戦国時代

川中島の戦いの真実 ②「実は経済戦争だった」

川中島の戦いの真実

川中島の戦いの真実

画像 : 故人春亭画 応需広重模写「信州川中嶋合戦之図」

5回に渡って行われた「川中島の戦い

この合戦の後に、信玄と謙信はこんな言葉を残している。

信玄は「上杉敗れたり、川中島は我が手中にあり」と言い、一方謙信は「ご苦労のおかげで武田軍を多数討ち取り、年来の本望を達した」と言い、互いに自軍の勝利を主張している。

実はどちらが勝ったのかは、未だにはっきりとはしてはいないのである。

善光寺平と直江津港

川中島は、善光寺平という非常に肥沃な土地であった。

実は「川中島の戦い」の最大の争点は、信玄も謙信も米どころの善光寺平の取得だったのではないかという説がある。
善光寺平は現在の長野盆地で信濃国随一の平野であり、10万石の米が取れたという。

信玄は善光寺平だけではなく、他にも狙っていたものがあった。それは謙信の経済力の要である直江津港であった。
海に面しておらず港を持っていない信玄は、川中島に進出し、更に直江津港が欲しかったのである。
そのため5回にも渡って謙信に戦いを挑んで来たという。直江津港は謙信の居城・春日山城からわずか5kmほどの位置にあった。

謙信は直江津港を守るために春日山城を離れられなかったとも言われている。

川中島の戦いの真実

画像 : 直江津港

直江津港は謙信の時代に大都市の港として栄え、全国の港と交易が出来る重要な流通の拠点であった。

青苧の関税などで年間50億円以上もの利益が見込めた港で、甲斐には無かった海も手に入れることが出来る。

信玄が「川中島の戦い」を行なった大きな要因の一つだったと考えられている。

善光寺

川中島の戦いの真実

画像 : 善光寺本堂(長野市長野、2012年(平成24年)8月)

実は信玄には、もう一つ信濃国侵攻の理由があった。

それは長野市にある善光寺である。現在でも全国から参拝客が訪れて賑わいを見せる有名な寺である。

善光寺は今から約1,400年前に創建され、その周囲は宿場町や交易の場所として人々が集まり繁栄していた場所であった。

なんと信玄は「川中島の戦い」の最中に、大金を投じて善光寺を自分の領国の甲斐に移動させたのである。
現在の甲府市にある甲斐善光寺には、信濃から運んだ引き摺りの鐘などがある。

他には日本最初の「源頼朝の木像」を、信濃の善光寺から甲斐へ移している。
頼朝は善光寺を熱心に信仰しており、この木像は近年、源頼朝の顔に一番似ているとして歴史の教科書にも掲載されている。

では何故信玄はそこまでして善光寺を移したかったのか?

善光寺には昔から参拝客が全国各地から集まって来ていた。
それが甲斐にあれば全国から参拝客が甲斐に訪れることになる。当然信濃国にいた善光寺の周囲の人たちも甲斐に移ることになる。

善光寺の門前町として全国から人が集まれば、甲斐は大きな経済発展をする。それで信玄は多額な費用をかけてでも善光寺を甲斐へ移したかったのである。

実は謙信も、越後に居ながら善光寺に目を付けていたと言われている。

つまり「川中島の戦い」は、10万石の善光寺平という土地、善光寺という全国的に有名な寺、謙信の持つ直江津港を巡って争われた戦いであったとも言えるのだ。

おわりに

「川中島の戦い」は、信玄に攻められた北信濃の豪族や武将たちが謙信のもとに逃げて、「義の男」謙信が信玄と戦ったというのが通説であった。

しかし経済面から見ると通説は覆り、信玄と謙信は共に「善光寺平」と「善光寺」、それに加え信玄は「直江津港」が目的だったという可能性も大きいのである。

関連記事 : 川中島の戦いの真実 ①「信玄と謙信の経済力について迫る 」

 

Xでフォロー 草の実堂をフォローして最新情報をチェック

rapports

投稿者の記事一覧

草の実堂で最も古参のフリーライター。
日本史(主に戦国時代、江戸時代)専門。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 火縄銃すらある戦国時代に『一騎打ち』はあったのか?
  2. 気の毒すぎる…豊臣秀吉の逆ギレで流罪にされた戦国時代の美女・於安…
  3. 戦国大名の家紋について調べてみた
  4. 【戦国史上最悪の籠城戦】 秀吉の鳥取城渇え殺し 〜「死肉を奪い合…
  5. 第4次 川中島の戦い~武田家必勝の布陣!
  6. 伊達稙宗と天文の乱 【伊達家の力を削いだ 晴宗との親子争い】
  7. 武田勝頼は本当に無能だったのか?
  8. 北条綱成 ~後北条氏随一の武勇が語り継がれる猛将

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

林芙美子とは 〜森光子が2000回上演し国民栄誉賞を受賞した「放浪記」の作者

林芙美子とは林芙美子(はやしふみこ : 1903~1951)は、日本の小説家である。…

「我思う故に我あり」近代哲学の父ルネ・デカルト

我思う故に我ありこの言葉は聞いたことがあるという人も多いと思う。近代哲学の父ルネ・デカルトは…

台湾人から見た日本のオタク

オタクの定義台湾にも中国にもオタクがいる。多くの人がオタクについて知っており、中…

なぜ藤堂高虎は11人もの主君に仕えたのか? 「その理由と主君遍歴」

戦国武将・藤堂高虎(とうどうたかとら)は、多くの主君に仕えたことで知られている。「武…

小一郎の幼馴染・直(白石聖)は実在するのか?悲劇的な末路と二人の子供を考察【豊臣兄弟!】

大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、天下人となる藤吉郎(のちの豊臣秀吉、演 池松壮亮)と、弟である小…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP