フェブラリーステークス(4歳以上オープン 国際・指定 定量 1600mダート・左)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で毎年2月中旬から下旬に施行する重賞競走(GⅠ)である。
フェブラリー(February)は2月を意味する英語で、JRAの1年の最初のGⅠ競走である。
3月にアラブ首長国連邦のドバイのメイダン競馬場で行なわれるドバイワールドカップデー(GⅠとGII)に参戦する馬の壮行レースに位置づけられている。
このフェブラリーステークスについて創設からの歴史をひもといてみる。
なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事では現在の表記で記す。
JRA最古のダート重賞レース「フェブラリーハンデキャップ」として誕生
フェブラリーステークスは1984年(昭和59年)に東京競馬場のダート1600mに創設された、4歳以上のハンデキャップのGIII競走「フェブラリーハンデキャップ」を前身とする。
同じ年に中京競馬場に創設された3歳以上・ダート2200mのGIII競走「ウインターステークス」(現 東海ステークス ダート1800m)と並んで、JRAのダート重賞競走では一番古い歴史を持っている。
第1回フェブラリーハンデキャップの優勝馬はロバリアアモン(牡5)である。
種牡馬として1991年(平成3年)第25回黒潮盃(大井競馬場 ダート1800m)優勝馬カールホワイト(牝4)、1996年(平成8年)第7回トゥインクルレディ賞(大井競馬場 ダート1600m)優勝馬アカネタリヤ(牝5)の、2頭の重賞馬を輩出した。
1989年(平成元年)に混合競走に指定され、外国産馬も出走が可能になった。
「フェブラリーステークス」に名称変更、中央地方指定交流競走に
1994年(平成6年)(第11回)にGIIに昇格し、名称が「フェブラリーステークス」に変更された。
1995年(平成7年)(第12回)に指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬も出走が可能になった。
1995年(平成7年)は地方競馬所属馬・JRA所属馬が在籍しながらそれぞれのGI競走への出走が可能になり、「中央・地方交流元年」と呼ばれた。
この年の第12回優勝馬のライブリマウント(牡4)は、大井競馬の第18回帝王賞(GI ダート2000m)、旭川競馬場の第7回ブリーダーズゴールドカップ(ダート2300m)、水沢競馬場の第8回マイルチャンピオンシップ南部杯(ダート1600m)に連勝して1995年度のJRA賞最優秀ダートホースとNARグランプリ特別表彰馬に選出され、交流元年の象徴的存在になった。
また、第12回に地方から出走した大井競馬のホクトタイクーン(牡4)(のちJRAに移籍)は10着、新潟県競馬のオーディン(牡6)(JRAから移籍)は16着に終わった。
《砂の女王 ホクトベガ》
1996年(平成8年)(第13回)ホクトベガ(牝6)はフェブラリーステークス史上唯一の牝馬の優勝馬である。
3歳時のクラシックレースでは二冠牝馬のベガに阻まれ、三冠目のエリザベス女王杯でやっとベガを下す。このとき実況の馬場鉄志アナウンサーの「ベガはベガでもホクトベガ!」の名フレーズが飛び出した。
その後の競走生活はぱっとしなかったが、交流元年にJRAや他地区の地方競馬所属馬の出走が可能になった川崎競馬の第42回エンプレス杯(GI ダート2000m)に出走して、2着馬に18馬身差をつけて圧勝した。
翌年からダート路線に転向し、第45回川崎記念(川崎競馬GI ダート2000m)、フェブラリーステークス、第41回ダイオライト記念(船橋競馬GI ダート2400m)、第7回群馬記念(高崎競馬 ダート1500m)、第19回帝王賞、第43回エンプレス杯、第9回マイルチャンピオンシップ南部杯、第17回浦和記念(浦和競馬GI ダート2000m)の全てで圧勝。
あまりの強さにマイルチャンピオンシップ南部杯で場内実況アナウンサーが「女王様とお呼び!」と叫んだという。
明けて1997年(平成9年)第46回川崎記念を連覇後、引退レースに選んだ第2回ドバイワールドカップのレース中に転倒し左前腕節部複雑骨折を発症して予後不良。その場で安楽死処置が施され、ドバイの北斗一等星になった。
フェブラリーステークス、GI競走に
1997年(平成9年)(第14回)GIに昇格し、1998年(平成10年)ダート競走格付け委員会によりGIに格付けされた。
2007年(平成19年)(第24回)国際GIに格付けされ、外国調教馬は8頭まで出走可能可能になった。
《水沢の英雄 メイセイオペラ》
1999年(平成11年)(第16回)メイセイオペラ(牡5)はJRAのGIレースで優勝した唯一の地方競馬所属馬である。(2020年11月現在)
岩手競馬の水沢競馬場に所属。2歳時から大物の片鱗を見せ、デビュー戦を華々しく勝利したものの壁にぶつかる。
3歳時には大けがを克服。4歳時を船橋競馬の宿敵アブクマポーロ(牡6)を倒すために費やす。
そして5歳。アブクマポーロは第48回川崎記念に、メイセイオペラはフェブラリーステークスに向かった。地方馬ただ1頭の参戦で、しかも2番人気。故郷岩手の水を持ち込み、府中のコースを知る主戦の菅原 勲騎手を背にして、岩手から来た応援団の前で危なげの無い横綱相撲で勝利した。
アブクマポーロはメイセイオペラとの再戦を前にして故障を発症して引退。地方競馬ファンが楽しみにしていた「AM対決」の決着は付かなかった。
《最低人気馬からGI最多勝馬へ コパノリッキー》
フェブラリーステークスで連覇を果たしたのはコパノリッキー(牡4・牡5)だけである。馬主は「Dr.コパ」こと小林祥晃。
3歳時は兵庫チャンピオンシップ(園田競馬GII ダート1870m)で重賞初勝利したが骨折が判明して休養に入る。
2014年(平成26年)4歳になった緒戦が第31回フェブラリーステークス。単勝272.1倍、断然の最下位人気は当然か。
しかし1番人気のペルシャザール(牡6)と2番人気のホッコータルマエ(牡5)を振り切り勝利した。単勝27,210円はGI史上2番目の高額配当で、JRAの平地GIでの最低人気馬の勝利は史上3頭目だった。
2015年(平成27年)(第32回)前回の最下位人気から今回は1番人気に推された。今度も追いすがる他馬を振り落とす圧勝をきめた。
2016年(平成28年)(第33回)今回は4番人気でのぞんだがモーニン(牡4)がレコード勝利を収め、コパノリッキーは7着に終わり3連覇はならなかった。
2017年(平成29年)(第34回)は14着に終わった。この年の暮れの第63回東京大賞典(大井競馬GI ダート2000m)に優勝して中央・地方合わせて歴代最多のGI・JpnI競走11勝(2020年11月現在)をあげ、8歳になった1月に引退式を行なった。
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