戦国時代

【戦国時代】合戦終了後の遺体はどう処理していたのか?

合戦終了後の遺体はどう処理していたのか?

イメージ画像 : 尼崎大合戦武智主従討死之圖 月岡芳年

日本史において戦国時代は大変人気のある時代である。

日本各地で大名たちが戦を繰り広げ、今も語り継がれる歴史に残る大きな合戦も数多くある。

戦においては、勝者でも敗者でも必ず多数の死傷者が出る。

日本史において最大の死傷者数は「島原の乱」で、一揆軍の約37,000名、幕府軍が数千人亡くなったとされている。
他には大坂の陣の数万人、武田vs上杉の「第4次川中島の戦い」での数千人などが大きな死傷者が出た戦として有名である。

それでは、それだけの数の遺体は誰がどのように処理していたのであろうか?

黒鍬組

合戦終了後の遺体はどう処理していたのか?

画像 : 黒鍬組 続保定記

合戦の後の遺体は主に黒鍬組(くろくわぐみ)という部隊が埋葬、供養していたとされている。

とはいえ黒鍬組は別に遺体処理専門というわけではなく、彼らの主な仕事は陣地や橋などの築造であり、戦における工兵部隊であった。

元々は技術のある農民出身者たちで、当初は苗字帯刀も許されていなかったが、時代が進むにつれ身分や待遇も良くなっていったようである。

他には僧侶が戦場に派遣され、戦死者の供養を行うこともあった。

しかしこれはあくまで勝者側の場合であり、敗者側の場合は軍そのものが撤退または消滅してしまっているので、敗者側の戦死者は近隣の住民まかせであり、そのまま放置されてしまうことも多かったという。

軍が敗北した場合は、運良く生き延びても落ち武者狩りなどで徹底的に探索された。

物品の略奪はもちろん人そのものも戦利品とされ、奴隷として使われたり人身売買されるなど、負けた場合は生きていても死んでいても過酷な現実が待っていたのである。

 

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 戦国武将たちが信仰した宗教とは 「神道、仏教、修験道、キリスト教…
  2. 武田信虎 ~暴君とされた信玄の実父の功績
  3. 上杉謙信 義のために戦う「川中島〜手取川の戦い」
  4. 秀吉は薩摩人で明智光秀は二人いた? 明史-日本伝 【中国から見た…
  5. 尼子晴久 ~謀神・毛利元就を何度も破るが、なぜか評価の低い大名
  6. 戦国武将たちが好んだ食事とは? 【信玄・謙信・信長が食べた戦国勝…
  7. 毛利輝元は本当に無能な武将だったのか?【関ヶ原では一戦も交えず撤…
  8. 不敗の平法・富田重政【名人越後と呼ばれた剣豪】

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

「徳川家に不幸をもたらした」 妖刀・村正

前編に引き続き後編である。100年にも及ぶ戦国時代の最終的覇者となった徳川家康と徳川家には、…

江戸時代に3D作品を作った奇人〜 司馬江漢の生涯 「生きながら自分の死亡通知書をばら撒く」

司馬江漢とは260余年も続いた江戸時代、戦国乱世の世界から平和な世になると数多くの「天才…

怨霊となった藤原広嗣を祀る 「二つの鏡神社」

藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)は、大宰府にて乱を起こした後、740年10月23日に備前松浦の…

なぜ中国はウクライナ戦争で沈黙を続けるのか?裏にある計算とは

2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、国際社会に大きな衝撃を与えた。多くの国…

現地取材でリアルに描く『真田信繁戦記』 第4回・第二次上田合戦編 ~関ケ原の戦いと2度目の上田合戦~

エピローグ豊臣秀吉のもとで、武将として順調な歩みをみせる真田信繁。しかし、秀吉の…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP