亀「新しく入った侍女なんですが、目立つ割に全く役に立ちませぬ。立ち振る舞いで下人の出でないことは分かります。一体どなたでございますか」
※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第10回「根拠なき自信」より
源頼朝(演:大泉洋)が愛人として上総国から鎌倉へ連れて来た漁師の妻・亀(演:江口のりこ)。
人妻でありながらあっけらかんと密通したり、隙あらば「(賊徒を討つ)ついでにウチの人も討ち取って」などと言ってみたり。八重姫(演:新垣結衣)が頼朝の元妻だと知った上で頼朝との関係を見せつけるなど、根性のひん曲がった女性を絶妙に演じています。
冒頭の尋問は頼朝の義妹に当たる実衣(演:宮澤エマ)に対するものですが、表向きこそ立てているものの、内心で「コイツはチョロい」と見くびっている様子が顔に出ていました。
※大河ドラマの実衣は口の軽いところがあり、それで後にトラブルとなるようですが、それはまた別のお話し。
この「じっ……とり」とした陰湿な不快感は実に見事で、三谷幸喜(脚本)の筆遣いに唸るばかり。
ところで、江口のりこが演じる亀こと「亀の前(かめのまえ)」は、史実でもこんな感じなのでしょうか。
今回は鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』より、亀の前について紹介したいと思います。
頼朝の伊豆時代から懇ろだった
亀の前が初めて『吾妻鏡』で言及されたのは寿永元年(1182年)6月1日。そこには、こう書かれていました。
武衛御寵愛の妾女〔龜前と号す〕を以て、小中太光家が小窪宅于招請し給ふ。
御中通之際、外聞之憚り有るに依て、居於遠境に搆被ると云々。且は、此の所御濱出の便冝の地と爲すと云々。
是妾は、良橋太郎入道が息女也。豆州に御旅居自り、眤近奉る。顏皃之濃かなるのみに匪ず。
心操殊に柔和也。去る春之比自り、御密通日を追て御寵甚しと云々。※寿永元年(1182年)6月1日条
【意訳】頼朝は亀の前という愛妾を小窪(小坪。神奈川県逗子市)小中太光家(こちゅうた みついえ。中原光家)の屋敷に招き寄せた。
浮気がバレると世間体が悪い(し、政子が怖い)ので、少し離れたところに住ませた。これで浜出(はまいで。海岸で身を清める儀式)の名目で遊びに行きやすいとか。
この亀の前とは、良橋太郎入道(よしはしの たろうにゅうどう)の娘で、頼朝が伊豆にいた頃から懇ろな関係であった。
ただ顔が美しいだけでなく、その性格も柔和であったので、頼朝はこの春ごろからますます熱を上げていたのだとか。
……大河ドラマでは頼朝が流れ着いた上総国で亀を見初めた設定になっていましたが、伊豆に流されていた時から知り合いだったのですね。
容姿は比較しようがないものの、性格は「心操(こころばせ)殊に柔和」とあり、とても優しい女性だったようです。
大河ドラマの亀は……いや、頼朝の前でだけは「心操殊に柔和」なのかも知れません。
ご存じの通り、頼朝の正室・政子(演:小池栄子)は気の強いじゃじゃ馬でしたから、頼朝が亀の前に癒やしを求めていたのでしょう。しかし、どんな理由であれ浮気は浮気。許されるものではありません。
ちょうどこのころ、政子は第2子(後の源頼家)を妊娠中で頼朝どころでなかったことも、浮気がエスカレートする引き金になったものと考えられます。
とうとう浮気が政子にバレて……
密会を重ねるうちに気が大きくなっていったのか、頼朝は「通いにくいから」という理由で亀の前を飯嶋(現:神奈川県逗子市)にある伏見広綱(ふしみ ひろつな)の館へ移しました。
陸の孤島状態だった小窪と違い、飯嶋であれば鎌倉とは目と鼻の先です。確かに通いやすいですが……
広綱「御台所(みだいどころ。政子)に見つかったら何とされますか」
頼朝「その時はその時じゃ。いいから住まわせよ!」
で、バレました。政子の継母に当たる牧の方(大河ドラマでは宮沢りえ演じる”りく”)が情報をリークしたのです。
政子「絶対に許せない!牧三郎、やっておしまい!」
宗親「ははあ……」
政子は牧の方の父(あるいは兄)に当たる牧三郎宗親(演:山崎一)に命じて亀の前が住んでいた広綱の館を破壊してしまいました。
……而るに此の事露顯し、御臺所殊に憤ら令め給ふ。是、北條殿室家の牧御方、密々に之を申さ令め給ふの故也。
仍て今日、牧三郎宗親に仰せて、廣綱之宅を破却し、頗る耻辱に及ぶ……※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)11月10日条
【意訳】ついに浮気がバレて、政子は怒り狂った。牧の御方が密告したのである。
この日、牧宗親に命じて亀の前が住む広綱の館を破壊させ、すこぶる辱めた。
……亀の前は広綱に護衛されて命からがら逃げのびました。しかし広綱としてみれば、頼朝の愛人を世話させられた上に自宅を破壊され、まさに踏んだり蹴ったりです。
政子の復讐に逆ギレした頼朝は宗親に八つ当たりし、それが元で北条一族を敵に回しかけるのですが、ここでは割愛します。
懲りない頼朝に引き留められる
その後、北条一族と和解した頼朝は亀の前を小窪に戻すことに。
光家「あの、御台所様が怒るんじゃ……」
頼朝「仕方ないだろ。いいから預かれ!」
で、預けられた亀の前ですが、もうすっかり政子の復讐が恐ろしくなってしまいました。
亀の前「もう嫌です。怖いです。どうかお暇をくださいまし……」
しかし懲りない頼朝は、ますます亀の前を寵愛。引き止められた彼女はしぶしぶ小窪で暮らすことに。
御寵女、小忠太光家が小坪之宅于遷住す。
頻りに御臺所の御氣色を恐れ申被ると雖も、御寵愛日を追て興盛之間、憖いに以て仰せに順うと云々。※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)12月10日条
【意訳】亀の前は光家の館へ戻された。彼女はしきりに政子の嫉妬を恐れたが、頼朝が無理に引き止めるため、仕方なく頼朝が飽きるまで滞在したのだとか。
……これ以降、亀の前は『吾妻鏡』から姿を消します。彼女がいつまで滞在したのかは分かりませんが、さぞや針の筵状態だったことでしょう。
エピローグ・御家人たちのとばっちり
ちなみに広綱は寿永元年(1182年)12月16日、亀の前を匿っていた「浮気の共犯」として遠江国(現:静岡県西部)へ流罪にされてしまいます。
もともと遠江国の出身なので、要するに故郷へ帰ったのでしょう。しかし自宅を破壊された上に冤罪の汚名をかぶせられるとは、まったく散々ですね。これを最後に広綱は『吾妻鏡』から姿を消しました。
光家についても一度『吾妻鏡』から姿を消しているものの、文治元年(1185年)9月に再登場。恐らく政子に叱られて、しばらく伊豆で謹慎などしていたのかも知れません。
新参者の広綱はともかく、伊豆時代からのつき合いがあった光家はこのくらいで許されたのでしょうか。
光家の謹慎が解除されたのは、おそらく亀の前が頼朝に捨てられ、立ち去ったタイミングと考えられます。
頼朝の寵愛を失い、鎌倉を去った亀の前がどのような人生を送ったのかは、史料に記録がありません。
終わりに
以上、亀の前についてその生涯をたどって来ました。史実の彼女は、大河ドラマとずいぶん違っていたようです。
頼朝の愛妾・亀
思いがけず出会った源頼朝の愛妾に。政子や八重を激しくライバル視。出自は低くても知恵があり、頼朝はのめり込んでいく。※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイトより
果たして「鎌倉殿の13人」で亀はどのような去り方をするのでしょうか。ただ政子の嫉妬によって追い払われるようなタマではないでしょう。
三谷幸喜が彼女をどのように描き上げるのか、これからの放送が楽しみですね!
※参考文献:
- 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
- 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月
- 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月
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