チャンピオンズカップ(3歳以上オープン 国際・指定 定量 1800mダート・左)は、日本中央競馬会(JRA)が中京競馬場で毎年12月頭に施行する重賞競走(GⅠ)である。
中央競馬での「暮れのダート王決定戦」で、ここに出走してから12月29日に地方の大井競馬場で行なわれる東京大賞典(GⅠ)に進む馬も多い。
このチャンピオンズカップについて創設からの歴史をひもといてみる。
なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事では現在の表記で記す。
ジャパンカップダートの創設
1970年代後半から日本の競馬界では「世界に通用する強い馬を日本で作り上げる」ことを目標としており、1981年(昭和56年)にジャパンカップ(GⅠ 東京競馬場 芝2400m)が創設された。
その後、ダート路線のレースの整備が進み、ダートでの中距離GⅠ競走が必要になったこと、ダートの国際招待競走を実施したいことに加えて、アメリカのブリーダーズカップやアラブ首長国連邦のドバイのドバイミーティングのような、同日に多数の重賞競走が開催されるお祭りを視野に入れ、ジャパンカップの前日に「ジャパンカップダート」(東京競馬場 ダート2100m)が創設された。
2000年(平成12年)に行なわれた第1回ジャパンカップダートの優勝馬は、ウイングアロー(牡5)である。
3歳時には地方競馬の交流重賞競走を勝ちまくったが、4歳時は激戦の反動からか未勝利に終わる。
5歳になってフェブラリーステークス(GⅠ 東京競馬場 ダート1600m)で中央のGⅠ初勝利を収め、ジャパンカップダートではコースレコードを更新して初代王者に輝いた。
中央競馬初のGⅠ同日開催
2004年(平成16年)11月28日の第5回ジャパンカップダートは、JRA創立50周年を記念して「ゴールデンジュビリーデー」と銘打って第24回ジャパンカップと同日開催された。中央競馬では初めてで唯一の複数GⅠ同日開催である。
当日は第10競走がジャパンカップダート、最終の第11競走がジャパンカップに設定された。
第5回ジャパンカップダートの優勝馬はタイムパラドックス(牡6)。
ジャパンカップダートで優勝する馬は、地方競馬の交流重賞に勝ちまくり日本のダート路線のトップに立つことが多い。
タイムパラドックスも全国の競馬場を渡り歩き、通算50戦16勝を収めている。
阪神競馬場へ移行
ジャパンカップダートは2002年(平成14年)(第3回)に東京競馬場の改修工事のため、中山競馬場のダート1800mに場所を移して行なわれたとき以外、ずっと2100mで実施されている。これは東京競馬場ではダートの1800mのレースが設定できないからである。
2008年(平成20年)マイルから中距離を得意とする馬の出走を促すため、ジャパンカップダートの舞台を阪神競馬場のダート1800mに移した。
合わせて開催日をジャパンカップの次の週とした。阪神競馬場では1987年(昭和62年)から2013年(平成25年)までこの週に国際騎手招待競走シリーズのワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)が行なわれていた。
阪神競馬場での2008年第9回ジャパンカップダートを制したのは2005年(平成17年)第6回優勝馬のカネヒキリ(牡6)。
2006年から2007年に競走馬にとって「不治の病」といわれる右前浅屈腱炎を2度も発症、2年4ヶ月かけて克服し復帰2戦目での勝利だった。
中京競馬場に移行、チャンピオンズカップに名称変更
アメリカの競馬はダート競走が主流だが、そのコースは赤土でスピードの出やすい馬場である。日本のダートは砂でパワーが必要とされる。
馬場の違いに加えてアメリカの競馬場は左回りのコースしかなく、アメリカ馬にとって阪神競馬場の右回りは未経験なので挑戦しづらいと考えられた。
しかもジャパンカップダート創設当初から日本馬のダートでのレベルは高く、外国馬が優勝したのは2003年(平成15年)(第4回)アメリカのフリートストリートダンサー(騸5)のみで、海外からの参戦自体が減少していた。
アメリカの競馬の祭典ブリーダーズカップの開催は11月なので日程がきついこともあり、そちらの出走が優先されるようになった。
そこで2012年(平成24年)に改修工事を終えて1800mのダート競走を設定できるようになり、左回りの中京競馬場に移行されることになった。
2014年(平成26年)に移行と同時に名称を「チャンピオンズカップ」に変更、外国馬の招待をやめて国際競走とし賞金を減額して現在に至る。
2014年第15回チャンピオンズカップの優勝馬はホッコータルマエ(牡5)である。
地方競馬の中央交流競走の川崎記念(JpnⅠ 川崎競馬場 ダート2100m)に3連勝、帝王賞(JpnⅠ 大井競馬場 ダート2000m)に2連勝、東京大賞典(GⅠ 大井競馬場 ダート2000m)に1着2回と2着が1回で、GⅠ(JpnⅠ含む)歴代最多の10勝(当時)をあげた。
3歳・4歳時に挑戦したジャパンカップダートでは3着に敗れ、5歳時にやっと栄冠を手にした。
連覇は2頭だけ
ジャパンカップダート時代を含め、連覇したのは2005年(平成17年)第6回・2008年(平成20年)第9回のカネヒキリと、2010年(平成22年)第11回・2011年(平成23年)第12回のトランセンド(牡4~5)の2頭だけである。
トランセンドは第11回での優勝後、2011年2月の第28回フェブラリーステークス(GⅠ 東京競馬場 ダート1600m)にも勝利した。
3月26日に世界競馬の最高峰、第16回ドバイワールドカップ(GⅠ メイダン競馬場 オールウェザー2000m)に出走して2着に入りヴィクトワールピサ(牡4)と日本競馬史上に輝くワンツーフィニッシュをきめ、東日本大震災直後の日本に明るいニュースを届けてくれた。そして第12回で連覇を果たしている。
現在の日本のダート路線は群雄割拠であり、王座を維持し続けることが難しい時代にある。
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