く関係している。
黒人はそもそもどこに住んでいたのか?アフリカ大陸だ。
それが奴隷として、家畜以下の扱いでアメリカ大陸に運ばれていった。
その、あまりに非人道的な日々の中で彼らは心の支えを必要とした。
奴隷として、彼らは読み書きを禁止されていたが、一日の労働の終わり、真夜中に仲間同士で集い、知っている歌を歌うことによって彼らは音楽の文化を守っていた。
そのうち、彼ら黒人奴隷に白人のキリスト教信仰が知られるようになった。
キリスト教信仰の中には、奴隷制度を肯定するような箇所も存在したが、それよりも「貧しい人は幸いである」「信じれば必ずキリストが天国へ導いてくださる」といった福音(ゴスペル)のメッセージが、苦境にある黒人奴隷たちの心に響いたのだろう。
このようにして、アメリカの黒人教会ではソウルフルなゴスペルが歌われるようになった。
苦境の中で保ち続けた歌の文化は、天国への希望を抱き、神を賛美する讃美歌の世界観に驚くほどマッチした。
■「アメイジング・グレイス」の歌詞と意味
普段英語であまり意識していない歌詞だが、実際には何が歌われているのだろうか。
1番と2番を見てみよう。
Amazing grace!(how sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost but now am found
Was blind, but now I see.驚くべき恵み(なんと甘美な響きよ)、
私のように悲惨な者を救って下さった。
かつては迷ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える。‘Twas grace that taught my heart to fear.
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.神の恵みが私の心に恐れることを教え、
そして、これらの恵みが恐れから私を解放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、
私が最初に信じた時に。
この歌詞に登場する「恵み」(grace)には、キリスト教プロテスタントの本質が凝縮されている。
曲名にも含まれている「グレイス」(恵み、恩寵)とは、
「キリストへの信仰により、無条件で神から与えられる救い」
のことを示している。
どのような過去があり、どれほど持たざる者であったとしても、心にキリストを受け入れ信じるだけで、人生が救われ死後の幸福が約束されるというわけだ。
■「アメイジング・グレイス」の皮肉な生い立ち
この歌は、イギリスの牧師であるJohn Newtonによって1772年に作詞された讃美歌だ。
牧師が讃美歌を作り、クリスチャンがそれを歌う。
何の変哲もない、と思われるだろうか。
この牧師には意外なバックグラウンドがあった。
「奴隷商人」
それが彼の罪深い過去だった。
Johnは幼い頃、信心深い母親から聖書を読み聞かせされて育ったが、しかし特に本格的信仰心を持つこともなく成長していった。
大きくなった彼は、父に見習うようにして船乗りとなったが、いつしか人身を売買する「奴隷貿易」に手を染めて設けるようになってしまった。
当時のイギリスでは、奴隷貿易をすることは別段珍しいことではなかった。
とはいえ、劣悪な衛生環境でヒトを輸送しているため感染症や栄養失調等で多くの奴隷が死亡した。
このような商売をしていたJohnは、22歳になる1748年に人生の転機を迎える。
貿易中、嵐に襲われて彼の商船は浸水、あわや転覆の危機に見舞われるのだ。
それまで信仰心を持つこともなく、奴隷を売買して富を得ていたJohnだが、この時初めて全身全霊で神に祈り、心から助けを乞うた。
すると、運良く浸水の勢いが弱まり、何とか沈没を免れることができた。
この出来事により、彼は奴隷貿易の罪深さを悔い、品行を改め、キリスト教について学ぶようになっていった。
実際に彼が船を降り牧師となったのは1755年のことで、1772年に「アメイジング・グレイス」を作詞した。
That saved a wretch like me(私のように悲惨な者を救って下さった)
この一節は、背景を知らなければ漠然としか想像できないが、この作詞者は、人身を売買する所業を悔いる心で「悲惨な者」という言葉を使っていたのだ。
■皮肉にも奥深い「アメイジング・グレイス」
黒人層に愛され、日本でも大ヒットとなった「アメイジング・グレイス」。
まさかこの穏やかな曲が、プロテスタント信仰の曲であり、それも黒人奴隷に過酷な扱いを強いてきた元奴隷商人が作った歌詞であるとは思いもしない、そんな人が多いのではないだろうか。
奴隷貿易ほどではないにせよ、誰しもが「悪いと知っていながら続けてしまう事」に後ろめたさを感じることはあるだろう。
キリスト教云々は置いておくとしても、次に「アメイジング・グレイス」を耳にした時は、是非その背景にも思いを馳せてみよう。
ただの綺麗な歌ではない、何かが感じられるかもしれない。
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