昔から「恋は盲目」とはよく言ったもので、誰かを好きになってしまうと周りが見えなくなり、暴走してしまった経験は誰しもあるのではないでしょうか。
そんな習性は昔の人々も同じで、現代の私たちから見ると高潔で禁欲的に見える武士たちでさえ、時として恋に狂ってしまうことがありました。
今回はそんな一人、平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した遠藤盛遠(えんどう もりとお)を紹介。
彼の犯した過ちは、もはや取り返しのつかないものでした。
恋い患って三年間
今は昔し、鳥羽の里に衣川(ころもがわ)なる尼が住んでおりました。
彼女には袈裟御前(けさごぜん)という娘がおり、ちょうど婚期を迎えた頃のこと。
「さて、何方(いづかた)へ嫁がせたものか……」
候補に挙がったのは、甥の二人。一人は渡辺渡(わたなべの わたる。源渡)、いま一人は遠藤盛遠。
「「是非、娘御をそれがしの妻に!」」
袈裟御前の美しさに魅了された渡と盛遠は、熱烈なアプローチを繰り広げたことでしょう。
その結果、衣川尼は渡辺渡を婿に選びました。
何が決め手だったかは分かりませんが、恐らく現代と同じく顔と性格と出世の見込み等のバランスで選んだのでしょう。
天にも昇る思いの渡に対して、地の底へ叩き落とされた盛遠。
「ここは潔く諦めねば……」
しかしそれからと言うもの、袈裟御前を忘れようとすればするほど彼女の姿が脳裏に焼きついて離れません。
そうこうの内に早三年。盛遠は蝉の抜殻も同然に過ごしたと言います。
「あぁ、このままではだめだ……」
どうしても思いを断ち切れなかった盛遠は、袈裟御前に再度のアプローチを試みるのでした。
傍から見ている分には「やめときゃいいのに……」と思ってしまいますが、そこは恋路に迷った恐ろしさ。
前後左右も分からぬまま、盛遠は袈裟御前に言い寄ります。
どうしてもと仰せならば……袈裟御前の願い
「この三年間、一度として貴女を忘れることが出来なかった。どうかそれがしの思いを受け入れてはくれまいか」
そんなことを言われても、夫とはすでに三年間の絆を培ってきたのですから、裏切る訳にはいきません。
「すぐにとは言わぬ。答えは三日後に聞く。よく考えて欲しい」
そんなことを言われても、三日くらいで答えが変わるはずもありませんが、とりあえず袈裟御前は善後策を考えます。
夫に相談すべきか、あるいは……果たして三日後、袈裟御前は盛遠に答えました。
「あれからよくよく考えまして、遠藤様のお心に報いとうございます」
まさかの逆転勝利?に歓喜する盛遠。そこへ袈裟御前が付け加えます。
「ただし。夫がありながらそれを裏切る訳には参りませぬ。ゆえに夫を討ち取ってくださいまし」
喪が明けたら晴れて祝言を……という塩梅。
従兄弟の渡を斬るのは忍びないが、それで袈裟御前と一緒になれるならお安い御用。盛遠は二つ返事で引き受けました。
「分かった。確と討ち取ってみせる」
「夫の寝所はこちら。夫は灯りを消して一人でお休みになられますゆえ、討ち損じる懸念はございませぬ」
盛遠と袈裟御前は渡を討ち取る段取りを相談してから別れます。
善?は急げ……ということで決行は今夜。果たして上手くいくのでしょうか。
一刀に刎ねた首の主は……
そして当刻。夜陰に乗じて館へ忍び込んだ盛遠は教えてもらった通りの寝所へ侵入。
寝ていた者の首を一刀に刎ねとばします。
(悪く思うなよ!)
自分が斬ったことがバレてしまっては元も子もない。早々に館を脱出した盛遠は闇の中へと消えていきました。
これであとは渡の死を形ばかり悲しんで、喪が明けたら晴れて祝言……と思っていた翌朝。
「大変だ!館に賊が忍び込んで……」
盛遠に第一報を伝えて来たのは、間違いなくこの手で斬ったはずの渡ではありませんか。
「妻が斬られた!」
それを聞いた盛遠は愕然とします。渡と思って斬ったのは、袈裟御前だったのです。
「なぜだ、なぜなのだ……!」
袈裟御前は最初から盛遠を拒むつもりでいましたが、それでは引き下がらず、渡に危害を及ぼしかねないことを憂慮していました。
ならば、自分を斬らせることで渡の身を守ろうとしたのです。
(それがしが、色欲に狂ってしまったばかりに……)
最愛の女性を自ら殺してしまったことを恥じた盛遠は、居ても立ってもいられずその場から逐電。行方をくらましてしまったのでした。
終わりに
その後、盛遠は袈裟御前の菩提を弔うために出家。文覚(もんがく)と号して修行三昧に明け暮れたのでした。そう、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で市川猿之助が演じているあの怪僧です。
義朝のドクロ(自称)を何個(!)も持ち出したり、祈祷をサボって更迭されたり、挙句は謀叛に加担したり……とかくロクでもない人物ですが、こんな悲しい過去を背負っていました(史実性はともかく)。
ともあれ文覚は袈裟御前の墓を建立。京都市伏見区にある恋塚寺(こいづかでら)として現代に伝わります。
本堂には本尊の阿弥陀如来像と三人(袈裟御前と渡辺渡、文覚)の木像が安置されており、悲恋を偲ぶよすがとして人々の参詣が絶えません。
果たして文覚は煩悩を捨てきれたのか、ちょっと気になるところですね。
※参考文献:
- 木下順二『古典を読む 平家物語』岩波書店、1996年1月
角田さんの記事には毎回、貴方は鎌倉時代にいたのか?と最初は面白かったが、最近は『何これ、ネタバレ』と多すぎませんか?
日曜日の大河楽しみにしているのに、あいつはこんなやつが分かったら面白くない。
草の実堂さん、毎週末楽しみにしているファンの夢を、ビデオで録画してる私はネタバレすっよ。
角田さんの記事は面白いが、掲載が早過ぎませんか?
名無しさん 様
コメントありがとうございます。またお褒めに与かり嬉しく思います。
そしてすみません。つい(これまであまり注目されてこなかった※筆者主観)平安鎌倉期が注目されたのが嬉しいテンションで次々書いていました。
あと、少しでもアクセスを稼いでもっと草の実堂さんに貢献したい!という本音もあります。
史実(というより諸説ある内の一説)を知ることで、大河ドラマの予習(三谷幸喜さんがどうアレンジするのか、を楽しむキッカケ)になればと思って書いて来ましたが、今後はなるべく他の時代や人物を取り上げて行こうと思います。
※でも、全く書かないというのもアレなので、時にはお目こぼし頂けると助かります。