人物(作家)

上村松園の生涯【日本を代表する女流画家】

上村松園(うえむらしょうえん : 1845~1949)とは、日本を代表する女流画家である。

美人画”と呼ばれる、美しく凛とした女性の姿を描いたことで知られている。

今回は、この上村松園について調べていきたいと思う。

上村松園の生涯

上村松園の生涯

上村松園の代表作である『序の舞』

松園は京都府出身で、本名は上村津禰(うえむら・つね)と言う。

彼女の生まれる2か月前に父が他界し、母・仲子は女手一つで子どもたちを育て上げた。

幼い頃から絵を描くことが大好きだった松園は、12歳の時に鈴木松年に師事すると、すぐにその才能を開花させ、1890年には作品『四季美人図』が一等褒状を受賞、わずか15歳だった松園は「京に天才少女あり」と注目を浴びた。

20歳になってからは、京都画壇の中心人物である竹内栖鳳(たけうちせいしょう)に師事し、頭角を現すが、やがて27歳で妊娠。未婚の母としての道を選び、長男を出産した。
父親はわかっていないが、松園の最初の師である鈴木松年との子どもではないか、と言われていたようだ。

当時は女性の生き方が限られており、女性は結婚をし、子どもを生むということが美徳とされていた。

そんな中、松園の生き方は批判を浴び、29歳の時には展覧会に出した『遊女亀遊』という絵に落書きをされてしまう。絵一本で生計を立て、誰にも頼ることなく自立している松園に対して、あまりにもひどい仕打ちである。

しかし松園は、落書きされている絵をそのまま展示し、「この現実を見せましょう」と言ったそうだ。

その後も松園は美人画を描き続け、32歳からは10年間、文部省美術展覧会で毎回、入選と受賞を繰り返した。

上村松園の生涯

※昭和15年頃の上村松園

その後、第二次世界大戦を生き抜いた松園は、73歳の時、女性として初めての文化勲章を受章し、翌年、74歳で亡くなった。
京都・祇園四条の墓に眠っている。

松園の生涯を描いた小説に、宮尾登美子・作『序の舞』がある。気になる方はぜひ読んでいただければと思う。

母と『青眉抄』

上村松園の生涯

『母子』

松園の母は、上村仲子と言う。わずか26歳で寡婦になり、それからは2人の子どもを女手ひとつで育て上げた。

松園は母に対し、並外れた思い入れがあったようだ。

随筆『母への追慕』の中で、松園は、「母の存在がなければ「私など今ごろ、このようにして絵三昧の境地にいられたかどうか判らない」、また「母の男勝りの気性は、多分に私のうちにも移っていた」と記している。

この最愛の母は、松園が63歳の時に亡くなるが、その年に松園は『母子』という作品を描き上げている。

この絵は、眉を剃りお歯黒をつけた女性が、幼児を抱き上げ、慈愛に満ちた表情でその子を見つめている、という優しい作品だ。
松園が亡き母への想いを込めて描いたということが、ひしひしと伝わってくる。

母についての想いは、随筆集『青眉抄』の中で語られている。

ちなみに『青眉』とは、明治時代の女性が結婚すると、眉を剃り落とすという慣習があり、眉の剃り跡が青くなっていることからつけられた名前である。

また、松園と母・仲子の生涯を描いた演劇『青眉の人』が、2020年5月に演劇集団よろずやによって上演される。

こちらの公演は関西公演のみとなっているが、同劇団によって何度も上演されているレパートリーだそうで、時々関東圏でも上演されているようである。

松園と『焔』

上村松園の生涯

『焔』

上村松園の代表作と言えば『序の舞』であるが、私としてはぜひともこの絵を紹介しておきたい。

』は、「源氏物語」の中に出てくる六条御息所の生霊を描いた作品で、松園は能の演目『葵上』を取材し、この絵の製作に挑んだのだと言う。

当時、松園は42歳で、すでに画壇の中でも確固たる地位を築いていたが、その順調なキャリアはスランプに陥っていた。

スランプの原因は、年下男性との恋。この男性に大失恋してしまった松園は、そのことにより、絵が描けなくなるほど苦しんでいたのである。
その苦しみと向き合いながら、松園は『焔』を完成させた。

今まで、清らかな美しさを持つ女性の姿を描き続けていた松園だったが、『焔』の製作によって、それまでに表現したことのなかった嫉妬心、怒りの中に込められた悲しみを見事に描き上げ、この作品は松園の評価をいっそう高めることになった。

松園はこの『焔』について、「なぜこのような凄絶な作品を描いたのか、自分でもわからない」と語っていたという。

上村松園と美人画の世界展

上村松園は、現代の画壇においても「松園の前に松園なし、松園のあとに松園なし」と言われている。

代表作『序の舞』は、息子の妻であるたね子をモデルとしている。

松園は、美人画の製作において、「一点の卑俗なところなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のやうな絵こそ私の念願とするところのものである」と持論を持っており、その持論の通り、何者にも媚びることなく、凛としながらも、おだやかに美しい数々の美人画は、現在も多くの人に愛されている。

「上村松園と美人画の世界」展が、2020年3月1日まで東京・山種美術館にて開催されている。

ご興味があればぜひ、ご覧いただきたい。

 

アバター

アオノハナ

投稿者の記事一覧

歴史小説が好きで、月に数冊読んでおります。
日本史、アジア史、西洋史問わず愛読しております。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 北大路魯山人 波乱の生涯「美味しんぼ海原雄山のモデル」幼少期にた…
  2. 「君が代」を最初に作曲したのはイギリス人だった
  3. 指揮者になるための道を調べてみた
  4. 伊藤野枝 ~自由恋愛の神と呼ばれたが殺された女性解放運動家
  5. 【貧乏で苦しんだ文壇の美女】 樋口一葉たった一度きりの恋の行方
  6. サンジェルマン伯爵について調べてみた 【不老不死、高い知能】
  7. 年間読書数100冊超えの筆者が選ぶ!作家別オススメ作品《重松清・…
  8. BOØWY(氷室京介)のモノマネは結局誰が一番似てるのか?

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

千葉を発展させた漁師 について調べてみた

醤油で有名なヤマサ醤油の本社は千葉県銚子市にある。キッコーマンに次いで全国シェア第二位の規模だ。…

夢はでっかく美濃・尾張!頼朝の父・源義朝を闇討ちした長田忠致の末路【鎌倉殿の13人】

……義朝は関東へ落行けるが尾張国の家人長田庄司が所に著て休息し給ひける処に清盛より計策を以長田が心を…

徳川家康の長男・松平信康は、なぜ切腹させられたのか? 「様々な説」

今回はNHK大河ドラマ『どうする家康』で注目が集まった、家康の長男・松平信康が切腹させられた…

鎌倉は「源氏の街」?かつて鎌倉を治めていた坂東平氏・鎌倉一族の歴史を紹介

鎌倉に棲んでいると、たまに「鎌倉は源氏の街(?)」という声を耳にします。かつて鎌倉から武士の…

【秦の始皇帝の娘】発掘された墓が物語る「恐ろしすぎる事実」とは?

秦の始皇帝人気漫画「キングダム」でもお馴染みの秦の始皇帝(嬴政)は、古代中国史において最…

アーカイブ

PAGE TOP