西洋史

「死んだ伯爵の荷物から判明」中世の十字軍貴族が戦場に持ち込んだリアルな持ち物リスト

画像 : 中世の写本に描かれた第1回十字軍のエルサレム攻撃 public domain

中世ヨーロッパ史の中で、とりわけ十字軍については膨大な研究がなされてきました。

とくに、戦争がどのように進んだのか、どんな戦略が取られたのか、有名な指導者たちがどんな人物だったのかといった点には、ことさら多くの関心が寄せられてきました。

しかしその一方で、当時の貴族たちが実際にどのような物を持ち、どのように暮らしていたのかなど、身近な生活に関しては史料があまり残されていませんでした。

画像:ウード・ド・ヌヴェールの印章 public domain

ところが近年の歴史研究では、こうした日常生活を伝える一次史料に注目が集まっています。

その代表的な例が、1266年に十字軍の遠征地アッコン(現在のイスラエル北部)で亡くなったヌヴェール伯ウード・ド・ヌヴェールの持ち物を記した目録です。

この目録は、単なる財産リストにとどまらず、当時の騎士貴族社会の姿を生き生きと伝えてくれる貴重な史料として評価されています。

今回はこの目録を手がかりに、一人の十字軍貴族がどんな世界を生きていたのかを追ってみましょう。

ウード・ド・ヌヴェールの生涯

画像:父ユーグ4世 (ブルゴーニュ公)の印章 public domain

ウード・ド・ヌヴェールは、1230年頃、フランス中西部のブルゴーニュ地方で生まれました。

ブルゴーニュ公ユーグ4世の子として貴族社会の中で育ち、やがてヌヴェール女伯マティルドとの結婚によってヌヴェール伯の称号を得ます。

中世フランスの貴族として、彼は領地の統治や封建的な義務を担いながら、地域社会の中で確かな影響力を築いていきました。

また、成人すると騎士としての教育を受け、戦闘や軍務の場で役割を果たすようになります。

1265年の秋、ウードは聖地アッコンの防衛を目的とした小規模な十字軍遠征に参加するため、故郷ブルゴーニュを後にしました。

この遠征は第9回十字軍へと連なる動きの一つであり、西欧の貴族たちにとっては、聖地奪回への信仰心と名誉を示す重要な機会でもありました。

しかし翌1266年の夏、ウードは十字軍の拠点の一つであったアッコンに到着しますが、まもなく病に倒れ、1266年8月初旬にこの地で生涯を閉じました。

彼の死は、同時代の記録ではわずか一行で触れられるにすぎません。

しかしその後、彼が残した品々を細かく書き留めた目録が作られたことで、ウードの暮らしぶりが具体的に判明したのです。

当時の貴族の暮らしが見える「持ち物リスト」

画像:ワイン貿易により経済的な利益を得ていたブルゴーニュ領(1250年頃) wiki c Aavitus

ウードの死後、遺産整理や債務清算、従者や下人への支払いを行うために、詳細な「持ち物目録」が作られました。

この帳簿は羊皮紙に書かれた目録として現存し、古フランス語で記されています。

20世紀以前から部分的には知られていましたが、近年になって研究者たちによる解読と校訂が進み、現代フランス語版や英語訳も刊行されました。

興味深いのは、この目録が単なる財産のリストにとどまらない点です。

たとえば指輪が8個、サファイアが2個、カメオが1個といった宝飾品や、金の小さな十字架が2つ、真珠つきの金のベルト、宝石と真珠で飾られた金の礼拝用具まで挙げられています。
銀製品も多く、手を洗うための銀の鉢が2つ、宝石とエナメルで飾られた杯が1つ、さらに水差しや皿、スプーン類がまとまって記録されています。

布地の項目になると量が一気に増え、トロワで買った布が10反、ブルゴーニュ公妃からの麻布が10反、プロヴァン産の縞布が2反という具合に、産地つきで記されています。

日用品も具体的で、頭を覆う布が29枚、手袋が10組、鹿革の手袋が3組、靴が4足。

画像 : のちの1291年のアッコン包囲戦を描いた油絵 public domain

武具に関しては甲冑が4着、軍旗が3本、拍車が8組、斧が2本といった数字が出てきて、遠征生活の現実味がぐっと増します。

さらに食料や家畜まで含まれているのも面白いところで、ワイン樽が36、塩漬け肉が50側(半身)、鶏が195羽、羊が1頭、小麦が170、大麦が200といった備蓄がまとめて記されます。

こうした物の量そのものが、ウード個人の持ち物というよりも、従者を抱えた貴族の一団が丸ごと生活していくための規模だったことを伝えています。

また、ウード配下の騎士に40リーヴル前後の俸給が支払われた例や、部下を率いる騎士には200リーヴルを超える額が割り当てられた記録も見えます。
40リーヴルは当時の農民の十数年分に相当する現金収入であり、これだけで十字軍遠征がいかに資金集約的な事業だったかが分かります。

まさに、当時の貴族の“台所事情”を詳しく知ることのできる史料といえるでしょう。

アッコンという都市と異文化の交錯

画像:現在のアッコンの旧市街 wiki c Yigal Dekel

ウードがたどり着いたアッコンは、十字軍国家の中でも特に重要な都市でした。

東地中海世界の交易、文化、宗教の交差点であり、異なる言語や信仰を持つ人々が行き交い、活発な交流が絶えませんでした。

軍事拠点であると同時に商業都市としても繁栄しており、欧州からの巡礼者や商人、さらに東方からの交易商人たちが常に往来していたのです。

ウード・ド・ヌヴェールの持ち物目録は、単なる財産の記録にとどまらず、十字軍に生きた人々の暮らしや価値観、さらには当時の世界観を今に伝えているのです。

参考文献 :
Lester, A. E., & Morreale, L. K. (2025). A Crusader’s Death and Life in Acre: The 1266 account-inventory of Eudes of Nevers (Medieval Societies, Religions, and Cultures). Cornell University Press.
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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