海外

中世から存在していた「パティシエ」という職業

バターの香りが漂うマドレーヌ、細長く焼いたシュー生地が香ばしいエクレアといったフランス発祥の洋菓子は、日本でも馴染みのある洋菓子だ。

仕事を頑張った自分へのご褒美にケーキを奮発して購入するといったエピソードも日常生活の中でよく聞く話である。

パティシエ

パティスリーに並ぶ洋菓子

菓子職人のことをいつからかフランス語でパティシエと呼ぶことが自然と日本でも定着した。

ケーキ屋は『パティスリー』、チョコレート職人は『ショコラティエ』、パン職人のことは『ブーランジェ』とフランス語で表現することが当たり前となっている。

店名自体にもフランス語が使用されるようになり、私たちは洋菓子を通して、気軽にフランスの食文化に触れている。

フランス色に洗練された洋菓子の誕生秘話

キリスト教が広がりを見せた中世のヨーロッパでは、祈りを捧げたり農作物を生産する労働者たちが生活を共にする修道院が各地に存在した。

フランスも同様に多くの修道院や教会が建設され、そこで栽培された小麦や蜂蜜、卵といった洋菓子の原材料のほとんどは、領主としての役割を担っていた修道院に納められていた。

修道院では『菓子は神と人間を繋ぐもの』という概念が強く、納められた材料を持ち寄って日常的に洋菓子作りをする習慣があった。

そのため、フランス菓子の由来は修道院にあるといわれている。

後に、修道院で考案されたとされる『カヌレ』『フィナンシェ』を始めとする数々の洋菓子は、修道院の外でも作られるようになり、フランスにおける国民的洋菓子へと成長する。

パティシエ

カヌレ

また、貴族たちの国際結婚を切っ掛けに隣国や他国との交流が始まり、砂糖や香辛料といった新しい調味料の輸入が盛んに行われたことや、他国の食文化に馴染めない王妃が母国から「パティシエ」を呼び寄せたことも、フランスに洋菓子文化が深く根付いた経緯として関係している。

洋菓子といえばほとんどが『フランス発祥のもの』と思われることも多いが、その理由として中心都市であるフランス・パリに洋菓子作りが集約されたことと、他国から伝わった洋菓子をフランス独自の感性と技術で、『見た目の美しさから楽しむ洋菓子』へ進化させたことが挙げられる。

イタリアから伝わった『マカロン』やスペインから輸入した『チョコレート』がその代表的な例である。

パティシエ

パステルカラーが魅力のマカロン

気軽にカフェで洗練された洋菓子を味わえるフランスの環境が、『洋菓子といえば美食の国フランス』という認識を強くさせたのだろう。

そんな人々の認識は、いつしか世界中の「パティシエ」たちにも影響を与える存在となっていく。

中世の時代から存在する「パティシエ」という職業

フランスで確立した「パティシエ」という職業の歴史は中世時代から始まり、フランスでは男性の菓子職人を「パティシエ」、女性の菓子職人は「パティシエール」と2つの呼び名がある。

中世時代で活躍した「パティシエ」たちは、甘いお菓子を作るというよりは、小麦粉を使用した料理を振る舞うことに集中していたため、小麦粉で作った生地にチーズや肉類の食材を詰めて焼き上げた軽食を作ることが主な仕事とされていた。

パティシエ

記事を焼き上げる「パティシエ」

現在も、ケーキ以外に菓子パン、焼き菓子までも同時に作ることが「パティシエ」の仕事とされており、多くのパティスリーでは、副食となる惣菜にクロワッサンといった甘い菓子パンが一緒に店内に並んでいる。

「パティシエ」留学を大いに活かせるかは自分次第

「パティシエ」として精力的に活動をし、成功したいと強い意志を持った人は、フランスでの「パティシエ」留学を決意するケースが多い。

本場フランスの味と技術を学びながら、開催頻度の高い「パティシエ」のコンクールへの出場やその雰囲気の気迫を肌で味わうことができる魅力があるからである。

フランスの製法のものが普及した洋菓子業界では、現場でフランス語を使用する場面も多いため、語学習得も兼ねて留学を視野に入れる傾向が強い。

日本でも製菓子専門学校が提携している海外の留学プログラムへの参加を通し、「パティシエ」の実習や講義、フランス語研修に挑戦する選択肢が広がりを見せている。

パティシエ

作業に集中するパティシエ

しかし、必ずしも誰もが本場の技術とフランス語での習得をすればスムーズに「パティシエ」人生を送れるとも限らない。

「パティシエ」留学はあくまで、豊富な技術を吸収し、現地で学んだ知識を自分の中でどう活かしていくのか、どのように自分の強みに変えていくのか、今まで学んできた洋菓子のノウハウの答え合わせをする手段でしかないのだ。

今後の「パティシエ」人生を、どこでどんな環境で歩んでいくかにもよって、習得した技術や語学力を自分自身で調整していく努力も必要となる。

輝き続けるフランス菓子が与える力

今や『食べる芸術品』とも呼ばれるフランス菓子の始まりは、修道院で振る舞われた細やかな“おやつの時間”から始まった。

限られた食材で栄養を取るために知恵を絞り作られた美味しさが、フランスに広まると、多くの「パティシエ」の手によって味付けや細かいデザインの工程の改良が重ねられた。

こうして辿り着いた『視覚からも感動と美しさを提供できるフランス洋菓子の演出』は、「パティシエ」たちの創造力と表現力に刺激を与え続け、食する側である我々にも癒しと幸せを感じさせてくれるものとなった。

ショーウィンドーに並ぶ洋菓子一つ一つには、中世のヨーロッパで培われた「パティシエ」の技術と情熱が込められており、その事実を知ることで、フランスで編み出された洋菓子の美味しさと輝きをより深く実感することができる。

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【クレオパトラの海底神殿発見】アレクサンドリアの探査が注目されて…
  2. 台湾でコロナに感染した体験記 【台湾の漢方薬 清冠1号で回復しま…
  3. 第二次大戦の2つのフランス【ヴィシーフランスと自由フランス】
  4. 客家人の神豚祭りとは 「無理やり餌を食べさせ、一番重い豚を育てれ…
  5. いろいろ食べるぞ!台湾の原住民 【飛魚の目を生で食べるタオ族】
  6. お寿司の「トロ」の名付け親は「三井物産の社員」だった?
  7. 「ベジタリアン」の食事と栄養について調べてみた
  8. 「日本と100年以上の戦争状態にあった国」 モンテネグロ

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

奇行の画家・ゴッホの謎の死 「いくつもの精神疾患」

19世紀のヨーロッパを生き、代表作として「ひまわり」が有名な印象派の画家、ヴィンセント・ファン・ゴッ…

【16年間の逃亡劇】マフィアのボス、「ピザ職人」で人気者になりすぎて逮捕

2023年2月2日、イタリアンマフィアのボスが、思いがけない場所で発見された。フラン…

「何でも食べる」 台湾原住民のゲテモノ料理 【コウモリの腸の刺身、巨大ネズミの燻製】

台湾の原住民台湾には現在16族の原住民が住んでいて、その総数は約58万人となっている。参考記…

戦国大名の軍隊編制とは? 「先手」と「旗本」「槍、鉄砲、騎馬」の組み合わせ

戦国大名に仕える家臣たちの多くは、平時には領地の管理や農業生産の監督など、領内の経済基盤を支…

丹生川上神社下社ご神馬の「白ちゃん・黒ちゃん」 夕方5時になんと自分たちで帰宅

豊かな森林に囲まれた清き水の里・奈良県吉野郡下市町に、水の神をまつる古社として朝廷から厚く保…

アーカイブ

PAGE TOP